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別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい

身体の話 体内感覚について

 あー暑くなったなぁ、と薄着で出かける。17時なのに太陽がまるで14時位の感覚で照っていました。いやあ暑い暑いと思っていたら、風が吹いて寒い。外からどこか建物に入るとエアコンがんがんで寒い。ああ、そうだった。外は暑くても、冷房の罠があるんだったと薄着を悔やむ。

 急に冷やされて、おかしくなったのか腹が痛くなる。そんな感じでここ数日お腹の調子が悪くなる。花粉症で鼻が水っぽく出るのか、それとも風邪ひいてそうなのかわからない。

 で、そういう時に、排便に苦しんで、それでも出なくちゃいけなくて、フラフラになりながら歩いていた時に気づいたこと。身体の内側を意識すると非常に鋭くなる。感覚が高まること。

 表現があまり上手くないな。排便に悪戦苦闘して、お腹に神経集中することは誰しもある経験。集中して、神経すり減らした結果、当然そこに意識は高まる。腸を意識する、神経が高まったほうが、動くことにおいてプラスになる。力が抜けて動くクオリティが高まる。

 大事なのは「中」であって、「内側」それを意識しないといけないとは、武道をやっていれば常識だけど、内臓を意識するという発想ではやっていなかった。そういや、呼吸法だって肺・横隔膜といった呼吸器系の意識を高めること、内臓の意識・感覚を高めることだもんなぁと今更気づく。

 ひとくち食べる感覚で、やりなさいというのは桜井さんの言葉ですが、食べるという消化器系を意識する、感覚を高めることでうまくいくというのは、つい最近「カプセリング」という方法で軸を鍛えるというのを知ったばかり。※薬のカプセルを飲み込んで、そのカプセルが身体の中を上下する意識で軸を鍛える方法のことです。

 呼吸・消化、ときたら内臓の一番大きな腸でそれをやらないわけがない。つまり排泄というものでも自分の修練、修行に利用できると気づいた。いつも本を読みながら朝の排便へ―というのが習慣になっている。ならば、本は止めて意識を集中すべきか?

 そこら辺はさておいて、意識を集中して排泄したあと、歩いてみると、やはり体内の感覚がいつもと違う。鋭くなっていることがわかる。人間が朝起きて食事を摂って排泄するというサイクルはこういうところにあるのかもと気づいた。

 さて、ではどうやってそれを修行につなげるか、感性を高める方法に結びつけるか。集中して食べる・出すだけならそこまで実になるとは思えない。なにか色々発展させる方法がある気がする。もちろん確信はないけど、気になったのでメモ。