高橋監督に采配を求める記事への違和感 問題は監督ではなくフロントにあり
高橋由伸監督の話をしたいと思います。これを書こうと思ったのは2016年で、その翌年球団史上初13連敗という出来事があったので今更ながらそれについてもまとめて記しておきたいと思います。
高橋監督について書こうと思ったのは、スポナビブログを始めた時、交流戦でセ・リーグ各球団ウォッチャーがどのような危機意識を持っているのか気になって、いろいろな意見をチェックしていた時、ジャイアンツのカテゴリで書かれていた記事がひっかかったからです。
やれ、~番に誰を入れろだ、~より~を起用しろだ。監督がもっと積極的に動いて采配を揮って欲しいという・監督の采配を批判する意見が結構ありました。それについて非常に強い違和感を覚えましたので、それについて話をしてみたいと思います。
■巨人球団史上初13連敗の本質は腐朽組織
巨人が13連敗した事自体についてはいろんな方がいろんなことを指摘しています。貧打、投壊の要因は黄金期の反動。FA選手補強頼りで育成の放棄。長期ビジョンの欠如で原時代のツケが露呈した。人気にあぐらをかいて巨人へ来たいという一流選手がメジャーを目指すようになったなど、時代の変化についていけなかった。逆指名制度の廃止で、ドラフト一位で有望な即戦力選手を確実に取れなくなった、etc…。
概ねそれで間違いないでしょう。しかしそんなことは所詮枝葉末節の問題。本質は別にあります。本質は巨人という球団の組織そのものが腐って機能不全に陥ったこと。腐朽組織化です。まともな論理で組織運営が行われていないから、問題が表面化したに過ぎません。
今に始まったことではなく、元々巨人という球団は組織が腐っていたのですが、それを糊塗するだけの人気と人材とお金があったために、その問題の本質が露呈することがなかったんですね。巨人という組織には問題がある、恥部がある。こんなこといちいち今更指摘するまでもなくNPBに興味がある人であれば誰でも知っていると思いますが、一応改めて指摘しておきます。
■監督は生え抜きでなければならない純粋生え抜き主義
巨人という組織は監督人事に純粋生え抜き主義を採用してきました。星野・落合といったトップクラスの監督を外部招聘する動きもあったので、また最近ではイチロー監督という声もあるくらいで、その純粋生え抜き主義も変化しつつあるのは確かです。
その代償というのも変ですが、コーチ人事については他球団の硬直化した人事に比べて柔軟で外様リクルート主義とでもいうべき人事方針を採用している柔軟さもあります。常に他球団出身者をコーチとして招聘し、新しい風・思想を導入しようという優れた点がある所を触れておかないと片手落ちになるので、これについても触れておきます。
多くの球団がコーチを元選手・在籍経歴のある選手で固めるのに対して、実力重視のシステムを採用しているので優れた方針というべきでしょう。が、しかしそれも監督=チームの顔を過去の名選手で何が何でも固めたいからという歪な思想の裏返しと考えるべきでしょう。生涯一巨人選手のキャリアで、一流の数字を残した選手となると、監督候補者は自ずと制限されてしまう。その監督候補が優秀な監督になる確率はどれくらいか?限りなく低いのは言うまでもないでしょう。原監督のような優秀とされる監督が輩出されることは滅多になく、可能性が大きいとは考えにくいわけですから。
今回の高橋監督、また過去の長嶋監督などを見ると、この純粋生え抜き人事がいかにまずいか言うまでもないでしょう。その無能(あるいは監督としての素養がない)監督を少しでもサポートしたいという裏返しがこの巨人のコーチ人事の実力主義*1ということなのでしょう。
■高橋監督就任は歪んだ人事制度によるもの
当たり前のことですが、歪んだ人事制度からは歪んだ人事が生まれます。原監督から高橋監督となったのも、この腐朽制度から生まれたものでした。高橋由伸は選手兼任コーチとして将来の監督候補のルートに入ったものの、まだ現役を続行するものと見られていました。それがいきなりの現役引退と監督就任。当時、高橋は左の代打として立派に機能していたにもかかわらず、それを組織の都合によって引退させるなどファンであればまず納得できない異常な処置でしょう。単なる一選手ではなく、チームの功労者・スター選手を本人が望むように全うさせてやれない組織など一体誰が支持するのでしょうか?
