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書評―「ゆるめる」身体学/高岡 英夫

※元は11/01に書いたものです。本家の方に読書カテゴリに入っていたのをこちらのスポーツ・身体論に移しました。ついでに再掲。

 

「ゆるめる」身体学/高岡 英夫

「ゆるめる」身体学 ゆるめれば本当の自分に出会える (なんかDMM取り扱い復活してますね。)


 「ゆるむ」とはマイナスの概念ではない。筆者は「ゆるむ」という言葉を肯定的に使い、一般的に悪いイメージで捉えられるだらしない状態を「たるむ」と定義する。そして一流アスリートは例外なく「ゆる」んでいるとする。これまではリラクセーションとコンセントレーションが程よくマッチしているときが最高のパフォーマンスが出来ると考えられていた。それぞれ50%と50%になって、最高のパフォーマンスが出来るとされていた。ところが実際は違う。実際はリラクセーションとコンセントレーション、脱力(安寧状態)と集中は矛盾しない。最高の状態にあるとき、同時に両方ともMAXの状態になる。両者はゼロサムではない、ノンゼロサムである(~p24)。
 さらにいろんな学問に触れて、人間の歴史、ものの見方は固定的なものの見方から、変動的なものの見方に移行している。すべては一定的なものから、より自由なゆるんだ方向へ向かうとする(p28)。そういえば、ソシュールの言語記号学を応用した著作が、氏の第一作だったと記憶しています。呼んでいてさっぱりわからなかったが、ゆる体操において無意識・潜在意識にアプローチしようとするところや、身体意識という新しい概念に名前をつけるところなど、筆者の言語学に対する関心が伺えますなぁ。
 「ゆるむ」と人間の根底である能力、ベースが高まるため、色んなことがうまくいくようになる。体の調子がよくなるということはすべてにプラスに取り組む意欲をもたらすから、好循環をもたらすことになる。

 一章ではさらに「ゆるむ」ということを掘り下げる。「ゆるむ」ということは水分が体内の水分が十分にあって、動いている。これによって身体の活動が活発になっている状態。対照的に「固まっている」ことは、その水分が止まってしまっているために、うまく身体内の細胞の交換活動がうまくいっていない状態。
 代謝がうまくいっていると、筋肉・骨・臓器それぞれ全てが良くなり、活発に活動すれば、身体はクタ~っとして、ダラ~っとして見事に動くようになる。(~p39)
 また「ゆるむ」ということが身体の良い状態をさすのにいかにふさわしい言葉であるかという説明。「固まる」と「ゆるむ」を反対の概念として捉え、ゆるめば、締まるとたるむを適切にすることが出来るふさわしい状態になり、固まればそれが合理的に出来なくなるパフォーマンスが低い状態となる*1。つまりゆるめば、最高のパフォーマンスを発揮できる状態となり、固まってしまえば何も出来なくなるという概念である。筋&神経&脳の関連でさえもその領域内にある。ゆるんでいれば見事にこなせるし、固まっていれば出来なくなる。運動どころか普段の生理活動にもそれは及ぶ。単なる運動パフォーマンスの範疇で収まる話ではないと(~p42)。
 ゆるんでいる度合いが高い人間ほど、休んでいるとき活発に身体の活動がなされているから、身体の回復も早い。当然精神面に与える影響もいい。また、シーズンオフに一流アスリートが、何の変哲もない出来事から身体の動かし方を閃いたりすのもゆるんでいるから。脳のゆるみが高いから、気づきが閃きにかわりやすい。

