別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

【雑誌】 月刊秘伝 2013年12月&2014年01月号

月刊 秘伝 2013年 12月号 [雑誌]/BABジャパン
¥1,018 Amazon.co.jp


 三瓶さん、横隔膜を落とすことで三角形を作ると安定するとか。長年の武道修行で一時歩けなくなったと。まさに高岡さんが言ってた事例ですね。

 
大東流・心技清榮舘の蒔田さんの四方投げの話。四方投げは四方八方に投げられるというところから、四方投げという名前がある。柔術で力・速さで四方投げをやるのには、危険性が潜む。合気でやるとその危険性は存在しなくなる。合気でかけて初めて完成するのだと。合気で掴まれた瞬間相手を極めて、動けなくさせる、相手の力を感じて誘導して投げる。また剣を握ったまま、そのまま四方投げで投げる事もできる構造になっている、剣術の理合が反映されていると。確かに剣術を使う、武器を使うがゆえに相手の手首を取りに行くという前提が多いですからね。
 合気と柔術の違い、合気が相手と接触しただけで被制御状態にする術、柔術が関節などを極めて相手をコントロールする誰にでもできる技と区別するとわかりやすいですね。


漢語由流体操
 人間の身体運動はクランク運動構造と擬似流体運動構造に分けられる。境目は明確ではなくバリアブルに変化していく。擬似流体運動構造では、腕を前に伸ばすという単純な運動でも、体幹・足裏まで、すべての部位を使い、直近の部位が逆方向に見えるような運動をしながら、足裏にまで及びかつ前腕に帰っていくという動きをする。土台自体が動いていくというもの。人間の認知は、動・不動の差異があるほど、その認知をしやすいようになっている。土台が動いて固定される部位がないと、その差異が小さくなるので認知されづらくなる。
 何気ない箸の上げ下げにも擬似流体とクランクの違いが存在する。出会った第一印象で何か硬い感じがする人と柔らかい感じがする人がいる。そういう違いにも現れると。擬似流体だけではなくクランクも鍛えないといけない。そうでないと全身の関節をきちんと使いこなさずに肩など特定部位を通り越して、動かしやすい自由脊椎などだけをもって擬似流体ができたつもりになってしまうと。
 ああ、確かにきっちりすべての関節を使いこなせているか?特定部位だけゆるんだことをもってOKという感じになっているなぁと改めて気づきました。もっとちゃんと取り組まなきゃ。


 平さん、目突き・金的があろうが格闘技と同じ状況ならやられないと。なんで格闘技の舞台が前提なんですかね…?実際の格闘技でのスピードを知らなければ、やりあいで技を出せない。一発貰うとそれだけでビックリして頭がついていかなくなる。素人は怖いから、一発で終えたいために、大振りになる。プロは大振りが当たらないことを知っているからそういうことはない。
 今から殴るよと言って、動いちゃダメですよという言葉で潜在意識を操り避けなくさせた。そういう技術がある。真剣白刃取りはできない、見世物だと。心眼流は相手が勝手に中断してくれる無刀状態に落としこむ。
 ―ということはやれば出来るということ?どっちだ?「石火の間」火花が散る一瞬で全てを済ます。基本は暗殺術なのかな?気配を殺すすべを磨く。意識を移して隙を突く、対角線を利用して相手の目線を動かすということかな?遠ければ遠いほど死角になるってことっぽい。


 廣木さん、稽古会で一緒に稽古していた保護観察中の元暴力団組員が犯罪を起こした話。困っていた社長さんを救おうという彼らなりの義侠心だった。純粋に格闘技に打ち込んでいたのにという思いが拭えない…と。オレコイツと結婚するつもりなんだと彼女を紹介した時の照れた顔が忘れられないと。そして今では保護司をしているとのこと。こういう話があるからこそ、廣木さんに深い共感と尊敬の念を覚えますねぇ、バックボーンがしっかりしている、関心が格闘技とか武術関係の狭い枠組みではなく、広く一般社会に及んでいるんですよね。そういうところまで考えているから、実践しているから、高い認識力を持っているなぁと感心させられますね。
 ムエタイ首相撲から膝蹴りと間合いに対する技術がしっかり完成されている、だから立ち技最強と言われる。間合いを潰して相手が首相撲に来たところを肘を中心に、膝蹴りに来たところを狙って相手を崩すと。


 藤本さん、本気でゆっくり動く。普段の所作では脳の指令10に対してフィードバックされるのは1程度、それを10:10に引き上げる。指令を先行させると頑張っても5程度にしかならないので、自分の思うようにはならないということを意識するのがコツ。人差し指をゆっくり動かす、自分の意志ではなく、そこが動き出すようにする。
 これは導入でやり続けるとなれてまた5くらいに比率が落ちるので、次のステップに。次は目をつぶって片足立ちをする。また指ゆっくりをやると、軸が通って安定する。これは神経系のスイッチが入ったため。次は歩きながらの人差し指ゆっくり、左右同時も行ってみる。また左右の指、また足の指でもいい身体同時2箇所で膜モードに入る。
 目を閉じて指三本の腹で眼球を感じる、視神経は繊細なので注意、気分が悪くなったら即中止。両耳を引っ張りながら目をゆっくり動かす。これ凄い難しい…。また舌や膝をゆっくり動かすワークがあると。


 近藤さん、示現流兵法書に、肩甲骨の間にぶつける、骨合いというものがある。重心のバッティングだろうと。また腕や肘を脇・肋骨から離すなという口伝もある。自分の意志ではなく、身体の意志で抜刀すると。
 初動で最高速度を達成するために反発力を利用する。テーブルに指をおいてその反発力を利用して動かすと目に止まらない早さになる。足でも同じ。居合では脇・肋骨、鍔・柄・鞘で行う。



月刊 秘伝 2014年 01月号 [雑誌]/BABジャパン
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 全然関係ないんですけど、表紙見て内田さんってアナゴさんに似てるなぁと思いました。似てない?

