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別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい

高岡英夫著書メモ④(鍛錬の理論&方法)

 鍛錬シリーズ四部作のうち、2つを。理論→方法の順番なんですけど、こっちから先に読んでメモ取ったので順番前後しちゃってますがご容赦を。

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 ベン・ジョンソンはドーピング故に早かったわけではない。あの程度の素質の持ち主は世界中にゴロゴロしていた(米だけでも50人)。優れたトレーニングの賜物。ドーピング故に彼のトレーニングの素晴らしさが葬られるのは惜しい。

○井岡選手の事例

 科学トレーニングをボクシング界で初めて本格的に導入した井岡弘樹選手は再戦でなすすべもなくKOされてしまった。これは体力要素と技術要素を別々に考えていたため。体力を鍛えればそれで体力要素が向上してプラスになるとしか考えていなかったから、技術要素に負の影響を与えうるという発想が無いためにトータルでのパフォーマンスを押し下げてしまったことによる。

 全体の調和<ユニティ>が重要。練習の量比を変更するとその<ユニティ>が落ちる。その<ユニティ>を落とさないようにするという発想がなかった。要素主義にとらわれた未成熟な科学が生み出した悲劇。

 ケース・バイ・ケースだが、新しい体系を取り入れるためには1年~3年はかかる。本格的な体力トレーニングの導入を半年でこなすのは余程の天才でなければ不可能。古い<ユニティ>の解体で終わってしまう。敗戦で終わったが、将来的には有益な新体系導入とも考えられる。

 井岡のような不器用なタイプは、戦術的積極性が必要。自分の得意とするパターンに引きずり込み、それ以外は決してしないという強い意志・動きを徹底的にしなくてはいけない。それをわずかでも体力トレーニングに情熱に注いでしまえば不徹底に終わると。<MIN>を高める呼吸法・瞑想法も<レフパワー>トレーニングの理解もなかった。彼の才能を見れば間違いなくトレーニングに<レフ>の要素もあった。しかし<ラフ>と<レフ>がない混ざったままであり、最終的にその決着はつかなかった。<ラフ>が混ざった混沌とした<MIN>で勝負に望んでしまったと。

 単純な競技、陸上・水泳・自転車・スピードスケート・ボート、このような種目であればスポーツ科学を鵜呑みにしても致命的な失敗を犯すことは少ない。もちろん極めて優れた指導者・コーチがいてのこと。ベン・ジョンソンのコーチ、チャーリー・フランシスは素晴らしい認識力を持った実践家だった。ボクシングでは、スポーツ科学者の認識力の役割は1割以下。

 ガッツ石松が解説していたように身体を持て余しているという井岡評が的を射たもの。上体・スピードトレーニングは拒否して減量のための管理法と中~下半身のパワートレーニングと持久力トレーニングのみにしておくべきだった。出すべき時にパンチを出すという徹底化が行われていなかった。その能力は9割以上が認識と<MIN>によって鍛えられるもの。体力が高まれば自然にそれが出来ると考えたことが誤りだったとのこと。

ベン・ジョンソンの事例

 本来<ラフ>なトレーニングが、<レフ>になるのは偶然及び選手の資質によるものにすぎない。チャーリーには「腰」などの<レフ>を図る認識が明確にあった。カール・ルイスのように上体を揺らすのがセオリー、しかし黒人特有のしなやかさを持ち合わせないベン・ジョンソンが10秒の壁を打ち破るために、筋力を鍛え上げ、上体を固める<ブロッキング>をすることによって、欠点を克服した。動くことではなく動かないために体を鍛えた。素晴らしいのはこの認識でブレずにトレーニングに打ち込んだこと。

 筋力トレーニングでも、彼はセンターなどを意識して行っていた。筋肉を意識してバーベルなどを上げてはいなかった。競技と同じ<MIN>をもってトレーニングするアスリートはあまりに少ない。煩わしい練習環境を忘却の彼方に捨て去って筋力トレーニングに打ち込むようでは、到底一流足り得ない。

 まあバッターならスイングしてるのとまるで同じ状態でバーベルを上げるなどして鍛えていないといけないわけですね。鍛錬と実践がバラバラに行われていては無意味どころかかえって害になると。

