別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

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二刀流は昔からあったという話

 二刀流が戦国時代から存在していた、他の流派にも存在しているという話を聞いて思ったこと。

 二刀流といえば宮本武蔵なわけですけど、それ以前にもっと古流の二刀流というのが存在したと聞いて、へぇ~となりました。二刀流というのは当然、統制を重要とする戦場では存在しようがない。刀振り回しまくって、味方を傷つけかねませんしね。まあ、個人の膂力なんか関係なく、集団として力を発揮するために軍隊はあるので、「個」より「集」としての実力を発揮することが重視されるために、二刀流以前にそもそも剣技自体が制限されますからね。

 「集」としての突破力や、機動力が戦場では重要なので、剣技とかぶっちゃけどうでもいいですね。敗戦での退却戦、散り散りになってなんとか生き延びないといけないような状況になってはじめて発揮される感じですかね?剣術とか個々人の力量は。

 昔の絵巻なんかに、二刀流の人の絵が結構ある。乱戦というか規模の小さな村とか若い男の集団、ヤクザじゃないにしろそういう規模の闘争だと、割りと二刀流というのはポピュラーな闘争方法だったかもしれないですね。私的な闘争でかつ「一対多」(「少対多」でも行けるのかな?)という極めて稀な状況に向いたものということになりますけどね、二刀流は。それ故にまあマイナーにならざるをえなかったということでしょうか。

 あとはゲリラ戦的な時ですかね?潜んで戦うのなら、飛び道具のほうが有効かな?あと、二本振り回すよりも、こっそり裏に回ってサクッとやるのが向いているから、ゲリラには向いてないかな、やっぱり。

 武蔵以前以後の違いが気になりますね。二刀流の戦い方は武蔵の登場で大きく変化したって気がしますね。それとも武蔵のような二刀流は一般人には出来ないので、武蔵は例外として極小数の達人がやることで、参考にならないという感じになったのでしょうか?まあ、殆ど剣一本で戦っていたので、あんまり二刀流論議は起こらなかったのかな?真里谷円四郎だって一本ですしね。

 それと、泰平の世になっての時代・環境の変化というのも、「武蔵の二刀流」に与えた影響は大きそうですね。諸国を巡り渡る際の危険に対処する技法&為政者が多数の民衆をコントロールするという思想がその剣の背景・哲学としてあったでしょうし、自ずと武蔵の技法は異なったものに変化せざるをなかった気がしますねぇ。武蔵自体が仕官して、世の変化を感じるうちに、そういう剣理や剣法を盛り込んだとしたら、面白いですね。