 二章で人間がいつ固まっていくのかという話。人間というのはいつこのゆるんだ最高の状態を失っていくのか?それは赤ん坊の首が据わるときと、立つとき。このときに、首と腰に人間のもっとも強い拘束が生まれる。これを拘束背芯拘束腰芯という。どんなアスリート・芸術家でも、訓練してもここの拘束・塊が取れず、整体師など治療をする人間もここを治せない。筆者は「火事の火元理論」と名づけて、一番火事の度合いがひどいところが逆算して火元であるというロジックから、一番早く・長く締まり続けたところこそ、拘束の始まった場所であると考えた。それが赤ん坊における通常の人間の生活を可能にする首が据わる、ハイハイをする。座る・立つという過程であると考えた(~p50)。
 こうして人間は成長するにつれ、固まっていくのである。この大きな二つの塊、拘束が身体全部に伝播していく。三十歳になると、「なんか最近からだが動かないなぁ」となるのは、その拘束が全身に及んだ結果。高齢になると固まるを通り越して、長く萎縮する。そして最終的にひどくなると寝たきり状態になる。この固まるという加齢減少を、メタボリックのように重要な問題だとして「加齢性全身拘縮症候群」と名づけた(~p53)。
 優れた経営者も、所作・振る舞いに固まったところがない。ゆるんでいることが良くわかる。マイケル・ジョーダンはイカ・タコのようにベロベロ・グニョグニョで動いている。氏の教えを受ける陸川選手は、ジョーダンの動きを実際に間近で見て本当にイカ・タコのようであったと語った。そして佐川幸義師範に触れ、練体という修練は身体の奥深いところまでゆるめきる、宮本武蔵のいう水の動きの教えにそったものだったろうと類推しています(~P56)。己は佐川幸義師範を扱った本の写真を見たことがあります。動いていない映像から凄さを知ることは出来ないのですが、天地投げの写真がありまして、その写真からエネルギーが写真からはみ出るような印象を受けました。写真の枠を突き破るくらいの巨大な空間を持っているという感じがしました。こりゃすごいな~と直感したのを覚えています。映像が残されていたらなぁ…人類の財産になったでしょうにね。残念ですね。
 赤ん坊のときから既にたるむ・締めるが上手い下手という違いが出る。ゆるめば快適、固まれば不快という状態になる。まことに神が与えたすばらしいシステムとしか言いようがない。イチローはある時期筋肉をつけるウエートトレーニングにいそしんだが、固まってしまう。稼動域が狭くなってしまうから止めた。何より不快であると感じたからこそウェイトを止めた。それを感じ取って決断できるところが流石である。そしてどんな天才、イチローであってもゆるむ努力を怠れば、人間は固まってしまう。母親のおなかにいるときから、母親のゆるんだ環境というものが大きく出生を左右するが、後天的にも十分にゆるめる事は可能である(~p60)。
 能動的な方法(ヨガ・ピラティスとか)であれ、受動的な方法(マッサージ・温泉・癒し全般)であれ、快・不快に基づいて判断する脳が身体をゆるめる工夫をせよ!となるシステムはかなり少ない。ゆるめることとたるめることの区別がつかない。ゆるむ快適を学習すれば、無意識に作業をしながらでも身体の固まった部分をゆるませて、快適を探すようになる。身体をゆるめる快適さと、脳がゆるむ快適さの学習によってベースアップ・性能アップすることは絶えず相関して向上していく。受動的な方法では決してそのような効果は起こらない。能動的に緩めることを学習する必要せがあると。また能動的な運動でも、逆に身体を痛めつけてしまうことがある。だから、モゾモゾ・クネクネさせる搖解運動をやる。つまりゆるめ、ときほぐす。波動運動だから、局所ではなく、全身を使うから部位だけでなく、全身がゆるめられる。この搖解運動で固定的なものと液体的なものが動かされる。そうすると洗濯のもみ洗いのように効果的に代謝を促進すると。
 野口体操・こんにゃく体操・わかめ体操・金魚体操など搖解運動はこれまでもあった。ゆる体操はそこにさらに徹底的に各部位を、そして全身をゆるませようという意図が込められている。


 三章はゆる体操を導入して実績をあげた地域の実例。さするという効果の話です。さすれば、人は気持ちよくなって動き出すようになる。己も最近さするという快が実感できるようになりました。さすると血流が良くなって、ガス交換が活発になるんでしょうね。また身体は使う部分と使わない部分でむらがどうしても出来てしまう。その偏在性を均一化するのにいいんでしょう。きっと。

 

 四章では、ボート・バスケ・陸上・スキーなど教えた実体験からの効果の説明です。

 

 五章、精神の話。心身はつながっている。ゆるんでいる身体は必然的に精神もタフにする。優れた身体を持つ人間はなぜ、精神的に優れているのか?大舞台でも緊張せずに本来の実力を発揮できるのか?それを「ストレス許容スペース説」という仮説で説明している。身体が固まり、コリだらけで不快になれば、その分許容範囲が小さくなる。体幹の随意筋は、本来自由に動かせるはずなのに、固まって動かせない人が多い。それが改善されるとイライラしにくくなる。実証して確かめた。またスタートをレース直前で変えなくてはならなくなっても3位に入った末続の例をあげて、無意識にかかったプレッシャーを、その優れた体幹部の運動=心の許容範囲が広いことではねのけることを可能にしたと分析する。ストレスを肉体がカバーして、カバーしきれなくなると心身症になって壊れる。心の許容範囲を超えると心身ともにダメになると。