これについては、「引退は残念だけれども、本人が選手よりも監督の座を望んだ。残り短い選手としての地位に未練はなく、指導者・首脳陣としての監督ポストに魅力を感じた。監督>選手という考えを持つ人は珍しくない。本人がそちらの選択に、代償があっても魅力を感じて決めたことなのだから、本人の意志を無視したわけではない。特にかまわないのでは?」という意見を持つ人もいるでしょう。
この意見が間違っているとは思いませんが、巨人という球団は選手という地位、意見を無視する傾向が非常に強い球団。選手を使い捨てとする感覚を持っている球団です。外様の前田が大量点差がついて自分が投げる必要のない場面でも投げさせられた、野口が手術をして再起をかけたいという声を無視して手術を許さなかったーという事例を見るまでもなく、球団の意向が絶対であり、選手の立場や状況に配慮することが少ない球団です*2。生え抜き第一、外人・外様第二など色んな序列があるのでしょうけど、選手に配慮する度合いは他球団と比べて著しく小さいといえます。
高橋由伸を監督にしたいのならば、もう一年コーチ経験を積ませつつ、選手として花道・有終の美を飾る。来年もいい数字を残したらもう一年延長して、そしてつなぎの監督からバトンタッチというのが普通のルートでしょう。ところが、野球賭博事件などもあって、負のイメージを払拭するために新しいスター監督に看板をすげ替える必要があった。そのために否が応でも高橋に監督をやってもらわなくてはならなくなった。
何の準備もないまま監督になった高橋が、というかそもそも原監督のように、確固たる戦術・戦略プランを持っていないタイプの彼を、球団の不祥事払拭のためという理由で監督の地位につけたらどうなるか?言うまでもないでしょう。
今のNPBを見渡して、この選手は監督向きだ。監督になったら面白そうだというタイプの選手・OBは滅多にいない。個人的にこの人の監督やるところが見てみたいと思っていた小宮山氏でさえ、ホークスのV逸はファイターズがすごすぎただけという珍な意見を述べていて不安になっているところです。監督になりたい!そのために采配とは何か?ペナントレースとは何か?短期決戦とはどう戦うべきか?などと現役時代から頭を使ったプレー、考え方、勉強をしている選手は殆どいない。そういう環境で名選手を準備不足のまま監督にしてしまったらどうなるか?言うまでもありませんよね?
■高橋由伸は官僚的なタイプ、定例昇進人事で監督就任
最大のポイントなのですが、そもそも高橋由伸という人は巨人入りを望んではいなかったということ。もともとヤクルトに入りたかったが家の事情で巨人に入らざるを得なくなったという選手でした。先に入団して活躍していた松井秀喜と同じ位の活躍をして、もしかして高橋もメジャーへ行くのでは?と言われていたこともありました。当時は一流選手であればメジャーへ行くのが一つの自然な流れ。しかしそのメジャー行きも早々に封印しました(実際にメジャーで活躍できたかは別の問題で、そもそも高橋のコンディションの問題、怪我の多さを考えるとまず難しかっただろうと思われます。なので本人としては初めから考慮の外にあったかもしれませんが、何人か無思慮で何の準備もないまま渡米する例もありましたからね。夢を選んで!難しいとわかっていても行きます!という選択もあり得たという意味で)。
こういう経歴を見て高橋由伸という人物像を見るに、自分の意志でこれだ!という決断・選択をしないタイプだということだと思います。監督になりたい!巨人というチームの監督をやりたい!というよりも、定例昇進人事に乗っかって自分のキャリアを一歩進めたということなのでしょう。順調なキャリアアップを望むのは人として至極当然のこと。彼としては当たり前の道、当たり前のルートを選んだということでしょうね。
