別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

【雑誌】 月刊秘伝 2013年10月&11月号

DVD付き 月刊 秘伝 2013年 10月号 [雑誌]/BABジャパン

 松田先生への追悼がありますが、もっと特集記事があった気がします。特集はもっとあとかな?発勁という言葉を紹介した時、発勁は神秘化、ありもしないものを用語を用いて世を惑わしている!という批判があったとか。へぇそんな時代があったんですね。

 茂呂隆さんの発勁、当・震・零という三段階の解説が面白いと思いましたね。エネルギーを送り込むとか、最近考えていることとぴったり合うので。推進力・遠心力・呼吸力(+α)の段階と。


 
溶粘歩動法(体幹内をグニャグニャとろとろの感じで徹底的にゆるめる)、ウォーキングと違って、故障・事故・病気などのリスクがない。ウォーキングよりもその場歩きを選ぶ人は少ない。動物である以上、動き回りたい。ウォーキンの方が景色を楽しめるってのもあるでしょうね。
 しかし
溶粘歩動法は四段(最高位十段で)にもなれば、一生天寿を全うして歩けるというメリットが有る。また体幹の揺動土台化によって四肢だけを動かすという低いレベルから、達人・名人レベルに到達する道を開く効果がある。毎日三十分、半年で劇的に変わる。少ない時間でも、分割して何セットかにわけてやっても構わない。30分やりましょう、ただし一日一時間以上はやる効果が無いと。
 動かないから軸を鍛えられる。テレビなどみながらでもいい、忙しい現代人に最適。「ながら」でOK。ウォーキングに取り組む普通の人は何も考えずに意識が低い。そういうところが武術愛好家がウォーキングを敬遠する理由でもあるが、静止して行えば自己の観察に集中できる。スキルアップに集中できると。
 体幹内部の活性刺激力がバツグンに高い。血管の筋肉・平滑筋をゆるめて若返らせることが出来ると。確かにじんわり汗ばんでくるのでそういう効果が高いという気がします。


 平さん、指先の骨には窪みがある、それで相手の骨に引っかけて掴む。相手の骨を捕らえるとまさに「骨抜き」になる。訓練を積み重ねていくと、手や足が三次元に変化していくとか。


 今度はキックボクサーとけんかする廣木さん。スパーから喧嘩にシフトして、とっさに歩道に乗り上げてミドルキックでカウンター気味に頭部にヒットして勝ったと。相手は上位ランカーで、スパー・リングなら絶対負けてた、喧嘩の分勝てたと。
 蹴りの目付けは股関節、そこを見ておけば蹴りが来るか察知しやすいと。安全圏・接続圏・制空圏という間合いの考え方。手を前に出してボックスを作る、そのボックスで相手と自分を四点結びする。接続圏で脚上げをすることで相手の蹴りを封じ、そのまま制空圏に入っていくと。脚上げという技法は、あくまで相手の認識の空白期間を利用して蹴りを封じる、相手を居着かせるためのもの。蹴りではなく、歩法であることに注意と。


 藤本さん、毎回思いますけど、インタヴュアー失礼すぎでしょ(笑)。自分で動くことと動かされること。普段動くのは当然自分主体で10:0の状態、それを他者に動かしてもらうことで0:10にする。比率をだんだん均等にしていって5:5の状態にすると自分で動いているか、動かされているか分けがわからなくなるカオス状態がくる。いつもと違う動きに混乱して、このとき運動プログラムの書き換えが行われると。
 指の第三関節を持って自分で動く&動かすをやる。その5:5の感覚、ニュートラルな状態を、さざ波として全身に伝えると。顎関節・肩関節・股関節、眼球でも同じことが出来ると。さざ波を全身に伝えて、外の空間まで伝わるように意識すると癖のない自然な動きが身についていくと。


 天野さん、目付け。焦点を合わせながら、その焦点ではないところを見る。目の端を見る。まさに目端が利くというやつ。そして焦点をあわせること自体を放棄して、入ってくる。全部丸ごと受け止めるように見る。組手で相手の顔・喉元何かを見ながら、心では足元や全体・背景を見る。心眼は別のところにあると。

※思いつき、目付けなんだから実際に目をつければいい。相手の腕や肩、足などに自分の目をピトとくっつける感覚で柔らかく見るといいかもしれない。


 近藤さん、自分の心・意志で抜こうとすると動作の安全性を再優先するプログラムによって規制がかかるように人間の身体はなっているのではないか?AVのモザイクのように規制がかかる。この規制を外さなくてはならない。心・脳と技を分離する。不用意・不要力、意も力も用いないところにモザイク処理が外れて安全プログラムが解除される(モザイクの件は必要ないですねw)。
 八つの身体には八つの重心があり、七つを一つにぶつけることで驚異的なスピードが得られると。なれるまで刃引きしたものでやらないと非常に危険。


 日野さん、フランス人は尻が軽い、よく気がついて自分から動く。雑事を率先してこなすとのこと。ただしこれは日野さんのもとに集まる人間のレベルが高い可能性もありますね。ばらばらでマイペース、時間集合もバラバラ。よくお喋りをする。静かになったと思ったら寝ている。
 それでも見事なチームプレーをする。日本でのチームプレーとは意味が違うはず。指揮や命令もないのに個々が見事に協力して食事の準備片付けが自然と行われる。稽古後の宴会で人を楽しませるのも上手い、サービス精神が効いていて気配りができると。

