別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

【ボクシング】 JBCの使い込みについて

 短いですがJBCの使い込みの話をメモがてらに。JBCが「健康管理金」(健保金)という選手のケガの際に使う費用が使途不明になっているとか。まあ、不正使用・横領、使い込まれたんでしょうね。一体全体どういう財務管理をしているのか?組織の透明性のかけらもないんですかね?普通、最低でも一年に一回は会計とかチェックするでしょう、その際に問題にならなかったんでしょうか?

 安河内氏という職員をクビにして不当解雇だなんだという裁判があったのは記憶していますが、なるほどそういうことだったんですね。JBCはやはり腐りきっていたということでしょうかね。

 数々の不祥事、通訳がいないとか試合前の不備、特に八重樫の判定発表のミスですね。4R毎に判定がアナウンスされる試合で、その判定が八重樫と相手のポイントを入れ違えて発表されて、リードしていると思って戦術を組み立てようとした八重樫が急遽攻めに転じて…という試合があったことなんかはもう本当に酷いですよね。こういうのを見ると、もうJBCはクソだなと考えてしまうのですが、JBCサイドの反論を聞いてみたいものですね。

 まあだからといってJBCが悪・亀田が善ということにはならないのでしょうけど。いずれにせよ亀田裁判を抱えていて、まあ和解する際に数千万、少なくとも数百万を支払うハメになるでしょうね。そうやって捻出される費用はどこから出されるのでしょうか?亀田が日本で試合を出来なくなった分、心証が悪くなって賠償・和解金が跳ね上がるとかしそうなものですが、どうなのでしょうか?というか裁判なんかやって、その費用をどういう名目からどうやって払うのでしょうね?そんなことをやるための資金があるとは思えないのですが…。年、収入1億6千万円あるとして、その収入を裁判費用に充てるということをボクシング業界の人間・関係者・ファンは納得しますかねぇ?

 まあいずれにせよ、健全な運営をするために一度解体して、変なことやらないように透明化・自動運営化した方がいいんじゃないでしょうか?一定の基準を満たせば、あれやる・これやるというロボットになるだけで十分。ちゃんと試合管理さえしてくれれば十分で変な人を排除してボクシングとは無関係な人に中立に運営してもらうべきでは?余計なことはしないほうがいい気がしますね。

PL休部(廃部)報道への疑問

 甲子園常連のPLが休部、事実上の廃部となりました。これについてヤフーのスポーツ何とかで、問題を起こしたPLについて、問題の本質をえぐることもなく、栄枯盛衰のお涙頂戴・感傷を煽るだけの報道ばかりで、こんなことでいいのか?という記事がありました。誠にそのとおりだと思います。個人的には廃部にして当たり前。問題発覚直後になされるべきだったと思います。PLの女帝が云々で再建が出来ないなんて言う報道を見ましたが、何を言ってるのか…という感じです。部の復活を許さず緩やかな死(廃部)を選択した、その女帝の判断の方がまだ正しいだろうとしか思えませんでした。

 PLといえば桑田・清原ですが、それ以前から(それ以後も)有名なプロ野球選手を多数輩出しています。その人達が部屋子という付き人制、独特の慣習・システムを語ることがあって、その存在はよく知られたことだと思います。 その話を聞くと、いかに上下関係が厳しく歪なものであったか…。本人たちは辛くても、あれで人間形成がされたと肯定的に語る場合もありますが、どう考えても現代的な価値観とマッチしない、歪んだものでしょう。

 前近代的といえばそうなのですが、10年・20年位前の日本ではああいうのが当たり前に通用していた、存在していたということでもあります。上原なんかそういう似たような経験・過去を話して、あっちでは普通に虐待のような理解をされたそうですね、まあさもありなん。

 昔の甲子園ではゴムとタバコの吸い殻でいっぱいだったと愛甲さんが語っていましたが、そういう程度の低い時代があった。そういう時代ですから、それもまあしょうがないのでしょう。しかし現代に至って、もはやそんなことが許されないのは当たり前。なにより先端を走ってきて、特に歪だったPLがそれにメスを入れてこなかったという事実・責任は重いでしょう。

 また、統括する高野連という組織も、それについて何らかの取り組みをすべきだった。しかしに何もしてこなかった。何のために存在しているのかわからない組織ですね。

 PLは女子マネにレイプまがいのことをして、裁判を起こされて負けました。また部内の暴力事件、またいじめなどで事故死とはいえ死者を出しています。これが清原・桑田が部にいた頃に起きた事件だというから驚かざるをえません。

 普通はこの時点で廃部でしょう。高野連の責任もさることながら、報道も異常。廃部にすべきと主張しなかった時点で同罪ですね(特にスポンサーである朝日新聞のそれは重いでしょう)。彼らは甲子園という「感動創出装置」というドル箱を手放せない。大事な商品を傷つけたくないわけですね。利権によって報道の基準を歪める、そんなことで報道機関と言えるのでしょうか?今回のような出来事がこれっきりで終わればいいですが、まあ、なんどでも同じことは繰り返されるでしょうね。

報ステでのイチロー・稲葉対談を見て感じたこと

 そういや、報ステイチロー・稲葉対談見てつぶやいたことがあったので、それをまとめておきます。3月16とか17とか、相当古いものですけどね、まあ一応。野球の話ですけど、野球ブログで書くような話ではなく、しょうがないのでカテゴリで昔の「スポーツ・武術・身体論」=雑記のところにぶち込むしかなくなりました。このカテゴリいずれ消そうと思っていただけに微妙なところですね。まあカテゴリ分けに意味があるとは思えませんが(検索して読む人もいないでしょうし、というか未だに古いものを整理しなおしていませんし)

 

 前回イチローイップスだったことが明かされて衝撃だったけど、今回も良かったですね。ウェイトによって動きが悪くなる。シーズン前にウェイトをガンガンやって身体を太くする。そういう立派な体格になって悦に入って、シーズンに臨むのだけど、動き・キレが悪くなる。シーズンに入れば練習などで、ウェイトをやる時間がない。だんだん細くなって元の体になっていく。そうやってまた数字が上がっていく。*1

 

 バランスを崩した身体ではダメだと、6~7年かかって気づいた。つまりイチローなりに、ウェイトをやって身体を太くする・パワーを付けるというトライアンドエラー期間があったようですね。6~7年もやっていたということは、それなりにプラスもあったんでしょうね。単純なパワー増で飛距離が伸びたとか。また、ウェイトの違うやり方や食事などで色々試して、パワーを増やしたままキレを維持できるやり方を模索した。結局、ウェイト・身体を太くする効果はないという結論に至ったと。

 