六大学のスター→巨人入り→巨人のスター→監督→(フロント入り?)…。困難で茨の道に進んで自分の追い求めたいものを追求するよりも、こういうわかりやすい華やかなキャリアを選択するタイプ。同じスター選手でも巨人の監督を務めた人かそうでないかでは雲泥の差。将来の仕事・収入に大きく関わってくる。もし今監督要請を断ったら次はないかもしれない…。そのリスクを彼は取れなかった。そして選手としての花道よりも、自身のキャリアを選択した。こういう選択肢を選んだことをみてわかるように、非常に官僚的なタイプ。模範優等生タイプだということがわかると思います(勘違いする人がいるかもしれないので、こういう高橋監督の選択を否定しているわけではありません。むしろ普通の人の普通の考え、当たり前の選択でしょう)。
■高橋監督に監督としての手腕を望むこと自体がナンセンス
危機においては人事は抜擢をしないといけない。これが組織において一つの絶対的なセオリー。本来、若い優秀な人物・傑物を定例昇進のルートからハズして、いきなりトップに持ってくるということをするものなのですが、これをしていない。これをみるだけで巨人というチームに改革の意識がゼロ、かけらもないことがわかります。
さらに高橋由伸という官僚的な考え≒決断をするタイプの監督を選ぶということは、もう監督独自の采配を揮う、戦術をとるということを初めから期待していないということになります。監督の手腕・采配を問わない、そういう選択・人事をしたのは球団首脳陣・フロントです。問題の所在はフロントにあって、高橋本人にはない。高橋監督に采配を望むこと、柔軟or奇抜な選手起用・戦術を望むことは木に縁りて魚を求むようなもの。筋違いも甚だしいと言えるでしょう。
2011の後半、マネーボールの発想・考え方を知って、「なるほど野球・ペナントレースとはそうやって見るもの、考えるものなのか」と感心して野球を久しぶりに見始めました。過去に応援していたジャイアンツくらいしか知らなかったので、そのままジャイアンツ戦を注目して観ていたのですが、まるで理にかなわないことをやっている。こりゃダメだと呆れて、翌年からスパッとパ・リーグに切り替えた経緯がありました。そもそも巨人という組織を考えれば、理想的な野球・戦い方を求めても無駄なわけです。
高橋監督を選んだこと一つとっても、勝つ意識・チームを強くする意識、組織改革・改善をする意識がないことがわかります。そんなチームに自分が望む理想的な采配・戦術を求めること自体がナンセンス。サッカー選手に上手い野球をやれ!と言っているようなものであり、八百屋に行って魚を買いに行くようなものだと思われます。ファンやウォッチャーであるならば、高橋監督云々よりも球団の人事制度・フロント改革を強く要求してしかるべきところでしょう。
ファン・ウォッチャーの意識改革がなされない限り、球団も目覚めることはないのではないか。そんなことを思いましたので時期を逸しながら、強く疑問に思ったことを今更ながら書いておきました*3。
<2017/11 了>
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*1:≒正確にはOBで固めないということで、必ずしも実力主義人事と言えないのですけどね。人事方針として広く門戸を開いているということであえて、わかりやすさを重視して「実力主義」としました
*2:※参照ープロ野球特別読み物 小笠原道大よ、谷佳知よ、最初から分かっていたはず
*3:※おまけとして、13連敗してヘッドコーチは据え置き、人事の目玉として吉村コーチの復帰というものがありました。これが何を意味するか?言うまでもありませんね。信賞必罰は組織の基本。失敗の責任を誰も取らないで既存の野球をやろうというのですから何をか言わんや。フロントは鹿取新GMにスイッチしましたが、そもそもGMと高橋監督は同じ慶応閥。その後ろ盾を解任して人事を下手に弄らなかったということは、来年結果を出せなければGMが監督を斬るという意思表示でしょうね