別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい

高岡英夫著書メモ②

 

ハラをなくした日本人

ハラをなくした日本人

 

  ※読みなおしたメモ第二弾。例によって自分の改めて見なおして気になったところだけのメモなので、本筋・初見の人にとって大事なところはすっ飛ばしてありますのでご注意を。

 

 「筋金」という概念、現代人は頭ばかりに意識がある。昔の人間は肚・腰が概念としてきっちり意識が成立していて、全身に筋金が通っていたとのこと。腕・足に筋金が通っていると。筋金入り、筋金が通っているっていうのはどういう感じなんでしょうかね?あの人は筋金が通っていると言われてもピンと来ないですよね。斉藤さんの本で江戸時代か明治時代の写真で一般人の姿を見ましたけど、その人は軸が見事に通ってましたけど、筋金はわかんないですね。軸のところも筋金で説明されていましたが、昔の人は軸よりも全身を貫く筋金という概念で捉えていたということなのでしょうかね?

 

 身言葉の他に魂、気とかそういう概念があるという話もありましたが、魂を揺さぶるとか確かにありますけど、そこら辺はどうなんでしょうかね?「魂」という概念はどれくらいの実感を持って理解していたんでしょうか?そういや意気地がないという言葉もありますけど、意地になるとか以外あんまり「意」言葉はないですよね?「意」よりも「気」の方が感じやすいところだったのでしょうか?今後人間が更に身体性を深めれば「意」言葉が出てくるんでしょうか?

 

 エビ・カニ族、西欧人のようなスラっとした体系は、エビ族。日本人のような背が高くないのはカニ族。相撲のような競技はカニ族向き。競技もエビ有利、カニ有利、エビ・カニどちらでもないのもあると。そして現代日本人は体格はでかくなっても、エビ族のような身体の使い方ができていない、中途半端でどちらでもないカビ族というのが増えていると。まさにダメな身体の使い方をする人間が蔓延するという現象を表すカビ化なわけですね。身体性の劣化には体格の向上・大型化というのもやっぱあるんでしょうね。

 

 人間には上達耐久力と遺伝的限界というものがある。それを超えて上達させる、成長させるということは不可能。生来の才能には本人が持っている能力以外にも、その練習・修行に耐える身体の頑丈さや精神的タフ差とかも加わってくるんでしょうかね。上達上限100%まで開発しきった人間はこれまでにはいないと。佐川幸義氏や王向斎氏ですらも100%ではなかったんでしょうかね?

 

身体意識を呼びさます日本語のちから

身体意識を呼びさます日本語のちから

 

 ゆるんだ人とそうでない人では、名曲・オーケストラなどを効く理解力が違う。優れた身体を持てば持つほど、身に沁みて理解できる。優れた人間は内臓でも音曲を感じ取っている。理解力、感受力の違いというのは身体によると。天才はそりゃ生まれ持ってゆるんでるんですから、その理解力というのも高いんでしょうなぁ。

 

 人間は何かをしようとするとき交感神経が緊張する。モグラ叩きの前のムズムズする感じが予備緊張。肉食動物は獲物を追いかけて狩りをして、交感神経を爆発的に興奮させて、そのあとは休憩して交感神経を休ませる。動物のような爆発的に交感神経を興奮させて行動することを減らすように社会を整備してきたから、継続的に予備緊張を強いられる社会になっている。弱い緊張が続くと筋肉が拘縮し続ける。第二の心臓と言われる毛細血管が十分な活動をしないから、身体の循環がうまくいかない。交感神経を爆発的に興奮させないと、副交感神経に上手くスイッチされない。とすると交感神経もうまく休まらない。眠っていても交感神経が働いていて上手く熟睡できない、不眠の元になる。

 

 懐の深さ=脇の深さ。野球で脇を締めろという指導は目先のことを考えた悪しき指導法であり、間違い。プロで脇を締めて打ってる大打者なんていないですもんね。

 