 そして、先人の試行錯誤の結果を頭で知識として、知っていたとしても、それゆえに無駄をパス出来たとしても、それは深みが出ないからダメなんだと。さすがイッチですよね。そこにたどり着くまでの過程での失敗こそが、その人間の深みになるのだと。最近鮨職人で正解だけを教えて、本人の試行錯誤をパスして最短で料理人に育てるという話があったんですが、そういう料理人はバックボーンの問題が必ずついてまわりますよね。本人に苦悩の背景がないですから。

 

 まあ、20年のキャリア・30年のキャリア…とか考えずに、「ある程度のレベル」で満足するような人たちにとっては、関係のない話で、己のような大衆にとっては、それはもうどっちも美味しいとしか感じないのでどうでもいいレベルの話になるでしょう。しかし、食通みたいな分かる人、レベルの高い人にとっては相当薄っぺらい、深みのない料理になるんでしょうねぇ。そういうものをトップレベルの料理として出された時、どう感じるんでしょうねぇ…。いろんな事で「なんだこれは…これが○○といえるのか…」と絶望することが多い世の中ですが、食のトップレベルの人はそういう思いを味わっているんじゃないですかねぇ…。

 

 バックボーンの話というと、最近「その人の文章読んで、知識の背景や隠し玉・色んな引き出しが他にあるかないか透けて見える」って話を聞いて、そうだよなぁ~って思ってたので、深く納得しましたね。同じ文章・論文とひとくくりで言っても、その文の表層の理解をするか、その学者の深さ・広がりを理解するかどうか、全然違いますからね。

 

 まあ文章に限った話じゃないんでしょうけどね。それこそ、人を見て立ち居振る舞い一つで、その人の人間を理解できるレベルってのがあるわけですからね。顔見ただけで、相手のレベルがわかるって人がいるくらいですしね。心のつながりがある人間同士ならば、その人の変化は手に取るようにわかるものですし。まあ、維摩居士の微笑みたいなもんですね。そういう機・敏、機を見るに敏ってやつの話を聞いて色々思うことがあったのでそんな話を書いておきました。

*2

*1:そういえば、トラだったかライオンだったか忘れましたが、ウェイトをしないという話をイチローはしていました。それでダルビッシュと真逆で煽られていたりしましたが、この野生はウェイトをしないというのは宇城師範の本を読んだり、または人づてでそんな話を聞いたとかなんでしょうか?初動負荷理論という人、先生の持論だったりするんですかね?まあ、ピッチャーと野手では身体の作り方・使い方が違うのでさほど関係ない気もしますけどね。ノムさんもウェイト反対していましたけどね

*2:アイキャッチ用画像

 

 

【雑誌】 月刊秘伝 2014年08月号

 

月刊 秘伝 2014年 08月号 [雑誌]/BABジャパン
¥1,018 Amazon.co.jp

日本人だけが到達した、身体大改造メソッド和のボディワーク
 自彊術かぁ、聞いたことはあっても、やろうとはあんま思わないですね。動画とかで簡単に見れたり、それこそラジオ体操のように簡単に試すことができるようになると世の中での知名度も変わるんですかね?今でも夏休みのラジオ体操ってやってるのかな?

大相撲 “弓取り" エクササイズ

 藤本さんのボディーワーク解説。三杉里さんの話。目・耳でその場・空間になじませる。TVだとそういう力士のイメージがあるが、自分に集中する力士は以外と多くないのかも?ぶち当たるときに顎を締めるのが重要だが、それを意識すると緊張するので丹田の意識に集中する。相手の目をみることで相手の考えを読む。相手の目という一点に集中することで視野を広げる。で、ぶつかる瞬間にはもう相手を見ないと。足裏を意識することで丹田へのスイッチを入れる。前にこんな話しあった気がするな。弓取り棒は意拳の立禅と同じで、腕・肩・胸の筋膜のつながりを作る。腕は自由な分、却ってつながりを失いやすいとのこと。

啓進会:武術的体を得る〝体内アンテナ〟の作り方

 杖の話、腕をだらりと下げて体軸を揺らす。その僅かな力が杖に伝わって回転運動へと繋げる。力がいらない。また、同じく腕・杖をだらりと下げて背・胸・腰を開く、そうすると自然に腕が上がると。

氣道 長谷川淨潤:〝敏感〟なる和身体の作り方

 氣道の長谷川氏のセルフケアの話。骨盤を丸める・反るではない「締める」位置を探すこと。正座で一番反らせた状態でだんだん丸めていき、腹圧が一番かかるところを探すと。自動運動、身体の動きたい所を探して動きたいように動かす。弓の阿波研造も晩年やっていた。立位でもやるとのことですが、そういえば軸タンブリング効果もあるんでしょうな。もともとは古神道の行法だと。確かに神降ろしのようなものに見えますからね。

追悼文

 糸東流・無外流居合兵道の塩川氏が亡くなられたということで追悼記事があるのですが、無外流・極真の岡崎さんでいいのでしょうか?追悼文を書いてらっしゃるのは。無礼な外国人をボッコにして骨折させたとか、無礼な男をキメて謝らせたとか、そんなこと書いて大丈夫なんでしょうか…。「大丈夫だ、見ときなさい」って師範が言ってたって全然ダメでしょう、素人にそんなことしたら。達人言われる人は80だとか年齢関係ないわけですからね。当然そうされるだけの背景があったとは思いますけど、誤解されちゃいますよ。

高岡英夫の漢語由流体操「腰仙揉溶法 6」

 仙骨を自在に操れた谷風。背骨から腸骨・股関節・周辺の筋肉まで仙骨を主導として自由自在にコントロールできた。沖縄の三線の早弾き名人の手の動きよりも早く腰を動かして踊ってみせた。魚類の波動運動の根源は尾ビレ≒仙骨で力を生んでいる。魚類=原小脳で脳もひらかれると。仙骨は手よりも素早く力強く、かつ全身をダイナミックに操作する事ができる。
 第一法、擦重発展法。ある程度の固さがあって、摩擦がある床に寝っ転がって腰を解きほぐしていく。腰が固まっている人、腰塊になっている人は動かすことすら出来ず、自由脊椎を動かしてことたれりになってしまう。腰の構造を探索して理解していくこと。

スコット・メレディス博士 太極拳講座 掤パワーを獲得する立禅トレーニング

 マサチューセッツの人の太極拳の話です。研究はよろしいですが、中国語や日本語の文献をちゃんと読めるんでしょうか?そこらへんの文献をきっちり抑えていないのならば、本書いて大丈夫?という疑問が出てきますが…。

沖縄小林流空手道 研心会館 横山和正 両手を攻防同時に使う古伝空手の技法"夫婦手"の原理と用法

 横山さんのはレポートでしたね。新規、目につくものはなし。

平直行 武術のパラダイム・シフト 最終回

 弟子の怪我は師匠の恥。妻が三尺下がって歩くのは襲われた時のため。物を持った奥方が後ろから投げつけて、その好きに切ると。しかし、男連れの場合はどうしたんでしょう?同じ武士とか忍者なら良いんでしょうけど、素人だった場合は三尺下がって歩かせたんでしょうかね?