 小谷実可子鈴木大地も同じような独断的創造を行っていた。それでもベン・ジョンソンの方が素晴らしい物がある。逆に言うと独断的創造が可能ということは科学・競技のレベルが低いということ。

 ベン・ジョンソン合気道の求めるレベルで見ると五段に相当する物があるといえる。希少な存在だが、それでもまだまだ上がある。

 ベン・ジョンソンが筋力トレーニングを導入する以前は陸上界でも筋力トレーニングはタブーだった。武道でもコレは同じこと。筋力トレーニングがタブーであってはならない。

 メンタルトレーニングがベン・ジョンソンに必要ないのは彼の目を見ただけでもわかる。優れた<MIN>を構築しているものにそんな必要はない。※関係無いですが少林寺拳法も、柔道のように競技化してしまっているのでしょうか?武道にあったDS体系が消失しているとありますが…。

 神への信仰が優れたパフォーマンスを生む。DS・内なる神でもそれは可能。本格的にベン・ジョンソンDSトレーニングを導入していけば9.7秒の世界にいける。いわんや才能あるものなら、9.6秒に行けるだろうと。

 パワーを三様態・三段階、ファスト・ミディアム・ストロングとロー・ミドル・ハイにわけて三かける三の九種類のパワーがあると仮定する。競技によってどのパワーが必要なのかということを理解して、それを鍛えるべしと。

 トレーニングには負の要素・効果がある。コレを解消するカウンタートレーニングまたはメソッドが必要。ウェィトをやったらその分技術練習時間も増やせばいいという安易な考え方がダメなのはコレによる。量の増加が質の低下を招くことを理解しなくてはならない。

 具体的なトレーニング法がありますが、要約すると筋肉ではなく身体意識を意識しながらやる、実際の競技動作を合間にはさんだり、意識しながらやる、映像などを流してそれを見ながらやる―など。あと角度・姿勢・呼吸・タイミング・目の使い方などチェックをおきながらやるとかですかね。

 宮本武蔵の極めて精密な空間認識、一ミリ単位でここに剣を通すという試行錯誤のような練習姿勢が必要。それを行っているとあるとき、自分の認識が極めて雑なことに気づくと。なるほど。

 この時点ではセンターは三軸ではなく、競技によってどこに通すか異なってくると書いてありますね。両膝にコアを置くとか、グラフの膝が(マイナスの意味で)緩んでいるとか今とは結構違う言葉の使い方・ロジック?がこの時点であったようですね。

鍛練の理論―東洋的修行法と科学的トレーニング/恵雅堂出版

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鍛錬の理論、要素主義の否定がメインとなっています。

 要素=筋肉に注目して、それを鍛えれば良いというものへの否定。宮下充正『筋肉はエンジンである―イラストでみるスポーツ科学』というものがまさにそれ。

 パワーの三様態と三段階(前述)。パワーは9つの種類があって競技によって必要とされるパワーが違う。またプロレスのように全てが必要となるものもある。要するに筋力というのは全体を大きくすることだけでなく、競技にあった鍛え方をしなくてはいけない。また、必要に応じてそのパワーの使い分けが絶妙にできないといけない。

 力と技で分ける無意味さ。力の非日本人と、技の日本人という構造で捉えることがしばしば。「相撲力」「呼吸力」という力の他にも技・意欲といった要素を含む力を今のスポーツ科学では「非科学的」と言って切り捨てている。それこそがまさしく非科学的行為。技と力を要素で分類出来ると考えるからこうなってしまう。

 メモ湯浅泰雄『気・修行・身体

 水泳の女王長崎宏子選手のウェイトの誤り。ウェイトは表情を歪めて苦しんでやってはいけない。筋力を使うという分には構わないが、それをうまく操作することができなくなる。つまり競技力がオチてしまう。爽やかな表情、集中し澄み切った状態で行わないといけない。前者をラフパワー、後者をレフパワー(refined)という。

 雑なウェイトでラフパワー、筋力がいかに大きくなっても競技で必要なレフパワーが付いているかどうかは不透明。パワーリフティングはレフパワーが要求されない珍しい種目。パワーリフティングはラフ=レフという競技。競技のためにウェイトで筋肉を鍛えたらいつの間にかパワーリフティングの選手になっていたという笑えない話は多い。陸上のようなレフパワーが低い種目でも、ベン・ジョンソンやカール・ルイスのような選手のほうが、遊びでやるラグビーの高校生よりもレフパワーが高い。

