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鍛錬の展開&鍛錬の実践(高岡英夫著書メモ⑤)

 

 鍛錬シリーズ四部作の残り2つです。まあ、メモですね。重要な気付きもありました。

鍛練の展開―身体の中芯からの革命

鍛練の展開―身体の中芯からの革命

 

  ○西洋スポーツは遊戯であり、優れたディレクトシステムの発展を必要としなかった。東洋では、宗教や武術を背景としたDS発達の基盤があったわけなのですが、西洋ではキリスト教や騎士道のようなもの、あるいは当時の時代背景がDSの発達を許さないというものがあったのでしょうか?反自然や人口の少なさが原因とか?システマとかは優れた身体意識文化あってのものですよね、そこら辺はどうなるんでしょうかね?単に分析していないだけなんでしょうか?

 

 ○陸上短距離がセンターでサッカーやバスケはコア?グラフは一次元センターでセレシュは二次元、塩田剛三一次元センターで藤平光一は点に近いコア。この頃の、アクシス・コアと言う概念はこの頃特有のものなのでしょうか?それとも実際にアスリートに指導するときにはこの概念を使って指導しているということなんですかね?

 

 

 ○千代の富士の評価は、「体力一流技術三流の小結相撲」というものになる。彼の肩の脱臼は身体運動の合理性を無視した投げを行っている結果。怪我にも負けずに―ではなく、怪我の原因を克服できなかったという評価が的確。

 

 90年花ノ国を相手に決めた1000勝目のすくい投げは見事に理合にかなった理想的な投げ方だった。しかし晩年にようやくその境地に達しだけのことであり、20年前、横綱玉の海が見せて以来素晴らしい技術を見せたという評価にとどまる。もっと前には栃若時代の北の洋や信夫山など関脇~前頭上位くらいに理合にかなった投げを行う力士が何人もいた。初代若乃花は日常茶飯事でこれを行い、双葉山に至っては運足を必要とせずにそれをこなしたほどであった。

 

 千代の富士は陸上で、大関貴乃花は水泳で将来を希望される選手だった。これは一流選手は相撲でも一流になれる!という事実ではない。むしろ逆で、子供の頃から相撲をやっていないから、このレベルで留まってしまったということ。相撲史から三流としか言いようのない大関貴乃花は、腰の割れが全く出来ていなかった。バネと運動神経が優れていただけ。それでも、周囲が弱いから勝ててしまった。千代の富士キラーに隆の里という力士がいたが、栃若~柏鵬時代には幕内にこれくらいのレベルはゴロゴロいた。つまり千代の富士はその時代なら勝ち越しがやっとの力士に過ぎなかった。

 

 相撲を幼少期にやっていないと合理性・理合がわからずに、筋力・バネ・スピード・運動神経頼みの力士になってしまう。水泳・陸上のレフパワーは相撲ではラフパワーになってしまう。

 

 相撲に観られる全体的なラフパワーは、現代社会と共通する。内容はどうでもいいから、数字を出せ、結果を出せというのは現代(当時)サラリーマンに通底する心情であり、それが故に千代の富士は評価された。内容はどうでもよく、残した数字だけで評価する結果が相撲の劣化にも現れている。

 

 

 ○姿勢の改善は認識の改善である。姿勢=認識力と。

 

 ○卓球で全日本7回優勝した斉藤清選手がいる。この選手を記者が悲劇の名人と書いたが、その社会的評価は間違っている。28という若さで体力の衰えが問題となること。世界で全く通用しなかった選手を名手と持ち上げること。これは社会的評価の誤り。故障した過去があり、そのケガ予防のため取り入れた筋トレを、パワーアップのために応用してしまった。レフパワーの視点がかけていた。ラフパワーにとどまる強者を豪傑、レフパワーに至ると達人、更にレフ化が人格にまで及ぶと名人。斉藤選手は豪傑止まりであり、決して名人ではない(無論記者がそんなことを理解したうえで悲劇の名人!等と書いたわけではないだろう)。

 斉藤選手は中国選手を一見細くて筋力が強いと評した。逆に言うと自身は一見太くて強いということになる。筋トレをやらずとも強い筋力を発揮できるその先天性を<前性筋力>という。つまり天才であり、才能のある者の事。そういう人間は特別な筋トレを必要としない、対照的にそうでない凡人は筋トレを必要とすると。このケースはレフではなく、ラフにやって失敗したといえる。

 ラフパワーで勝てる競技はレベルが低い競技、そんなくだらないものやめてしまえ。―と高岡さんは厳しい指摘をしていますね。相当レベルの低さに頭にきていたんでしょうか?