渡辺誠 深読み武道の古典 最終回「猫之妙術」

 猫の妙術の話があります。この話、ホント好き。

中島章夫 強くなるための技アリの動作術

 中島さんの、歩きの話。履物で人の足は弱くなる。靴やアスファルト以外の条件を考慮しない、何にでも通じる基本的な歩き方フラット接地(無論状況によっては応用して変化させないとダメだろうが)。抜き足・踏み足・差足、ちゃんと歩いて重心移動をスムーズにすると、相手は抑えようとしても止められないと。差足、太極拳形意拳などの中国拳法特有の腰を深く落として、足をシャッと前に出す歩法ありますよね。あれ腰・股関節をフリーにする・使うための歩法っぽいですね。

 最後、太極拳の天野さん。大東流の話(武田惣角・佐川幸義)があります。なんか大東流関係者がカチンときそうな気がしないでもないような感じの文章に見えますが、大丈夫ですかね?合気揚げは振り棒からきたもの。重い棒を振り下ろすのを空中で止めるのは腕力だけでは無理、下から止める力が必要。その力をそのまま合気揚げに応用できると、なるほどたしかにそうですよね。

書評―【前編】 勝利をよぶ身体 誰も解き明かせなかった最強格闘家11人の「極意」/高岡 英夫

過去記事の再掲です。元は11/01に書いたものです。
勝利をよぶ身体 誰も解き明かせなかった最強格闘家11人の「極意」/高岡 英夫

¥1,785 Amazon.co.jp


 ―を読んだので書きますね。目次・構成は以下のとおりです

第1章 吉田沙保里―なぜ「タックルの女王」なのか
第2章 白鵬―「後の先」を追求する男
第3章 エメリヤーエンコ・ヒョードル―皇帝の秘密
第4章 桜庭和志―野生の強さを持つ男
第5章 ヒクソン・グレイシー―均整美から生まれる極意
第6章 藤原敏男―蹴撃の魔術師
第7章 山下泰裕―ヘーシンクとならぶ「柔道の巨人」
第8章 マイク・タイソン―サイエンティフィックな野獣
第9章 アントニオ猪木―格闘芸術の創始者
第10章 ブルース・リー―男がしびれる天才

 この本自体は『超人のメカニズム』の再販なんですね。前三人が追加で、あと削られた人もいるみたいですが、そういえば以前読んだなぁと、でも加筆もあるので楽しめました。

吉田沙保里
 吉田沙保里はサイボーグ。特定の条件に設定された身体になっていてそこに無限の強さを発揮する。つまりレスリング専用に身体および意識を磨き上げたというわけですね。多層な五段がさねの『流舟』が怒涛の推進力・圧力をもたらす。彼女の前に立つとグリズリーが立っているように感じる。※流舟は上方への浮き身と前方への推進力をもたらす身体意識

 人間は腰があって、直立が出来る。四足動物は腰がない。ゆえにあれほど早く動ける。彼女はこの流舟によってタックルの遊び・逃げが生じずにスピーディで強力なタックルが出来る。さらに相手はタックルを潰そうと上から覆いかぶさってくるので、それに負けないように首から上に上向きに流舟がかかっている。またタックルは基本的に相手をいったん上へ持ち上げるものだから流舟が作られると。

 揉合系の人間が発達する手の身体意識『パーム』が重性となって発達している。普通は相手に力を出させないようにするため、やわらかくあったかくなることが多いが、彼女は重性。相手がどうあろうがお構いなしに、力でふんづかまえてやろうということ(こういうのってやっぱり彼女の性格に基づくのだろうか?やさしい性格の人だったら、なんというかやっぱりなるべく相手に気遣って、前者のような柔らかく・暖かく相手を無力化していく構造になるんじゃないかな?)。このパームが手の三倍力のある足に対抗して相手をふんづかまえる基。
 小沢一郎も豪腕といって、この
重性のパームが発達しているという。周りの政治家をがっちり捕まえて逃がさないんだとか。その割にはどっかいくやつ、いうことがわからない奴はどっかいけよっていう気質があると思いますけどね。

 彼女はタックル以外優れた技術はあまりない。しかしタックルを決めてしまえばそれで勝てるからそれで十分。こういう突き詰めた方針を選んだ。一度決めたらこうだと突き進むセンター。彼女の中丹田は下丹田の四倍、体積で言うと十倍で、「燃えるお姉さん」という感じ。日本女子レスリングの快進撃は彼女という精神的支柱が背後にあった。

 中丹田にある『温球』は彼女に敵を捕まえる時、猛獣が久しぶりにご馳走にありつくような高揚感を与える。男性が愛しい女性を抱きしめるような高揚感らしい。以前宇城師範の温球という話があって、気になっていたが、こういう感覚になるのかあ…。妄想していれば、
温球が発達するのかな?(笑)。よし、たくさんの女性・異性を抱きしめる訓練をしましょう!(^ ^;)。吉田はタックルすると同時にこのような高揚感が味わえるから、タックルというスタイルを選んだ。宮本武蔵も斬るときに快感、というか天にも昇るようなすばらしい気持ちを感じていたはずだと。

 かかと中心で、相当足首が柔らかいはず。彼女の『肩包面』『アーダー』はやわらかく、動くように発達するのではなく、高速タックルがあるがゆえ。その後の相手を捕捉するために重い・硬いものを作り出すようになっている。本来レスリングならもっとやわらかい方が有利だが、
高速タックルを主軸とする彼女ならではのもの。相手をネジ倒すのにはこっちの方がいい。

白鵬
 白鵬は対照的に吉田のような先の先ではなく、後の先を目指す人間。格闘家は普通中丹田が発達して下丹田の倍あるのが普通なのに、
白鵬中丹田は丹田よりも小さくなっている。しかも上丹田が発達しているから、落ち着いて冷静で、どっしりしているイメージを与える。先の先は中丹田が発達している者向き、後の先は下丹田。普通立会いという運動を考えると遅れて立つことは考えられないロス。それを可能にする身体意識の装置ならではのもの。