 六章で、脳の話。脳が当然十全に活用されなくてはならない。その効果。頭脳的な面でいかに役立つか。


 七章、社会不適合者・ニートはたるんでいるのではない。固まってゆるめなくなっている。現代教育は締まることを強調しすぎており、締まりすぎてゆるめなくなる。前述どおり、締まることもたるむことすらも、そもそも出来ないのである。現代教育はニート・およびその予備軍を育成している。昔の教育はそもそも、締まることがない環境を前提に作られた。ところが現代は初めから締まった子供が生まれ・育つ。たるむ環境がそもそもない。よって、教育環境の前提がそもそも崩壊してしまったのだろう。一番重要なことは社会が成長しているのに、教育現場は一向に成長・向上しない。突き詰めれば変化しないからこういうことになっているんだけれども。


 八章、さらに教育について、自由式か管理式か。アメリカは自由式を放棄して管理式に移行。これは成功するか?同じく、ルールに適応できない・ドロップアウトした子供というのはゆるんでいない、環境に適応できないのである。子供に指導をするとたいてい、すぐなじむものなのに、やはりそういう子はできない。厳しい教育で立ち直らせる教師は締めるだけでなくたるませるのも上手いから成功する。


 九章、高齢化対策。筋トレは改善することはあってもつらいから続かない。何より設備が無駄でバカ高い。そして筋力を高めても、本来の身体の使い方が下手なのは変わらない、様々な改善効果がない。快適になれば人は動き出すというすばらしい効果がない。筋力のブレーキ成分、マイナスに働くものを除去することが先。快適で動きも良くなる。


 十章、少子化、婚活。ゆるむと出産が快適になる。また結婚・出産・育児・さらに仕事という負担がかかるそれが、女性にとって負担と感じなくなる。本来出産というものはこの上なく快適なもののはずである。

 

 十一章、サッカーの話。氏のサッカー分析は面白いので是非、読んでみてください。当然ブラジル・欧といったトップ選手と根本的に身体能力の前提が違う。ゆるみきった柔らかな体がまずないから、サッカー技術以前にそこで負けてしまう。中田は筋力トレーニングからゆるみをなくしてダメになっていった。若くして引退したのは前述どおり、固めた身体では、精神に負担がかかる。かれはこんちくしょうと、精神でがむしゃらにやっていた。だからバーンアウトしてしまった。小野・中村・稲本らは中田よりゆるんでいる。だからこそ、中田のように努力で動いている人間は彼らを歯がゆく感じる。もっと努力しろ!となってしまう。

 最後はゆる体操の話です。いかに効果が高いか。超ローコスト・ハイリターン。苦労しない、快適になる、心身両面にわたって効果が期待できる。全人間の根源となる、基礎の力を開発するわけだから。いるだけ、歩くだけでも快適になる。対照的に本人は気づいていなくても、快適でないということは、潜在意識・無意識で何千・何万という針が常に刺さっているような状態となる。
 男ばっかりに好まれていたが、ゆる体操は女性に受け入れられた。部分脳活動ではなく、全脳活動であり、女性が向いている。擬態語を使うとなんかムズムズするというのはいかに脳をリンクさせていないかという証拠。全脳をリンクさせて使えるものだけが真のリーダーとなる。ダジャレは本来難しいはずの内臓を意識してコントロールするというアプローチを簡単にする。
 現代人は例外なく身体の使い方が下手。最高潮のイチローでさえ、まあまあという段階。つまり人間の身体というのはそれほどまでに奥深いということ。

 自然というものはたるむ・締まるを見事に繰り返している。自然というもの、現象そのものが見事にゆるんでいるのである。近代の固めようというのは、その自然に対してほんの短いわずかな時間、たまたま上手く言ったに過ぎない。ゆるむという話は地球規模での話し、人類的な話である。

*1:筋肉はつきたてのおモチのようにならないといけない。力を抜いた時はどこまでも柔らかく、使うとき・力を入れるときは見事に固まるというのが最高のパフォーマンスを出す筋肉であるという説明を何処かでしていましたね。脱力状態のおモチ状態が、たるんだ状態であり、筋力を発揮させる時が締めた・締まった状態ということでしょうね