 筋・芯、肋骨に本当の力は生まれる。漢字を作った人はそのことをわかっていたのではないか?だからこそ筋という漢字になった。竹がついてるのは、割って中身に何もない、「筋」が通っているだけ。不思議な弾力があり、支えているのはその筋だけで、スーッとまっすぐ通っているところからセンターを感じ取ったのではないか(以前取り上げた話で、節=竹というものが重視されていたという話を書きましたが、竹というものはやっぱり重要視されていたんですかね)?同じく芯(こころにくさかんむり)という漢字も植物からセンターを感じ取り、その必要性を理解したがゆえにできたもの。

 

 浮世絵に描かれたうなぎ職人は通常魚を捌くように腕を曲げて対象を抑える姿勢をしていない。抑える方の肘を曲げて切るという調理の姿勢を取っていない。体をゆるめて、肘をまっすぐに伸ばして腕を一本・肘を直角にしてうなぎを抑えている。これは骨でうなぎを捉えている証拠。うなぎのような動きをする魚を捌くにはうなぎと同じように自身も合わせてグニャグニャにならないと上手くさばけない。体幹部の動きは、うなぎの揺れに合わせてそれに応じて揺れ動くことによって生まれる。骨で抑えて肉はうなぎに合わせて揺れ動くという絶妙な身体操作が職人でも当たり前に出来ていたことを浮世絵は示している。江戸の剣術の画は肘を伸ばしている。体幹部のエネルギーを伝えるにはこの方がいいから。

 

 お天道様―太陽を感じ取る重要性の認識が言葉になったもの。近年、身言葉と同じように、その発想も薄れてきてしまった。有森さんのような太陽にエネルギーを貰うアスリートはお日様に挨拶をすると。

 

スポーツ・武道のやさしい上達科学

スポーツ・武道のやさしい上達科学

 

 上達するためにはどうするか?という内容。どちらかと言うと指導者向きですかね。ただ練習をやるだけでは上達しない、上達のためにはケースに合わせた意識と練習法が必要になるという話。特殊なケースには、その問題点を改善させるためのトレーニング・フォーム改善のためのメニューを考えなくてはならない。呼吸法は意識のコントロールに繋がる重要なもの。蛇を苦手な人でも呼吸で意識を整えることで蛇を捕まえられる。ハラができる事により慌てなくなる。

 

 数をこなす練習は悪癖持ちなら、それをより固めてしまうから下手になる。改善ポイント、意識を持っていなければならない。肘・肚などポイントを意識して突きの練習をする。練習をする中で、変化が芽生えてそこでまた違うポイントを持って練習したり、意識を変える。そのような<後付の意識>もある。<先付の意識>と並んでコレも上達を促す意識となる。

 練習のさなかどうも感覚が出来ていない、うまくいかない時は一度中断して呼吸法で意識をクリアにしてから取り組むべき。状態が上がらないまま練習をしても、練習の効率は上がらない。今自分が練習をする身体・心身の状態なのかどうかということに気をつけないといけない。

 

 そしてすぐにその状態が作れるようにならないといけない。毎回特殊なことをしていてようやく作っていては間に合わない。テニスのマッケンローが判定に激怒しながらも次の瞬間には冷静にサービスを打つ状態を整えたように、その切替は勝負の明暗を分けることになる。

 

 一度両肘をくっつけることで、肘の意識を作る。この肘の意識は受けだけでなく、脇を開いたフック・鉤突きでも重要。脇を開いてフックの状態で肘の意識を作るのは難しいから脇を絞って目の前で肘を合わせて肘の意識を作るというやり方で行う。腹の意識がないと肘の意識もうまくいかない。腹・肘・膝・床・拳頭が繋がることが大事。

 

 練習には実践をするだけの全習法と、一部を繰り返して積み上げる分習法がある。当然ほとんど全ての練習が分習法を採用している。技の土台を創ることと実際にそれを使うことという、二つの「創る」と「使う」という土台をつくることが練習の目的。