 下丹田は双葉と比べ物にはならない程度。朝青龍と比べても全体的な身体の柔らかさは劣る。しかし部分で見ると柔軟性、力士に必要なモチモチ感がある。
上腕から肘にかけて赤子が抱くような姿勢を普通とるが、かれはそり気味になる。だからたまに懐に入られる。同時に堂々とした姿勢となり、相撲ファンを魅了する(連勝ストップの敗因はまさにこの懐に入られたところだしなぁ)。

 発達したセンターに『ウォール』が彼を背後から支えている。だから普通の力士はものすごい圧力を感じる。背後に壁を背負ったような感じになる。これによって遅れて立ってもあたり負けない。その分相手を観察して多彩な駆け引きの立会いを有利に進められる。初日や序盤に土がつきやすいのもスロースターター、身体意識の特徴から来るもの。ウォールがあるがゆえに、多くの人が見ている緊張しやすい場所でも、普段のような状態を保って結果を出せる。白鵬は不調でも並の力士の会心の当たりが出来、好調なら三倍近い当たりになると。

 第四軸センターはしっかり通っているが、第三軸が腰の辺りで途中で切れている。下丹田が発達しているゆえに中丹田が下に引っ張られて下がっている。さらに発達した上丹田に天の気が降りてきて胸にまで入ってしまい、それがさらに
中丹田を押し下げている。貴乃花よりはるかに身体意識は発達しているが、中丹田は彼より弱い。双葉に近い身体意識をしており、まねるようになってから近づく傾向に拍車がかかった。騒がしい相撲協会を安定させるために彼のような横綱がいるのはいいこと。


ヒョードル

 ヒョードルは背後にぬりかべのように重さと厚みがある身体意識が発生している。これが攻撃力の要となっている。ガードポジションで相手にコントロールされる状況でも、普通なら殴りにこない間合いでも、ヒョードルは殴りにいく。それができるのは、このぬりかべディレクターゆえ。普通はガードポジションで思いっきり殴ると、相手にコントロールされて躱されて拳をグランドぶつけて怪我をするリスクがあるから出来ない。

 彼を相手にすると言い知れぬプレッシャー、壁が迫ってくれるようになって、精神的に圧迫される。それでヒョードルは優位に立てる。ウォールが炎のように燃え盛っていて、相手は火を持っている相手と向かい合っているようになる。これでもヒョードルは優位に立てる。精神性、駆け引き、以上に格という点で、ヒョードルを格上の存在にする。

 ヒョードル中丹田が左右に二つ、重性になっている。こういう構造はうつ病患者しか持っていないもので、いわゆる胸がふさがるという状態になっている。そして、その代わりにセンターのように縦に中丹田が細く形成されている。よって「氷の皇帝」といわれるように格闘家に付き物のファイティングスピリットのようなものが薄い。こういう人物が世界最強の男として君臨している例を見ると必ずしも、中丹田は丸い形状でなくてもいいと思わせる。それほど独創的。縦型楕円型というのはあっても、軸化したものは見たことがなかった。縦になるということは重力に沿って最小限になること。つまり無駄がないようになる。彼の闘争心は最小限の必要なときだけに向けられる。

 上丹田から天性の気をシャワーをあびるようにおろしており、冷静に考えられる。観察できる。客観的に危ないような状況でも、冷静に判断・対処ができる。考えなくても相手から受けた打撃などで本能的に感じられる。中丹田も必要最小限だから、それによるマイナス面、かーっと熱くなって無駄なことをしてしまうということがない。セコンドが判断するような指示が必要のないほど判断力が突出している(危ない!というところでも一瞬で立てなおして試合をものにしてしまうというのが見た限りで二回くらいありましたから、そういうのを可能にする優れた頭脳という点でもヒョードルは注目すべき存在なんでしょうね)。

 宇宙、下天から天性の気を導入するのはジョーダンジダンと同じ。戦う種目でないから、二人には氷という通称はつけられなかった(もし二人が格闘家なら氷の~という通名がついたのでしょうか?まあ、ロシア系の特徴という気がしますけども、氷の云々は)。元揉合系の選手だからパームが発達しており、センターに上丹田が発達しているので、微妙な重力バランスが瞬間的に体で判断できるために、組み技、投げ技に強い。関節も非常に無理がなく極められる。タックルなどに対抗するために下半身も重性、剛性が発達するのが普通だが、彼はここまで天性の気に支えられている。

 恐ろしい顔の作りをしているのに、闘争心を感じさせず、天性の気が入っているため得も知れぬ魅力となっている。強大な身体意識の発達が顕在意識に訴えかけて、マシントレーニングのまずさを理解させている。彼は
マシントレーニングをやっていない。

 首・胸・腰に同心円のような蛇・爬虫類型ディレクターがある。これによってぐにゃぐにゃとした動きができる。これは後述の桜庭と同じ。攻撃力に目を奪われがちだが彼はディフェンス能力が非常に高い。それはこの柔軟性
、蛇・爬虫類型ディレクターが可能にするもの。ヒョードルの身体意識の発達、独特性はまさに60億分の一にふさわしい物。

【桜庭】
 桜庭は熱性の意識を下、脇から入れるのではなく上空から入れている。だから「お日様」のような温かい顔・表情をする。50年前くらいの少年がよくこういう顔をしていた。

 チューリップかスイセンのように腰のディレクターが発達している。これを仙骨動流と呼んでいる。仙骨の意識が非常に発達しており、自由自在の腰の動きが可能。切れ上がったり、下がったり常に動いているからやってる方は捉えどころがない。奇想天外なパフォーマンスはこの腰に基づく。腰の意識が脳にまで届いており、彼は腰に脳がある状態。この腰の身体感覚から思考が生まれてくる。さらに前述どおり熱性の意識で人に暖かさを感じさせる。面白さと暖かさと強さがあいまっているのが桜庭の魅力。

 鉄人ルー・テーズを連想させるウォール。これにより強力な投げ・組みが可能。自由自在の腰とあいまって、相手は捉えようがなくなる。ウォールは下突き、剣の切り上げに使われる(桜庭は打撃が得意ではないが、このウォールの使い方を覚えれば、打撃でも強力な打撃が使えるようになるのでしょうか?)。

 頭にかかっている二重のウォールは蛇や鰻のように頭を動かせる。これは原人や猿人に似ている。原生林などで動く動物が発達させるもの。普通蛇など人間より早くても、平地なら倍程度しかない。しかし密集した森ではそのスピードは10倍近く開く。動きながら障害物をよけることが普通人間には出来ない。桜庭の身体意識はこういったものに近く、四足動物的。だからグラウンドやそこに移動する過程に非常に強い。総合は移行過程が多いから、非常に有利になるだろう。

