別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

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高岡英夫著 天才の証明(※疑問・批判アリ)

天才の証明―天才・英雄・名人の〈能力の設計図〉 (BS)/恵雅堂出版
天才の証明――天才・英雄・名人の能力の設計図/メディア・サーカス

下はKindle版ですね。※アメブロで書いたときはなんともなかったでしたが、こっちにインポートすると文字サイズが無茶苦茶に反映されてしまっていたので、それを修正しました。
 ―読んでみました。高岡英夫著作は一通り読んでいたので、既に読んだものだと思ったら読んでなかったという感じでした。真里谷円四郎は出てきません。武蔵本書いたので、真里谷円四郎書いてくれないかなぁ~|д゚)チラッ。かなり初期の作品で、『意識のかたち』の次くらいですかね?そうだ、最近『意識のかたち』を読み直していたら、ここで相撲について触れられてはいるものの、幕末の力士が写真で見る限り一番凄い、今の横綱(貴ノ花)は幕末だと十両レベルと言う話はこの本ではないですね。常陸山が出てきて話終わってますね。(※もちろん、史上最強の力士は雷電とのことですが)どの本で書かれているんだったっけか?『ハラをなくした日本人』だったっけか?*1


 まあ、そんなことはさておき、この本について。一言で言うと高岡さんが調子こいてる時代と言えましょうか。人間の能力・才能の秘密が解き全て明かされた!とか、DS図が数兆円という話とかね。身体運動以外にも話が広がる、ありとあらゆる所にDS理論が及んでいるので、突拍子もない感は否めないですよね。今でこそ、高岡理論は一定の層に受け入れられていますが、こんな早い段階でこんな書き方をすれば、相当反発を招いたのではないでしょうか?


以下、気になった部分のメモを交えながら。
 子供の頃は遊びの天才で、光や空気と遊んだ。おしんを見てなんであんなに楽しいことをつらそうにやってるんだろうと不思議に思った。朝顔を咲かせまくって朝顔屋敷にした。30分で全力一万本突という特訓を毎日した(p23)。

 宇宙から始まって順に、生物・動物・人間・男女また民族や時代、文化・職業・階級それらを基底にしてトップに一個人またその個人がなす作品のDSがある(p26)。
 人のDSがそこに反映されるから、作品に特有・固有のDSがあるというのはまあわかる。画の「黄金分割」のようなものは人の身体意識が反映された結果の法則だと。楽音も聴覚を通じての意識構造を持つ身体意識があるのだと。なるほどね。運動家や芸術家はパフォーマンスですから、アスリートにそれがあるというのは誰もが問題なくわかる。芸術家、音楽家などは?と思う人もいるでしょうね。で、そういう身体運動や芸術領域を超えた純粋な頭脳労働をする学者レベルになるとどうなのかな?となりますよね。政治・歴史の解説とか?というのがありますからね…。

 そこら辺がかなりわからんというか、要解説というところでしょうか。この本にありますが、「超越揮観」という手法(p46)についてスラーっと当たり前のように触れて済ませてしまうのはどうなんでしょうかねぇ。そこ詳しく語らないとダメでしょう。これについては高岡さんはある種霊媒師なんですよね、霊能者というかイタコ的な。ここだけ切り取って言うと大川隆法さんみたいな感じですからね。これに否定的な反応を示す人は多いでしょうね。

 この超越揮観を以ってして、 トンデモだろと考える人は多いでしょうね。ググるとチラホラ出てきますね。現代科学ではこういうものは当然実証されませんから、非科学的です。まあ身体意識の論理で、既に「気」の論理を導入しているのでそこでも既に非科学的なんですけどね(気については非科学的であることは折に触れて説かれていますね。『からだには希望がある』とかにも出てきます)。

 ただ、ポイントは、通常の科学的手法では解き明かせないことを、あえて非科学的な手法・価値観を交えながらも客観的な証明をしようというところですね。まあ殆ど科学的に証明しようがないので、より多くの実践者の体験などをベースに構築していくしかないのでしょうけどね。後述するように数少ない、達人・天才と言われる人たちが同じ身体操作のコツを共有しているとなれば、それはスポーツ科学として放ってはおけない共通性ですからね。

 まあですから、一、実証できない手法を用いている以上その時点でインチキだと否定する。二、―そうではあるし、非科学性を否定はしないが、優れた成果を上げている以上、そのリスクを理解しながらも、その理論を参考にする

 ―という立場に分けられると思います。言うまでもなく己は後者なわけです。人によっては三、ほとんど拒否するけれど、ゆる体操のような客観性(優れた改善効果が観測されたもの)、科学性があると思うものだけを取り入れる―という立場もあるでしょうね。まあ、それはそれでいいと思いますし、己が二の立場を採用するからといって、他の一や三のスタンスの人を「何だと貴様!なぜ高岡理論を参考にしないんだ!」なんてやらないことは言うまでもありません。