 柳川先生の痛みや恐怖を克服する話、まあ常人離れしているので参考にはならないですかね。出来そうにないことをやるというのが共通してることでしょうかね。恥ずかしがり屋を克服するために全国の神社で大声で祝詞を唱えたとか。入り身で失敗して痛い思いをする、それは躊躇したから。躊躇しなければ出来る。凄い理論ですね。心をコントロールすれば出来る!って論理ですからね。当てるまでは無意識、当てるところ短勁から意識。


 廣木さん、強さを求めるのは弱さの裏返し。恐怖を克服するために強さを求めているのでしかなかった。剣の間合いは相手を斬る間合いであり、そこに入れば、自分も斬られる、そのリスクは格闘技の比ではない。当然斬られないことが大事になる。「怖いから傷つける」から「怖いから自分の心をコントロールして引き分ける」に変える。剣先にトリモチをつけて相手の武器を無力化する、コントロールする。相手を傷つけないという方法を取れば、危険な間合いに入ることがないので恐怖をコントロールしやすくなる。
 自閉症知的障害の子供を持って、その悩みを誰にも話せずに悶々としていた頃、喧嘩をふっかけていた大男にあう。仲裁に入ったのは助けようとしたのではなく、自分の心の憂さを晴らすため。叩きのめしてやろうと思った。ところが何故か喧嘩にならず、酒を飲むことになり、打ち解けた。その人は大工の親方で離婚して一人娘に会えなくなってしまったと。自分も何故か子供の悩みを素直に打ち明けられて、気が楽になったと。いい話ですねぇ。

 障害児のパニックは、心のサインだといういい文がありますが、これは子供だけでなく人間全てに通じることではないでしょうか。


 女性の武道、
山本由紀さんが女性でママでも妊娠しても極真空手に打ち込む話があります。弱いもののために武道・武術は存在するという一面がありますが、女性に絞ったそれというのはなぜないのでしょうか?廣木さんの傷つけないという発想から発展していったように、女性が妊娠・出産そして加齢にともなう心身の変調まで視野に入れた武道体系が発達していってもおかしくないと思うのですけどね。女性の場合は何よりも美しさというのが求められますし、ママさんバレー・バド(バ道=スポーツ)から始まって、美道になり、武道へとつながっていくとかどうでしょうか?最初のバ道は苦しいですけどね(^ ^;)。


 護身道、左右の受け身で苦手な方がある。苦手な方でも意識的に得意な方に揃えてやれば整えられる。カギ手で相手に手を掴まれても簡単にコントロールされなくなる。掴まれても足は動く、相手は掴む手に意識を集中しているから、残りの部分で出来る事があるという状況判断をしっかりすると。カギ手で自分の目を隠すことで相手に意図を悟られにくくする。掴む時相手が自分に乗っかってきてくれる。その力を利用すればいい。


漢語由流体操
 溶粘歩動法、腕振りを肩・肘から肩甲骨・鎖骨そして肋骨と振る部位を奥にシフトしていくと、自然と腕振りは小さくなる。全身の運動量が変わらなければ、内部の運動量の増大にあわせて自然と外部の運動量が減るために、腕振りは小さくなる。寸勁が物凄いパワーなのに、腕があまり動かないというのがその代表例。中が動いて外は動いていない。
 全身の組織文化に最も適した運動。この部位をゆるませる、より巧妙に使うためには~と悩む必要がない。下腿膝擦法は一応全身に波及するとはいえ、逆側の足はそのまま動かない。脊椎まで組織分化してもそこから肋骨・腕には及ばない。しかし溶粘歩動法にはそのような制限はない。突き・蹴り・斬りという競技をすることに伴う、特定部位を固める把捉性拘束も起こらない(武器を持つときの握り、投げる時掴んだり、突きなど固まる瞬間が多いということですね)。ペアとなってそれぞれの動きを検証しあうことと。


 平さん、幼児・老人が指先を動かすことで歩く機能が良くなる。靴で指先が動かない・開かないと運動能力が育たないと最近わかってきたとか。体重が一点で指先にかかると、指先が蝶番のように働き、足底が浮く。つま先を使ったほうがいいのはわかりますが、つま先>踵のテストとして、飛び降りる時踵からというのはちょっと強引な気がしますね。だったらつま先のみで踵をつかわずに、検証するべきでしょう、条件が同じではないのは無意味な比較だと思います。あと、踵を使えないという状況なら、腰を落として股を開いて膝・股関節でショックを吸収するようにするんじゃないでしょうか?
 踵に乗っても体重はかけない。足裏三点、石灯籠図、○△○□に身体がなっていく。身体の負担が少なくなって、驚くほどズムーズに体が動くようになると。