 優れた身体意識を持っているから、彼もまた筋力トレーニングの限界に気づく。DS的に見てヒクソンと桜庭がやれば、ヒクソンが勝つ。体調が悪ければ、桜庭が勝つこともありうる。貴乃花千代の富士という本来強大な壁になる存在にぶつからなかったため、その後の成長があまりなかったように、ヒクソンは桜庭にとっての壁になってほしい。負けても桜庭が成長するきっかけになる。センターが通れば畏敬を集める存在になる。腿裏が弱く、前方力がない。前方の圧力があれば、もっと強くなれる。追記で今後の桜庭に期待できると書いてありますが、個人的に全く期待できないと考えるのは己だけだろうか。ファンだからこそぼろ負けする桜庭は見たくないんだけれども…。

ヒクソン
 ヒクソン・舟木戦から。互角の攻防を繰り返して結果に至るものではなく、終始ヒクソンが圧倒して終える結果に。舟木も優れた選手だが、ヒクソンの整った均衡美の身体意識とば差があった。体幹部はヒクソンがヘビなら、舟木は丸太.それくらい開発度が違う。ヒクソンは『ベスト』が発達しており、ローターという使い方で、
マウントで体幹部を崩さずパウンドできる。手打ちで効くパンチを打つことが可能。

 以前より発達した
『肩包面』と『心田』により浮き落としができた。舟木は自分で立ってるつもりだったはずだが、ヒクソンに組まれた時点で浮き上がってしまっていた。だからあっさり倒されたように見える。上丹田の発達が少し弱いから表情が落ち着かなく見える。もっと発達したらすばらしい格闘家として成長する。

 マットに寝たあとから汗をかき始めた。これは熱性のエネルギーを取り入れたことによる。そのあと格段に動きが良くなった。組み合うことがさらにヒクソンの構造を良くする方向に行ってしまった。ロープ際の攻防がないほうが良かった。

 身体の使い方という点で桜庭は良い勝負をする。柔軟性、腰・立ち技で桜庭が優れている。しかし『ベスト』が弱く、フィニッシュに持っていく力がヒクソンのほうが優れているので、ヒクソンが勝つだろう。桜庭はベストが弱い。

あと半分、あるので分割します。

※誤変換があまりにも多かったので修正しました。

書評―「ゆるめる」身体学/高岡 英夫

※元は11/01に書いたものです。本家の方に読書カテゴリに入っていたのをこちらのスポーツ・身体論に移しました。ついでに再掲。

 

「ゆるめる」身体学/高岡 英夫

「ゆるめる」身体学 ゆるめれば本当の自分に出会える (なんかDMM取り扱い復活してますね。)


 「ゆるむ」とはマイナスの概念ではない。筆者は「ゆるむ」という言葉を肯定的に使い、一般的に悪いイメージで捉えられるだらしない状態を「たるむ」と定義する。そして一流アスリートは例外なく「ゆる」んでいるとする。これまではリラクセーションとコンセントレーションが程よくマッチしているときが最高のパフォーマンスが出来ると考えられていた。それぞれ50%と50%になって、最高のパフォーマンスが出来るとされていた。ところが実際は違う。実際はリラクセーションとコンセントレーション、脱力(安寧状態)と集中は矛盾しない。最高の状態にあるとき、同時に両方ともMAXの状態になる。両者はゼロサムではない、ノンゼロサムである(~p24)。
 さらにいろんな学問に触れて、人間の歴史、ものの見方は固定的なものの見方から、変動的なものの見方に移行している。すべては一定的なものから、より自由なゆるんだ方向へ向かうとする(p28)。そういえば、ソシュールの言語記号学を応用した著作が、氏の第一作だったと記憶しています。呼んでいてさっぱりわからなかったが、ゆる体操において無意識・潜在意識にアプローチしようとするところや、身体意識という新しい概念に名前をつけるところなど、筆者の言語学に対する関心が伺えますなぁ。
 「ゆるむ」と人間の根底である能力、ベースが高まるため、色んなことがうまくいくようになる。体の調子がよくなるということはすべてにプラスに取り組む意欲をもたらすから、好循環をもたらすことになる。

 一章ではさらに「ゆるむ」ということを掘り下げる。「ゆるむ」ということは水分が体内の水分が十分にあって、動いている。これによって身体の活動が活発になっている状態。対照的に「固まっている」ことは、その水分が止まってしまっているために、うまく身体内の細胞の交換活動がうまくいっていない状態。
 代謝がうまくいっていると、筋肉・骨・臓器それぞれ全てが良くなり、活発に活動すれば、身体はクタ~っとして、ダラ~っとして見事に動くようになる。(~p39)
 また「ゆるむ」ということが身体の良い状態をさすのにいかにふさわしい言葉であるかという説明。「固まる」と「ゆるむ」を反対の概念として捉え、ゆるめば、締まるとたるむを適切にすることが出来るふさわしい状態になり、固まればそれが合理的に出来なくなるパフォーマンスが低い状態となる*1。つまりゆるめば、最高のパフォーマンスを発揮できる状態となり、固まってしまえば何も出来なくなるという概念である。筋&神経&脳の関連でさえもその領域内にある。ゆるんでいれば見事にこなせるし、固まっていれば出来なくなる。運動どころか普段の生理活動にもそれは及ぶ。単なる運動パフォーマンスの範疇で収まる話ではないと(~p42)。
 ゆるんでいる度合いが高い人間ほど、休んでいるとき活発に身体の活動がなされているから、身体の回復も早い。当然精神面に与える影響もいい。また、シーズンオフに一流アスリートが、何の変哲もない出来事から身体の動かし方を閃いたりすのもゆるんでいるから。脳のゆるみが高いから、気づきが閃きにかわりやすい。