月刊 秘伝 2013年 11月号 [雑誌]/BABジャパン

松田隆智追悼特集、この号でしたね。

ステマ、エマニュエル氏
 仰向けで呼吸をして自分を補強する。無理なく呼吸を増やしていくと。各箇所順々にやっていく。力みの移動・コントロールは体調のコントロールに繋がる。
快適なところを自由に作れるのは、自分でヒーリングできるということ。力みは恐怖と同じ、力みを理解することは恐怖を理解すること。目から通った情報は背骨を通して受け取る。背骨が固まっていると情報が遮断される。最近目と背骨という感覚があったので、これはピン!ときましたね。痛いけど痛くないパンチ。怒りを込めると痛みがシャープになるとか。ちょっと難しいくらいが課題としてちょうどいい。
 街で自分を殴りかかろうとする相手に先んじで、どうして殴ろうとするのか尋ねてやめさせたとか、そういうのがわかるというのが凄いですよね。


 溶粘歩動法、軸が全く動かない運動。軸の能力開発に最適な運動であることが分かる。中央軸周りの骨・関節・筋肉を動かす運動というのは、普段滅多にしない。体幹は上中下の三分節構造になっている。自由脊椎となっている一番動かせやすい中節部が一番粘液のようにとろとろネバネバしやすい。上下は拘束背芯・拘束腰芯で動きにくい。中節部には内臓がある。その内臓のネバネバ感を下位脳が潜在意識で動かせようとする。ぎっくり腰予防や、内臓の健康にいい。だがこれだけやると、この部分のセンターが壊れてしまうと。
 
中節部がゆるんだら、今度は溶粘の逆、「格定」を行う。必要最小限の筋出力で締め付けて動かないようにする。そしてそれを土台に今度は上節部を溶粘させる。この溶粘化は中節部に比べて圧倒的に難しい。脊肋関節が動くように、溶けるように粘るようにゆるめていくと徐々に溶粘感が出てくる。最後が下節部で更に難しくなると。中節部をゆるめて鏡で確認してみるとセンターは通っていないことがわかるはず、上・下をやると見事にセンターが通る事がわかる。こうなって初めて成功と。
 達人は格定能力が優れている。このためには胴回りが発達している必要がある。達人・一流アスリートはこのため皆寸胴である。


 平さん、昔の絵には裸足の日本人が描かれている。裸足の民族であることがわかる。昔の草履は指先が出ている。指先のバネを使うためにそうなっていた。松尾芭蕉忍者説が出るほど長距離を移動しているが、指先のバネを使って歩けば歩行距離は伸びるから、当時の人はあれくらい移動して当たり前。指先がつく分膝の負担は減る。

 小指側に重心を乗せれば自然と中心に体重がかかると。足の指を一本一本割っていくと。うーん小指サイドは自由に動くんですけどね。残り三本は動かないですね、人差し指・中指はどうも動かない。しかし平さんの足の筋肉?骨の隆起はすごいですね、ちんこみたいになってますね。

 つま先着地でバネが使える、踏み込む距離が伸びると。しかしアスファルトでも可能なのでしょうかね?これ。つま先というより踵で蹴らない、足裏全体で踏む&着地の方がいい気がしますが。


 廣木さん、刃物の話。刃物を想定しているから受けを取らない。刺されるリスクがあるから。これはこれでいいのでしょうけど、刃物を使うプロのような相手に対しても足止めという技法は有効なのでしょうか?その場合はまた別になるのでしょうかね?刃物の怖さは練習によってある程度克服できる。切るのも、刺すのも意外と範囲が狭い、それを知っておけば恐怖・パニックは防げると。


 天野さん、サッカーやっていて中学が高校くらいの頃にちゃんと立つ重要性に気づいた。あたりまえだと思っていたがそれをやっている人はごく少ない。落合さんの今の若い子はこんなことも出来ないのかということに近いでしょうね。わずかに腰を低くして、足の外側で立つ。すると足の力でなく、腰の構造トルクで立てると。


 講道館柔道に匹敵する規模を築いた帝国尚武会、神道六合流。開祖は野口潜竜軒。通信教育を始めたのはこの流派が初めてなんでしょうか?今でこそ胡散臭い通信教育ですが、それこそ容易に開祖があちこち出歩けない時代に大組織を作るには適していたものといえるかもしれませんね。まあ当然そのマイナス面も大きいのですが。講道館柔道が公的組織に入り込んで残ったこと、戦後武道禁止の流れの中で、武道の色を完全になくしていったことを考えると、この武道のスタイルを貫いたことが廃れた要因だと。今では古武道大会でも見かけることはなくなってしまったとか、面白そうな流派ですねぇ。


 日野さん、まともな対応ができない会場の若者、乱暴な態度でドアを閉める定年退職したような年齢の人。こういう人が増えているってやっぱり誰もが思うということでしょうかねぇ。日野さんのような出来る人なら尚更目につくんでしょうね。