別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

稀勢の里の横綱昇進の話




 リブログ機能を初めて使ってみました。読んでいてなるほどそういうことかと理解できたので、相撲ネタに興味ある方は是非一読することをおすすめします。

 相撲を見ていないので、最近の相撲事情がどうなっているのかはわかりませんが、稀勢の里が日本人力士で唯一白鵬と戦えるくらいの存在であることは知っていました(豪栄道とか琴奨菊も戦えるようになったんですかね?よくわかりませんが、彼らが育ってきたというより、そろそろ白鵬が全盛期を過ぎたということかも…?)。その稀勢の里が優勝・横綱昇進ということでようやく稀勢の里白鵬と伍するとは言わないでも、たまに優勝できるくらいの存在になったのかな~?なんて思っていました。

 ところが、聞くところによると初優勝で横綱昇進ということ。横綱昇進は二場所連続優勝、もしくは優勝&準優勝だったはず。基準を満たしていない云々の声が聞こえてきて、おやおや一体どうしたことだろうかと不思議に思っていました。

 リブログ先のROYAL Jr.さんの文章を読んで、なるほどそういうことかと知ったので、そちらを読んでいただけると、事の経緯はよく分かるかと思います。ざっくりいうと、今場所はツイていたという一言に尽きるわけですね。二横綱の休場でこれまで壁になってきた上位力士がいないなかでの優勝で、綱を張らせるのは早すぎると誰もが思うことでしょう。あの白鵬を破って優勝を決めた!という背景もないうちから、昇進決定なんて言われていたら、そりゃみんなええ~ってなりますよね、普通。実際勝ったから良いですけど、もし負けていたら…。


 そもそもなんですけど、横綱というのは名誉称号であって、相撲の地位・階級ではなかったんですね。大関が最高位だった。大関の中でも特別に強い力士に横綱という名誉称号が認められて、名乗ることが出来た。今みたいに簡単に横綱として承認されなかったから、ホイホイ粗製乱造されるものでもなかった。三場所連続優勝して、それで初めて横綱になれる。だから長い大相撲の歴史でも数えるほどしかいなかった。そういうふうに本当に強い力士にだけ与える。横綱はめったに誕生しないという制度にすべき。

 ―と思っていたら、横綱吉田司家が免許として特定の力士に認める形で始まった。他にも~家発行免許というもので、承認するケースが有って、実際の横綱一覧以外にも非公式横綱なんていうものが結構いたりするわけですね。史上最強と謳われる雷電為右衛門が横綱になれなかったのは、有力藩のお抱え力士ではなかったからと言われていますが、要するに政治的な力学が働くフェアなスポーツではなかったわけです。(横綱審議委員会が公平なのか?制度として正しいのか?とよく言われるわけですが、それ以前には吉田司家が恣意的に決めていたわけで、もっとフェアじゃない時代があったわけですね。横審も改革のために出来たものだというのは面白いところですね。)

 昔、神事・興行・スポーツという3つの要素からトライアングルを形成しているという話を書いたように、スポーツとしてプロ興行としてフェアじゃない!云々は相撲においてナンセンスになりがちなんですね。

 星が同点なら上位力士が優勝で決定戦はなしとか、大関が四人いるからバランス悪いから、連続優勝しても大関に昇進させませんとか。昔の相撲の歴史を見てわかるように、勝ち星や優勝といったスポーツのレコードを重視する発想がそもそもなかったわけですね。どんなものでもプロ競技の場合、歴史を振り返ると間違いなく歴代最高優勝回数~とか、技術的特筆すべきレコード・歴代最高記録という数字の視点から語られるものなわけですね。でも、相撲は異なるわけですね。

 それこそ品格と言われるように「?」な基準・視点が存在するわけですね。横綱の始まりから地位に至る経緯を見てもわかるように、結局何がどういう視点で定まっているのか一目瞭然でわからない。相撲を見ていた人も、昔は今場所は誰が優勝するか!ということを気にするよりも、足を運んで相撲を見ることが第一、優れた力士の優れた相撲を見ることが第一だったんでしょうね。

 そのような古き良き時代の精神が良いな、ぜひそういう時代が来てほしいなと思う反面、まあ無理なのでそういう話はここでやめます。

 結局、政治的な背景だったり、興行的な背景が優先されるわけで、昇進させたいならさせればいいし、させたくないならさせればいい。まあ好き勝手にやったら宜しいのではないかということですね。抜本的な制度改革を出来る人もいないでしょうし、出てこないでしょうから。

 ただ外から見ていて、横綱というものはそんなホイホイ簡単に作って良いものではない。短命横綱が史上何人もいましたけど、短命横綱が良い影響を与えたことがあったのか?相撲界の発展に繋がったのか?と言われればまずノーでしょう。そういう背景を考えたら、普通は昇進に慎重になるものでしょう。

 日本人力士の優勝が騒がれたように、日本人横綱が出ればそれは話題になる。PR・集客=金になる。そういう発想しかないでしょう。日本人横綱がいないなんて耐えられない!もし次の場所で成績を残せなかったら昇進が見送られる!そんなのイヤだい!だから、何が何でも今のうちに昇進させてやる!