 二章で人間がいつ固まっていくのかという話。人間というのはいつこのゆるんだ最高の状態を失っていくのか?それは赤ん坊の首が据わるときと、立つとき。このときに、首と腰に人間のもっとも強い拘束が生まれる。これを拘束背芯拘束腰芯という。どんなアスリート・芸術家でも、訓練してもここの拘束・塊が取れず、整体師など治療をする人間もここを治せない。筆者は「火事の火元理論」と名づけて、一番火事の度合いがひどいところが逆算して火元であるというロジックから、一番早く・長く締まり続けたところこそ、拘束の始まった場所であると考えた。それが赤ん坊における通常の人間の生活を可能にする首が据わる、ハイハイをする。座る・立つという過程であると考えた(~p50)。
 こうして人間は成長するにつれ、固まっていくのである。この大きな二つの塊、拘束が身体全部に伝播していく。三十歳になると、「なんか最近からだが動かないなぁ」となるのは、その拘束が全身に及んだ結果。高齢になると固まるを通り越して、長く萎縮する。そして最終的にひどくなると寝たきり状態になる。この固まるという加齢減少を、メタボリックのように重要な問題だとして「加齢性全身拘縮症候群」と名づけた(~p53)。
 優れた経営者も、所作・振る舞いに固まったところがない。ゆるんでいることが良くわかる。マイケル・ジョーダンはイカ・タコのようにベロベロ・グニョグニョで動いている。氏の教えを受ける陸川選手は、ジョーダンの動きを実際に間近で見て本当にイカ・タコのようであったと語った。そして佐川幸義師範に触れ、練体という修練は身体の奥深いところまでゆるめきる、宮本武蔵のいう水の動きの教えにそったものだったろうと類推しています(~P56)。己は佐川幸義師範を扱った本の写真を見たことがあります。動いていない映像から凄さを知ることは出来ないのですが、天地投げの写真がありまして、その写真からエネルギーが写真からはみ出るような印象を受けました。写真の枠を突き破るくらいの巨大な空間を持っているという感じがしました。こりゃすごいな~と直感したのを覚えています。映像が残されていたらなぁ…人類の財産になったでしょうにね。残念ですね。
 赤ん坊のときから既にたるむ・締めるが上手い下手という違いが出る。ゆるめば快適、固まれば不快という状態になる。まことに神が与えたすばらしいシステムとしか言いようがない。イチローはある時期筋肉をつけるウエートトレーニングにいそしんだが、固まってしまう。稼動域が狭くなってしまうから止めた。何より不快であると感じたからこそウェイトを止めた。それを感じ取って決断できるところが流石である。そしてどんな天才、イチローであってもゆるむ努力を怠れば、人間は固まってしまう。母親のおなかにいるときから、母親のゆるんだ環境というものが大きく出生を左右するが、後天的にも十分にゆるめる事は可能である(~p60)。
 能動的な方法(ヨガ・ピラティスとか)であれ、受動的な方法(マッサージ・温泉・癒し全般)であれ、快・不快に基づいて判断する脳が身体をゆるめる工夫をせよ!となるシステムはかなり少ない。ゆるめることとたるめることの区別がつかない。ゆるむ快適を学習すれば、無意識に作業をしながらでも身体の固まった部分をゆるませて、快適を探すようになる。身体をゆるめる快適さと、脳がゆるむ快適さの学習によってベースアップ・性能アップすることは絶えず相関して向上していく。受動的な方法では決してそのような効果は起こらない。能動的に緩めることを学習する必要せがあると。また能動的な運動でも、逆に身体を痛めつけてしまうことがある。だから、モゾモゾ・クネクネさせる搖解運動をやる。つまりゆるめ、ときほぐす。波動運動だから、局所ではなく、全身を使うから部位だけでなく、全身がゆるめられる。この搖解運動で固定的なものと液体的なものが動かされる。そうすると洗濯のもみ洗いのように効果的に代謝を促進すると。
 野口体操・こんにゃく体操・わかめ体操・金魚体操など搖解運動はこれまでもあった。ゆる体操はそこにさらに徹底的に各部位を、そして全身をゆるませようという意図が込められている。


 三章はゆる体操を導入して実績をあげた地域の実例。さするという効果の話です。さすれば、人は気持ちよくなって動き出すようになる。己も最近さするという快が実感できるようになりました。さすると血流が良くなって、ガス交換が活発になるんでしょうね。また身体は使う部分と使わない部分でむらがどうしても出来てしまう。その偏在性を均一化するのにいいんでしょう。きっと。

 

 四章では、ボート・バスケ・陸上・スキーなど教えた実体験からの効果の説明です。

 

 五章、精神の話。心身はつながっている。ゆるんでいる身体は必然的に精神もタフにする。優れた身体を持つ人間はなぜ、精神的に優れているのか?大舞台でも緊張せずに本来の実力を発揮できるのか?それを「ストレス許容スペース説」という仮説で説明している。身体が固まり、コリだらけで不快になれば、その分許容範囲が小さくなる。体幹の随意筋は、本来自由に動かせるはずなのに、固まって動かせない人が多い。それが改善されるとイライラしにくくなる。実証して確かめた。またスタートをレース直前で変えなくてはならなくなっても3位に入った末続の例をあげて、無意識にかかったプレッシャーを、その優れた体幹部の運動=心の許容範囲が広いことではねのけることを可能にしたと分析する。ストレスを肉体がカバーして、カバーしきれなくなると心身症になって壊れる。心の許容範囲を超えると心身ともにダメになると。


 六章で、脳の話。脳が当然十全に活用されなくてはならない。その効果。頭脳的な面でいかに役立つか。


 七章、社会不適合者・ニートはたるんでいるのではない。固まってゆるめなくなっている。現代教育は締まることを強調しすぎており、締まりすぎてゆるめなくなる。前述どおり、締まることもたるむことすらも、そもそも出来ないのである。現代教育はニート・およびその予備軍を育成している。昔の教育はそもそも、締まることがない環境を前提に作られた。ところが現代は初めから締まった子供が生まれ・育つ。たるむ環境がそもそもない。よって、教育環境の前提がそもそも崩壊してしまったのだろう。一番重要なことは社会が成長しているのに、教育現場は一向に成長・向上しない。突き詰めれば変化しないからこういうことになっているんだけれども。


 八章、さらに教育について、自由式か管理式か。アメリカは自由式を放棄して管理式に移行。これは成功するか?同じく、ルールに適応できない・ドロップアウトした子供というのはゆるんでいない、環境に適応できないのである。子供に指導をするとたいてい、すぐなじむものなのに、やはりそういう子はできない。厳しい教育で立ち直らせる教師は締めるだけでなくたるませるのも上手いから成功する。


 九章、高齢化対策。筋トレは改善することはあってもつらいから続かない。何より設備が無駄でバカ高い。そして筋力を高めても、本来の身体の使い方が下手なのは変わらない、様々な改善効果がない。快適になれば人は動き出すというすばらしい効果がない。筋力のブレーキ成分、マイナスに働くものを除去することが先。快適で動きも良くなる。


 十章、少子化、婚活。ゆるむと出産が快適になる。また結婚・出産・育児・さらに仕事という負担がかかるそれが、女性にとって負担と感じなくなる。本来出産というものはこの上なく快適なもののはずである。

 