 

 ○ニクラスはボールを打つ前にすでに軌道が見えている。軌道が見えてボールが落ちてから打っている、昔日の剣士と同じですね。既に斬っているというやつですね。

 

 ○千代の富士のウェイトはレフ要素もあったが、ラフ要素が大きかった。評価を聞くと、まるでダメダメだった千代の富士という感じがしますが、一応良い所もあったというところでしょうか?晩年一度とはいえ、見事な理合に則った投げを見せているくらいですしね。承太郎も一安心ですね(笑)。

 

 ○レフストレッチ、身体状態のそれぞれの正確な認識(フォームや筋骨)、呼吸・神経・血流のコントロール、センター・丹田と身体意識のコントロール。試合動作の共通性を意識し、その精神状態を喚起できているか。ウェイトもストレッチも同一線上で捉え無くてはならない。ストレッチはのんびりした筋肉ほぐしなどではない。

 後述で、精神力がバラバラに鍛えられてしまうという話がありますが、筋力・競技力・精神力をバラバラに鍛えるようなことは危険である、整合性が取れない可能性を検討しなくてはならないということでしょう。

 ここで高岡さんの写真、ストレッチをする写真がありますが、赤ちゃんのような座り方がすごいですね。むっちゃくちゃゆるんでる。恐るべし!高岡英夫ですかね。

 

 筋トレはバランスが安定しない片足が効果的、<シングリング>という。普通の両足は<ダブリング>。そういや四股は片足ですもんね。

 

 競技によって体軸を固めるのか、波打たせるのかで腹筋の鍛え方は異なる。足の抑え方をその都度変える、条件を一定させない。レフトレーニングは精神力をも鍛える。

 

 <カプセリング><センタリング><ブリージング>センターを作って、それを残したまま身体を移動、また元に戻ってセンターを身体の中に。ブリージングはそのまま呼吸。センターと両足それぞれやる。右・左・中、両足(=左右)のみ、センター(=中)のみ行うと。

 このカプセリングってのが凄いですね、こんないい内観を高めるやり方があったのか~!という驚きを感じます。内面、感覚を高めるために食べる・飲み込むという感覚を利用するのは確かに理にかなってますよね。

 

 

鍛錬の実践――その深い理解と徹底化のために

鍛錬の実践――その深い理解と徹底化のために

 

  ○筋力偏重の意識があったオリンピック代表の常識を覆した、岩崎恭子の泳ぎ。筋力=要素主義の思考法を覆す、関係主義という考え方を採用する、スポーツ科学が転換する絶好の事例と。外柔内剛、簡単そうに見えるが、実は内面で難しい意識のコントロールをしている、非常に精密な努力をしている。泳法の革新が進むまで、平泳ぎというのはカニ族・日本人に向いていた競技だった。

 

 天才かどうかの評価は次のオリンピックでの結果次第というコメントが有りますが、岩崎恭子の失敗する危険性を感じていたのでしょうか?なんとなく、筋力トレーニングというか、間違ったことを教えられてしまってしまったという気がしますが…。

 

 ○日本サッカー代表でキーとなるディフェンシブ・ハーフを務める森保一。彼を見出したのは外国人監督オフト。日本人は肚がなくなったから、サッカーで肚とも言える重要なポジションの重要性が理解できない。目立つフォワードなどにキャーキャー騒いで、大事なところを見落とす。文化の軽佻浮薄の象徴。

 

 ○腰は上中下、もしくは上側・下側とわけることができる。

 

 ○センターができているから、カール・ルイスはラインディング・軸乗りが正確にできる。先に仮の着地をしてその後から足がついていく感じに見える、ゴルフでも野球でもプレインパクトという技術で同じことが起こっていると。