 

 完成化と発展化がある。細かい理論を正確に理解する意欲も時間もないのでパス、プラスの学習・マイナスの学習があり、各スポーツごとに共通するものがある。一見まったく関係のないスポーツで共通する運動があり、ジャンルの違うその練習で上手くなる事がある・共通点がある(当然逆もあるから余暇の過ごし方には注意しなくてはならない)。ゴルフのスイングと野球のピッチングなど。つまり競技によっては是非やるべきことと、コレはその競技にマイナスだからやってはいけないことという運動がある。行住坐臥、意識の訓練は出来る。プラスの学習を日常に見出し、マイナスの学習を排除すべきと。

 

 『新インナーゲーム*1は<任す>学習に重点を置いている。伝統的な指導法は<作る>学習一辺倒だったために、注目を浴びた。言うまでもなく両方重要であり、課目・課題によってその重要性は変化すると。

 

 連合化=<流の意識>。テニスはストロークより、ボレーの練習から始めたほうが上手くなる。新聞紙を軽く丸めてスイートスポットに当たる練習がいい。最初からボールを使うのは<連合化>のハードルが高いため、フォーム作りのためにまずそれだけやるのがいい。

 より簡単な練習を考えだして、一つ一つの基礎ができてからボールを打ち出すという感じでしょうか。構えや立つことすらゴルフのスイングでは出来なくなりそうですし、だったらスイングすらやらない練習を考えてそれに取り組むという事こそ究極の上達法ということですかね?となると、より簡単な基本練習を考えだす事こそ、指導者の役割・役目ということになるのでしょうか。

 

 オープン戦でバットを振らなかった落合、身体が出来ていない段階での実践は負の学習に繋がり、自分のフォームを崩してしまうことを知っていた。正しい判断。他の才能ある選手が落合と同じことをしていないのは、はっきり言って無駄なことをやっていると言える。

 

 バスケットのシュート練習は雑。今は4つくらいしかやってない、本来15は必要。ゴールに向かうまでの意識化の練習が必要。ラグビーは相撲と似ていても実際は異なる。相撲のような腰を中心に日本人はやっている。タックルは大腿部から膝が重要、それがうまくない。ムエタイ・キック・空手の膝蹴りの意識に近い。打撃系でも日本人は膝蹴りが上手くない。<膝斬り>という意識を持つこと。米欧は<膝の意識>を育てる文化がある。日本人はフンドシでラグビーをやっている。

 

 霊仙、シュリ・チンモイ、マハリシ―天才として名前が出たのでメモ。練習には適切な課題というものが必要。本人にふさわしいレベルの課題設定をしないと混乱して成果が上がらない。遊びのルールに耐え切れず勝手に動き出す子供のようなことになる。混乱し学習の失敗が起こるとのこと。

 

 色々なスポーツの話が多々出てきますけども、実際バスケットならバスケットが上手くなる!高岡式練習法!―みたいなのをテニスでもサッカーでも何でもそういう練習法を書いた本を公開する。まあ本人はその道のプロではないので、誰かそういう人を見つけてきて共同研究して書く。そうやってスポーツで高岡というすごい人物がいる!と知名度を高めてから出版したほうが世の中への影響度は全然違ったと思うんですけどね…。

 

 どうも個別に依頼を受けて練習メニューを作っているとか。ということは本を見た限り一応スポーツのトレーニング指導をやっているようですが、それだと高岡理論は世に広まりにくいですよね…。高岡さんはやっぱり経営というか、売り出し方というかそういうものについては疎い感じがありますよね。そういう世の中の変化にまったく興味が無い修行僧ならともかく、世の中を良い方に変えよう!という意欲があるだけに謎なところですね。

*1:2000年に新しく再販して未だに売れてるってスゴイですね。