 十一章、サッカーの話。氏のサッカー分析は面白いので是非、読んでみてください。当然ブラジル・欧といったトップ選手と根本的に身体能力の前提が違う。ゆるみきった柔らかな体がまずないから、サッカー技術以前にそこで負けてしまう。中田は筋力トレーニングからゆるみをなくしてダメになっていった。若くして引退したのは前述どおり、固めた身体では、精神に負担がかかる。かれはこんちくしょうと、精神でがむしゃらにやっていた。だからバーンアウトしてしまった。小野・中村・稲本らは中田よりゆるんでいる。だからこそ、中田のように努力で動いている人間は彼らを歯がゆく感じる。もっと努力しろ!となってしまう。

 最後はゆる体操の話です。いかに効果が高いか。超ローコスト・ハイリターン。苦労しない、快適になる、心身両面にわたって効果が期待できる。全人間の根源となる、基礎の力を開発するわけだから。いるだけ、歩くだけでも快適になる。対照的に本人は気づいていなくても、快適でないということは、潜在意識・無意識で何千・何万という針が常に刺さっているような状態となる。
 男ばっかりに好まれていたが、ゆる体操は女性に受け入れられた。部分脳活動ではなく、全脳活動であり、女性が向いている。擬態語を使うとなんかムズムズするというのはいかに脳をリンクさせていないかという証拠。全脳をリンクさせて使えるものだけが真のリーダーとなる。ダジャレは本来難しいはずの内臓を意識してコントロールするというアプローチを簡単にする。
 現代人は例外なく身体の使い方が下手。最高潮のイチローでさえ、まあまあという段階。つまり人間の身体というのはそれほどまでに奥深いということ。

 自然というものはたるむ・締まるを見事に繰り返している。自然というもの、現象そのものが見事にゆるんでいるのである。近代の固めようというのは、その自然に対してほんの短いわずかな時間、たまたま上手く言ったに過ぎない。ゆるむという話は地球規模での話し、人類的な話である。

*1:筋肉はつきたてのおモチのようにならないといけない。力を抜いた時はどこまでも柔らかく、使うとき・力を入れるときは見事に固まるというのが最高のパフォーマンスを出す筋肉であるという説明を何処かでしていましたね。脱力状態のおモチ状態が、たるんだ状態であり、筋力を発揮させる時が締めた・締まった状態ということでしょうね

左投手には左打者をぶつけるのがセオリー +森はなぜ日ハムに弱いのか?

更新してなかったのでだいぶ前の話になりますが、左投手には左打者をぶつけるという話を。交流戦入って交流戦の話を書きたかったんですけど、先にこちらを消化。

 ※タイトルに森が入ってますが、なぜ森が打たれるのか?という理由は書いてませんのでご注意ください。単にその話に触れているだけです。

 よくファンの間で誰が1番で誰が5番とか打順談義になることがあります。個人的にはまるで興味がありませんが、出塁率の高い中村晃を1番にという話題がよく出てきます。

 晃が7番に座ることで、3番柳田からのクリーンナップでジグザグ打線を組める。また、ランナーを貯めてしまったところで一番打ち取りにくい、アウトを取りづらいバッターを迎えることになるので相手投手が嫌がる。相手投手が打線を処理するときに一発がないとはいえ嫌だなぁと思う、晃7番がベストだと思います。

 ノムさんも打線は1・4・7のイースーチーが大事。三凡で終わった時に、次の回の先頭打者になりやすいのがこの打順。ここに誰を置くかが打線のキーだと話していました。1・2回三凡という嫌な流れの時に、先頭打者中村晃が仕事をしてくれる。色々な指示を出して実行して上位につなげる緒を見つけてくれる。まあそういう意図があるのでしょう。工藤監督は「バントでもエンドランでもできる、取れる手が多いから中村くん」という話をしていましたけどね。

 

 とまあ、7番中村晃にはそんな意図があるわけですが、そういう戦略性があるのにもかかわらず、中村晃を1番に置く事がありました。5/18&19ファイターズとの対戦で、吉川・加藤という左投手に1番晃をぶつけていきました(その後の西武戦、多和田・野上にも1番晃を続けましたので、左投手の時だけ晃を1番にする。右の時はしないということでもないようです。好調中村晃で生まれたリズムでそのまま次の試合に挑むというパターンも、もちろん今後も見られるでしょう)。

 去年優勝した後で南原さんのインタビューで「吉川選手に対してどうして左バッターの中村晃選手が1番だったんでしょうか?」という質問があって、工藤監督は「詳しくは言えないけど、左投手には左打者に投げられない球種がある」という話をしていました。ほう、では一体何が投げられないんだろう?吉川投手が中村晃に投げられない球種とはどんな球なんだろう?とチェックして試合を見ていました。

 工藤さんは1番晃だけでなく、2番牧原大成をおいて、1~3番まで左打者をぶつけるという徹底ぶり。必ず吉川・加藤は崩せるという確信があったと見ていいでしょう。実際、吉川は5回で、加藤は2回持たずにKO。

 牧原はそこまでハマったわけではありませんが、晃が吉川から2安打、そして柳田が1安打・1四球と考えると対策は成功したと言っていいでしょう。

 では、投げられない球種とはなんなのか?丁度その日ハム戦で左投手の和田が先発だったので、彼の配球もチェックしてみたのですが、おそらく左打者のインコースですね。左投手は左打者のインコースに狙ってストライクを投げられない。全球チェックして1試合でインコースでストライクを取れるのはゼロではありませんが、あって2・3球ほど。どんな制球力のある投手でも、狙ってインコースでストライクを取ることは難しいのでしょう。そこにストライクを狙ってとれる制球力を持つ投手はいないと見ていいかと思います。
 (※追記、そんなことを書いていたら先日巨人の今村投手と対戦した試合で、彼は左でも普通にインコースでストライクを取っていましたね。ボール球でも良い、決まったら決まったでいい位の感覚でやってるかどうかはわかりませんが。またそれ以前に全体的なコントロールはないので、インコースでストライクを取る以前にアウトロー中心の制球力を磨かないといけない。左投手の生命線であるアウトローの制球ができないのならあんまり意味が無い気はしています。まあ左打者へのアウトローがきっちり投げられて、かつインコースにもコントロールができるというのがポイントなので、今村投手のようなケースはあまり考慮にいれる必要はないケースかと思います)

 左打者のインコースに投げられない。つまりそこを捨てればいい。外や真ん中をマークしておいて、ゾーンを狭めればいいので対策が楽。特に中村晃のような穴の少ない打者にとってはやりやすいことこの上ないわけですね。

 どの投手か忘れましたが、同じくロッテの伊東監督も左投手相手に1番岡田を当てていました。またウチと対戦したとき、左投手帆足相手に左打者を並べてKOされたという試合がありました。名監督たちにとっては一つのセオリーなのでしょうね。左投手に左打者をぶつけるというのは。

 

 ―とすると、これまでよくある左投手相手に右打者をぶつけるというのはなんなのか?またその逆は?俗に采配でそういう傾向がある監督を「左右病」と批判することがありますが、根底から間違っているのか?