 

 ○精神力の構造、長い精神力と短い精神力がある。長い方はACT構造、Aggressive Creative Toughの三因子。Aはそのまま。C=新しいことを生み出すこと、その過程を楽しむ力。T=障害を楽しみ障害から何かを学び取る精神の強さ。AとTは相反的だが、アスリートはTの能力の配分を高めるべきと。

 短い方の精神力は静・熱・鋭の三因子。ミス、失敗というのはどれかが足りない、偏っていることから起こる。落ち着きが足りない、ここぞという時のパワーが出せない、正しい観察・判断ができないなど。本質的な能力を高めることなしに、どれかを鍛えようとすると、そもそも相反性を持つ因子であるがゆえに(たとえば熱と静の相反性が働いて)、どちらかを鍛えるとどちらかが落ちるという結果になる。よって精神力全体の体積(三要素で立体を構成する)を増やすことをしなくてはいけない。また時にそれをコントロールして、局面によって使い分ける能力が必要。

 筋力トレ・ストレッチ・メンタルおよび技術練習は、それぞれバラバラに精神力が養成される。分裂症的に精神力は強化されることになる。

 

 ○ソウルオリンピック鈴木大地選手は予選で世界新を出したデビット・バーコフに勝つために、いつもよりキック数21で浮上していたのを26に増やし、いつもより半身長分距離を縮める。そこで動転したバーコフにつけ込むという戦術を立てた。これはもし通用しなければ、自滅して自分の泳ぎが根底からくつがえる賭けだった。このような戦術、いつもと違う状況に追い込まれることがあっても、急なあがりに追い込まれることがないように、心法のトレーニングを積んでいればまるで問題がなく対処できるはずだった。

 呼吸法・座禅・瞑想・型そのような心的トレーニングは昔から存在する。山籠りのような非常態を平常態にするまで行うのも同じ。通常の生活を非常態として12年間生活したと。緩いあがりを心的エネルギーの消耗を抑えながら抑えるときは緩く長い呼吸法をする。同じく緩いあがりを抑えながら心的エネルギーを上げていく時は、中程度に長く強い呼吸をする。急なあがりに一瞬で対応するときは短く強い丹田呼吸をする必要があると。

 

 ○身言葉の喪失は、東京オリンピックと軌を一にする。

 

 ○バレーと短距離?のトレーニング法が書いてあります。ウェーデルンを五日で、それまで一度も滑らずに一発で成功させたと。日常のスキー化。滑る恐怖状況を事前に再現して、呼吸法でそれをコントロールする。ここでも高岡さんの写真がありますが、階段降りるときの脱力具合、身体のバラバラ具合がすごいですねぇ。

 

 ○認識能力が低い中学生にはセンターが出来ると重心の低い動き、レシーブが下手になる場合があると。体を壊さないためにも認識能力を高めるトレーニングが必要。野球選手で優れたディレクトシステムを持っているのは王と落合。バッティングは空手の手刀と似ている。尺骨から手首、さらに手の中まで線を引いて意識するとよいと。

 

 ○柔道に封力システムがそもそも無いということを書いているが、じゃあ達人が柔道に参戦したら、根本から競技体系がひっくり返るのだろうか?緑健児の「封力システム」は筋力をつけて鎧とする「抗力システム」との対決。抗力はエネルギー同士の戦いであり、封力だとそれが情報になる。

 

 ○相撲通の年寄りいわく、その祖父の世代の相撲通では双葉山は明治時代の力士からレベルダウンした存在だったと。へえそういう見る目がある人が当時には大勢いたんですねぇ。

 

 ○真に美しい体とは、全身に意識が隅々まで及んだ身体。筋骨隆々でもそこに意識が備わっていなければダメと。

 

 ○オーバートレーニングの回復法に木と気の交換がある。カール・ルイスはDSをオーバーワークして使っていた。優れたアスリートは本番に必要以上の力を出す。大会後、オーバーワークの回復期特有の表情をしていたと。92年アルベールでの橋本聖子の普通では考えられないパフォーマンスもそれで、気の運用によると。