 あれ?比肩しうるということか、レフパワーという話だとそんなに変わらないのか?「競技が要求するレフパワー」ということか。

 格闘技の要求するレフパワーは肩にバーベルをつけてスクワットをやりながら拘束でワープロを打つが如し。これよりもはるかに複雑なものを格闘技では要求される。優れたアスリートは意識操作で運動負荷がなくても、あると同じようにトレーニングすることが出来る。優れた意識<MIN>を持つゆえにトップアスリートになれると。

 筋トレは技が落ちるという誤解と必要な練習で必要な筋力が備わるという誤解。ライオンは筋トレをしない。それは野生で生きる上でそれで十分だから。もしライオンがアムールトラと戦うなら筋トレをして鍛錬せざるをえないだろう。宮本武蔵のような修行者と野生のトラは違う。トラは(その環境のために)武者修行をしようと思わない怠け者。90ページからのトラのトレーニングしたら…という話面白いですね。現代に生きる上で必要がないからやらないのか、修行という目的のためにやるのかという違いが存在すると。

 技ができなくなるのは間違った筋肉部位を鍛えるから、必要な筋肉・筋力はなんなのか?ということを理解すべき。速度よりも早度(立ち上がり)が大事、そのことを理解しない筋トレは無意味。正しいフォームには正しい筋力が必要、特に初学者は。極めて当然の話。しかし握力測定のように、一部の筋力のために全身を馬鹿みたいに踏ん張ってブサイクになるという負の要素、全身のバランスを崩すことも筋トレに存在する。筋トレにはフォーム・操作性の低下というものが存在する

 東大野球部が筋力トレーニングを本格的に導入しても、ちっとも成果が上がらなかったのはラフに目がいって、レフという視点がなかったから。このような例はいくらでもある。もし筋トレと競技が絶対関係なら、筋トレで競泳選手泳げなくなるということになるはず。しかし相対関係にあるため、競技のパフォーマンスが落ちるということにとどまる。

 書いてはありませんが、その相対関係が故に、筋トレをうまく消化してパフォーマンスの向上につながる人もいれば、逆にパフォーマンスを悪化させる人もいて、肯定論・否定論がない混ざるめんどくさい状況になるわけですね。正解は、うまくやれば向上し、下手にやればパフォーマンスを衰えさせるということですね。例えると薬剤師が必要なクスリみたいな物でしょうか。誤用がとんでもない結果をもたらすクスリということですかね。

 ゴルファーの新星、ジョニー・ミラーは筋トレでレフパワーを鍛えずに失敗した。木こりのパワフルなパワーに憧れてそのようなパワーを目指してしまったが故。「ゴルフという競技に不向きなパワー」に惹かれてしまったのが彼の失敗の本質。武蔵がマサカリをレフに振ったのと対照的。

 ドーピングの魅力に勝てずに、いずれは条件つぎでドーピング解禁になると高岡さんは考えていたみたいですね(p132)。

 電気刺激で筋力を鍛える方法は、受動的・苦痛を伴わないために筋トレのマイナス効果がない。人間の意識では筋収縮せよ!と100%に近い命令を出せないために有益だと。むしろあんなふうに手軽にやれば、意識が伴わないのでダメなのでは?と思っていましたが、プラス要素もあるんですねぇ。プラマイで換算するとプラスのほうが大きいんでしょうか?

 身体運動は電気刺激の目的的生産。

 トレーニングマシンの気楽さと不自由さは、意識操作の排除にある。まあ要するにラフとはいえ筋力が必要なことは必要なので、初期においてはウェイトでガシャガシャやってもいい。だが意識操作にマイナス・負の面も大きいから、競技力に必要なレフパワーを鍛えるために最低限やったらもっと違うトレーニングをやりましょうということですかね。この著で高岡市は、ウェイトの有益性とその限界を指摘したということになりますかね?

 調整という概念の必要性。コンディショニングとトレーニングはセット。そうじゃないと猛練習で壊れる。

 最後に、一人の女性の調整・治療談がありますね。一応メモ。