別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

部活顧問はブラック 署名拡大

―という話を見て、思いついた話。身体論とは違うのですが、部活動という枠組みでスポーツ的な話としてこっちに持ってきました。
 部活の顧問になると休日が潰れる。毎日の授業の後も無駄に拘束される。手当なんかない。自分に部活の顧問をする・しないの選択権があればいいが、実際はそうではない。教師・教職がブラック化するので問題だと。まあ、どこかで聞いた話ですよね。

 そんなことは誰もが知っていると思うので、おいといて、一部の強豪校とかスポーツ枠、吹奏楽みたいなのもある種そういうスポーツ化していると思いますが、そういうアマチュアでトップに君臨すると美味しい思いをする。そういうトップはまあ、そういうメリット・見返りがあるのでいいとして、そうでない微妙なライン。全国に行くわけでもないところや、それこそ地区大会レベルの弱いところもある。それでも部活動でのさばる体罰教師のような人間がいる。

 強いところはともかく、変な体育教師だったり、部活動で熱血する手合がいる。これはなぜか?ふと思いついたんですが、己の子供の頃はファミコンスーファミ・プレステとか当たり前にありました。しかし、そうではないわけですよね。己世代の部活の顧問をしていた人間というのは。かなり普及していたとはいえ、テレビすらない家庭の人間がいた世代。

 そういう世代というのは、日常的にビデオすらないわけですよね。ビデオがある=自分で選択して好きなモノを見られるということ。漫画とかゲームが当たり前にある人間にとっては、それを楽しむ時間が何より大事なわけですね。ところがそういうものがない世代の人間というのは、そういう感覚がないわけですね。「時間の感覚」がない世代の人間。三つ子の魂百までではないですが青年期の価値観がそのままで固まっている人間は多い。

 拘束されるのが当たり前、また単純な球技だったらともかく、部活動以外にまともに道具を使って遊べないという人間がたくさんいた。部活に参加させてもらえることが嬉しい・楽しいという価値観なわけですね。だから問題を起こして謹慎・部活に参加できないということが罰になるわけで。時間がくさるほどあって、何も出来ないという世代の人間は、時間が大事という感覚がないわけですね。ですから決定的に価値観が違うために若者と衝突する。

 「顧問をやりなさい、若人に経験を伝えなさい。タダで」―ということを平気で言えてしまう人間というのは、そういう古い世代、まあ老害と言える人が上にいるということが意外と大きいのではないか?と思いましたので、そんなメモ。

 で、まあそろそろファミコン・ビデオ世代の人間が部活の顧問をやるようになって、話がかわってきているということだと思うんですけど、全国レベルだと行動様式は変わらない。利権がありますからね。そういう所以外は部活のブラック化はなくなるとして、強豪校などのみブラック化が残る。強い=ブラックが必要!みたいな問題になることも考えられますよね。

 また、いやファミコン世代だけど部活大好きだぞ!みたいなケースも当然出てくるでしょうね。無論、若い人間に技術を伝える=やりがいがあるという人がいることは当然ですし、それはそれで素晴らしいことだと思いますので、その人の価値観に文句をつけるつもりはありません。そのやりがいを、オレがこんなに苦労しているのに、お前たちは何だ!と生徒に押し付けさえしなければ素晴らしい話でしょう。

 まさにそういった倒錯したおしつけをしてくる顧問の部活だったので最悪でしたねぇ~。そういう人間は時間も、情熱も、無償で伝えている!そんな自分は偉い、だまって俺について来い!メンタリティなので救いようがないですね。部活をやめると内申書に響くので辞めたくてもやめられない人間には最悪でしかないのが部活でしたからねぇ。

 そんな部活なんかやらないで、家庭・子育てとかで時間使うほうがよっぽど有意義だろうにと今更感じますけど、そういう人って、家庭に居場所がないんでしょうね…。同時に「家庭」という概念がない世代ですからね…。さまぁ~ずの二人が、うちの親父が話しているところを見た覚えがないと言っていましたが、まあそうでしょうね。近代化して、家庭・家族・親という観念が育ってない時代の人間なんで、家でどうしたら良いかわからないんでしょうね。親父が子供とキャッチボールするという事例もなくはないでしょうが、子どもといい関係を築いている親父って本当レアでしたからね。

 ついでに、家庭に居場所がない。健全な私生活を保てていないから、バランスがおかしくて何かあるとキレてしまうという小林よしのり西部邁の対談であった、そんな話を思い出しましたね。

 そんな部活動の顧問がなぜ狂った人間・人間性を欠如した人間が多いのかという話でした。君たちはどうしたい?じゃあそうしよう―と生徒・教わる側に主導権をきっちり委ねられない人物というのは指導者として失格ですよね。まあどんな分野にも限った話ではないのですが。なぜ自分が主導権を持ちたがるのか、これがわからない。歪んだ自意識・承認欲求で、素晴らしい指導者になりたいという欲求・エゴがあるからなんでしょうけどね…。そういう気持ち悪い教師・スポーツ指導者を排除しなければ、いつまで経っても社会も変わらないし、世界で通用するアスリートも雨後の筍のごとくでてこないでしょう。