 ―とまあ、そういったセコイ思惑がすけてみえますね。今の政治の流れは、民主主義の精神・プロセスなんて知ったことではない。とにかく騙してでも法案を通しさえすれば、こっちの勝ちだ!とにかくバレないようにバレないようにこっそり法案の中に一文を紛れ込ませろ!なんていうメンタリティが蔓延しているわけで、そういう卑怯な時代の流れを反映しているのでしょうね。


 本人もアヤやケチがつくなら辞退すればいいと思ったんですが、そういうことは制度上まあみとめられないということでしょうか?たまには拒否して次の場所で必ず横綱になってみせます!みたいなシーンを見たいものですが。

 どれだけ横綱として惨めで弱くとも、横綱にさえなってしまえば、後の角界で地位が安泰する。そういうセコイ思惑から、「どんな形でも横綱になれてよかった。これで将来人生安泰だ」なんて思っていないことを願いたいですね。

 横綱になる条件として「優勝&準優勝」という条件は別に構わないと思います。これを満たしているということでいいとしても、それ以前に「横綱と言えるほど絶対的に強い」という条件をつけるべきでしょうね。横綱といえばその場所で1敗・2敗しかしないもの。年間10敗までがまあひとつの基準・許容範囲でしょうね。負けて話題になるのが横綱という言葉があるように、「あの横綱が負けるところを見れるなんてレアでラッキー、観に行ったかいがあったワイ」と言われるくらいじゃないといけないと個人的には思います。

 連続優勝だったり、優勝&準優勝以前に、しっかりとした数字・成績をちゃんと残している。横綱昇進以後も間違いなく優勝・準優勝し続ける力士であると保証がない限りは昇進を認めるべきではないでしょうね。稀勢の里がそれ以前に何回か優勝している。まあ、最低でも3回は優勝している。そういう実績があるから今回はちょっと条件として弱くてもまあ昇進を認めようとなってもいいと思います。

 しかし、年間最多勝を取った程度でそれ以前にあまり目立った実績がない。準優勝を何回してもそれは結局一番=横綱とは言えないですからね。特別な存在でなければ横綱とはいえないでしょう。

 というかこういう2横綱が休場というケースもレアながらあるわけですから、一年間トータルでの相撲内容&勝ち星総合的に判断するほうが良いのでは?それこそ、全部準優勝だが、朝青龍白鵬がいたために優勝できなかった。しかし年間84勝で誰よりも安定していたし、それ以前に3回優勝した経験もあるから横綱として推挙しようというのもありだと思いますが。

 日馬富士は何回か優勝していたな~と思いましたが(8回優勝していますね)、鶴竜は3回しか優勝していないのですね。モンゴル力士で横綱になった鶴竜でさえまだ3回しか優勝をしていない。今後白鵬が衰えるとしても、稀勢の里とそこまで年齢が変わるわけではない。確か今年白鵬が32歳で、稀勢の里が31歳。そんな彼が今後簡単にホイホイ優勝できるとは思えないのですが…。

 それこそ休場した2横綱が、今後怪我で衰える・引退するだろうという見通しがあって、また白鵬しかいないという感がある。興行的に今横綱にしておいたほうが良いという理由でもあればいいですが、そんなすぐに2横綱がダメになるとは思えませんけどね。

 確か週刊誌に、なぜ稀勢の里は優勝できないのか?みたいなことが場所前に書かれていて(批判した直後の優勝で笑いましたが)、前親方が死去で部屋の都合で新親方となったが、政治上親方になっただけで特にやる気がない。前女将さんが牛耳っていて、親方は稽古もろくに見ないダメ親方だから&部屋の統合云々で、弟子の面倒を見ないといけない稀勢の里が稽古に集中できない云々書かれていました。

 それが当たっているかどうかさておいて、ここに来るまで長い時間をかけている稀勢の里が今後横綱としてどのくらい活躍できるかかなり危ういと見るのが普通でしょうね。怪我などコンディションがどうなのか、その不安がなければ、在居場所・年数ということで一定の責任は果たせるでしょうが、さあどうでしょうか?


 まあ、そんな程度の話で終わるはずでしたが、そういやこんな要素があったなと思いついたので、追記。白鵬が平成の大横綱として10年以上君臨しているわけですが、北の湖が12年位横綱を務めていた時代があって、その記録さえ抜けば白鵬は優勝回数・在位年数と不滅の大記録を打ち立てることになるわけですね。

 白鵬といえば、北の湖日本国籍取得を一代年寄(であってたかな?)取得の条件として対立している。モンゴルの大統領やビジネスマンの道と、相撲界での理事長の道両方を可能性として残しておきたいがために、対立していると言われています。

 以前、白鵬朝青龍は二大横綱で、彼ら抜きのポスト各界は考えにくい。朝青龍は不祥事による引退だからまあ良いとして、白鵬が理事長にならないのは不自然極まりない。またそうでないとしても、今後もモンゴル横綱だらけで、モンゴル親方のモンゴル派閥が角界を動かしていくだろう。そういう時代の中で、あの白鵬すら旧習の壁にあたって、親方や理事長になれなかったとなったら大変なことになる。横綱にはなれても外国人は理事長になれないのか!ということになる。

 白鵬としては、千秋楽でわざと負けることで稀勢の里に恩を売っておく。久しぶりの日本人横綱誕生に手を貸すことで各界に恩を売る。また数少ない日本人横綱として稀勢の里がいずれ理事長になるでしょう。そういう事を考えても、白鵬としては足場がための意味合いがあったのではないかと思いましたね。

 まあ、白鵬稀勢の里といえば、白鵬が日本人横綱のために彼に指導をする場面ですね。稀勢の里を稽古で転がして、「ちゃんと四股を踏んでるのか!全然地に足が付いてないじゃないか」と言ったシーンですね。日本人トップの彼ですら四股が出来ていない、地に足が付いていない。日本人全体に共通する話でしょうからね。

 書いているうちに意外と文量が…。大した話ではないですけど、相撲ネタとして向こうに持っていこうかしら?続編・続報次第ですね。