 無論、そんなはずはなく、工藤監督だって代打で左投手には右打者をぶつけて、右投手には左打者をぶつけます。これは役割分担ですね。相手投手がいくら嫌orやりやすいとはいえ、打者にとっては球の出どころが見やすい方がいい。またどういう時にどういう相手とぶつかるのか決まっている方がやりやすい。そのための準備を普段からしっかりしておく―というのが現代野球のセオリーですからね。自分の都合を考えるか、相手の都合を考えるか、その違いでしょうね。

 では、左投手に左打者は絶対的に優位にあるのか?左投手が左打者のインコースでストライクを取れないにしても、ボール球は当然あるわけですね。身体の近くにくるボールを避けない訳にはいかない。インコースを捨てても、デッドボールの警戒は当然いるわけですね。

 ストライクを取れないからといって、じゃあインコース投げませんとやってしまえば、おもいっきり踏み込まれてしまいますので、打者の体を起こして外のボールを遠く感じさせるためにインコースをボールゾーンに投げること自体はしますから。また、左投手の球の軌道は左打者にとって見にくく、顔の付近に来るのでは?と恐怖を感じますからね。森福投手はそれを最大限に活かしているからこそ対左のワンポイントとして機能するわけですからね。

 また昔書きましたが、左投手のアウトコースというのはキャッチャーが左手でボールを捕る分、目の錯覚でどうしてもゾーンが広くなりやすい。よって、外の出し入れだけで勝負できるわけです。左打者はアベレージヒッターが多くて、パワーヒッターはそんなにいない。大怪我する可能性が少ない左に心理的に優位に立てるという要素もあるでしょう。

 まあ要するに、どんな左投手でどんな左打者かという当たり前の事が大事になるわけですね。またその日に打撃コーチがどういう攻略法で臨むかというのも大きいでしょう。狙い球をどういうものに絞るか、また誰が粘るかなどそういう要素でも変わってくるでしょう。「とりあえず左投手だから左打者を並べておけ」ということではダメなのは言うまでもないですね。

 結局のところその前提を踏まえた駆け引きがポイントになってくるわけですね。左投手VS左打者のときは、ストライクの取れないインコースをどう使ってくるのか―というのを観戦のポイントにするとより面白く試合を見れるのではないでしょうか?

 ※追記、忘れていましたが、宮西が復帰して投げた時に、左打者のインコースにスライダーを投げてストライクを取っていました。いわゆるフロントドアですね。左で狙ってインコースでストライクを取れるとなるとこれはかなり厄介。宮西はウチに弱い・打ちやすいPだと以前書きましたが、そうだとばかり言えない可能性がありますね。今後もあのフロントドアが投げ切れるのか注目したいと思います。

 

 もう一つついでに、日ハム戦での森の話をしておきたいと思います。森は春先は良くないシーズンが続いているので、開幕以後そんなに状態が良くなかった。ちょこちょこ打たれてセットアッパーとして不安定な時期が続きましたが、5月に入って気温も上がってきて状態が良くなってきて、もう大丈夫だろうというふうに見ていましたが、5/19の日ハム戦で3ランを浴びて負けのきっかけを作る投手になりました。

 4/1静岡、4/23のヤフオクドームの日ハム戦で負けています。今シーズン日ハム戦で実質3つ負けていることになりますね。防御率を見るとオリックスで1.46という数字がありますが、他には0.00で、日ハムだけ6.75と突出しています。去年もハムと楽天だけ防御率が高かったですね。どうしてか日ハムには弱いようですね。

 まあ、中継ぎで自責の数字を見ても、他人が出したランナーを返さないという重要な点が反映されないのでなんとも言えないのですが、今年日ハムで3試合まずい試合をしているのは事実。

 一年目・新人の時は、カット気味に投げることで、微妙に動かすことでシュート回転しない。失投を投げないということで非常に有名だったのですが、去年くらいから、そして今年は特に甘く行くボールが増えるようになりました。まあ要するに経年劣化ですね。毎年安定して数字を残せるスーパーな中継ぎは数少ないですから、それは仕方ありません。

 また、去年までいた吉井コーチがハムに復帰したことで何らかのクセがバレていて、読まれているなども考えられますね。とりあえずは日ハム戦にあまり森を使わないこと。楽な場面優先で使うことでしょうね。

 谷口に3ランを浴びた試合などは、前回フィールディングが遅れたために内野安打に繋がり、結果スクイズで勝ち越しを許してしまったという小さなミスが有ったので、フィールディングを意識して微妙に感覚が狂ったんじゃないでしょうかね?一発のない相手ということで多少甘く行っても構わない、力押しでいけるという感覚で行ったところ、そこを痛打されてしまいHRになってしまったという感じでしょうか(確かスリーノーでストライクを取りに行ったんだったかな?)。

 今年11試合ファイターズとやっているわけですが、引き分け展開・シーソーゲーム展開が非常に多い。ワンサイドは北九州の2‐7のゲームくらいですね。あとそれと城所が3ラン打って6‐2で勝った試合だけですね。2点差が2試合、引き分けが1試合で、残り6試合は1点差ですね。

 際どい展開・場面ばかりで投げるようになれば、それは当然打たれる確率が上がるわけですね。しかも延長ということになれば、いつどこで自分が投げるのかわかりづらいわけですよね。森のファイターズ戦の登板に限っては、時間をいつも同じ時間にするorイニングの頭からにする。必ず7回以降で使うなど準備がしやすいようにした方がいいでしょうね。

 今シーズンイニング跨ぎが目立つので負け覚悟で使うしかない場面は別ですが、もうちょっと減らしたほうが良いかと思います。貯金があるのですから無理せずにキツイ場面でも岡本などを使って、中継ぎ陣の疲労を減らすことを考慮した方がいいでしょう。星野・嘉弥真なども負け覚悟で入れ替えることも考えるべきではないでしょうか?

 去年と違って中継ぎの投入が早い。そして6回で森福ではなく、森なの?というところで森を使って打たれるというのはブルペン担当の吉井コーチがいなくなって、リリーフ投手の調子がちゃんとつかめていないのでは?また、中継ぎ陣をドンドン使ってしまえという方針に歯止めがかけられなくなっているかもしれないので怖いところです。

 森は去年四球を10しか出していないのに、今年は既に9個。かなり状態は悪いと考えるべきでしょうね。また左打者に.360と被打率が高い。これをどうするか考えないといけないでしょうね。五十嵐もいない今、なかなか頭が痛い話ですね。