 個人的には、高岡英夫というのは悟りを開いた人という枠組みで考えています。悟りを開いた人間であるから、先天的にわかる。仏教なんか修業によって悟りを開くと超能力が身につくという考えですし、そういうことなんでしょう。優れた宗教家の神秘的なエピソードというのはまあ大体身体を開いた人間であるが故の超常的なエピソードですからね。肥田春充さんなんかの超常的な力も身体を開いた故ですしね。

 仏教で言うと高岡さんのそれは神眼、天眼通みたいなものと言えるのでしょうね。仏教の教典は如是我聞、是の如く我は聞いたと前文に書けば、あとは何を書いてもいい。これは本来、釈迦の直接の弟子ではなくても悟りを開いた者ならそういうことが出来るという一定の共通理解があるからこその発想ですよね。まあ、実際はそれ以外の人がじゃんじゃん書いちゃったのでしょうけど。

 そういう感じで捉えてはいますが、だからといって妄信はしない感じで行きたいですね。個人的には面白いなぁ~とハマってはいますが。霊とか認めてはいないそうですけど、魂とか宇宙とか生命とか身体を開いた人間がどういうふうに考えているのか、身体論的な哲学からどういう宇宙・生命論になるのか非常に興味深いので書いて欲しいんですけどね。あとがきで霊とか魂にちらっと触れてますがどういうふうに解釈するのか聞いてみたいですよね。

 仏教でも、悟りを開いた人は太陽や月に触れるというわけのわからない話がありますが、これを身体意識のことだと解釈するとピタリと符合するんですよね。高岡さんのところで学ぶ人というのは、アスリートやら音楽・芸術などの人でしょうが、こういう宗教家・悟りを開きたいという人が修行を求めて弟子入りするというパターンはないのでしょうかね?仏教でもなんでもいいんですけど、そういう宗教系の悟りを求めて高岡さんの所で学んでいる人とかいたら面白いんですけどね、いませんかねぇ~。いらしたらその修業の結果どういう悟りが開けたかぜひ聞いてみたいもんなんですけどね。


なんか話しがそれたので、話を本文の記述に戻します―
 身体性の喪失は、より正確に言うと身体意識の喪失である。優れた哲学者や専門家が身体意識という意識に構造があるという所・領域にまで及ばなかったのは、研究者に優れた身体性・運動能力がなかったから。芸術なり運動なり、そのような超人的パフォーマンスが出来ない研究者には、当然身体意識というものに気づきようがない(p21)。メダリスト並みのアスリート能力と大学教授クラスの頭脳がないと出来ないということでしょうか。ユングなどに触れているように、意識には具体的な構造があるという発想はかなり面白い視点ですからね。

 ディレクトシステムは人間の全てを支配し、支持する構造機能(p35)―ココらへんがあれですね。先ほど触れましたが対象範囲が広すぎる。人間としてのパフォーマンスや精神性を高くするという範囲、能力開発でとどまるならともかく、宇宙論とか手を出す範囲が広すぎるんですよね。論理が壮大すぎる。「全てを解き明かした」―の全ての範囲が本当に広すぎなんですよね。これがパフォーマンスという範囲に留まっていれば高岡さんの評価はまるで違ったものになったでしょうね。まずパフォーマンスをきっちりやって、当然身体意識は宇宙にまで意識が到達する以上、宇宙論に及ぶ。そして、気という論理を取り入れているから、気というものを突き詰めて考えるとこういうことが言える~みたいな添える話として別に論を展開したのであれば、また高岡さんの印象・受け取られ方は全然違ったものになったでしょうね。

 アインシュタイン宮本武蔵・佐川幸義のウォール(p59~)。アインシュタインはともかく、二人はウォールだっけ?リバースじゃなかったっけか?宮本武蔵のウォールについては他の本でも書いてますね。最近の本だとこのウォールをあまり取り上げなくなっただけなのですかね。線がかかってるところを見ると動的ウォールなのかしら?

 フリーフルクラムシフトとジンブレイドの関係。足をジンブレイドに任せて引くという説明が腑に落ちた、これまで書かれているものの説明の中で一番具体的な運用の仕方となっていて一番わかりやすかった。なるほどという感じ。足を引いて急激に滑ることで、身体が当然引きづられて急激に落下すると、そういうことかと。センターが重要だと最近つとに強調していますけど、そこまでこの時点でかなり強調されているという感じではないですね。殆ど聞いたことがないミドルブレイドというものがあって、それがどういう意味なのか気になりますね。

 高岡英夫という名を一躍有名にしたのは、多分、塩田剛三氏との対談の中で高岡さんが当時重視して盛んに提唱していたジンブレイドという下半身に存在する極意・身体意識にあると思います。こういうものが存在しますよね?と聞かれて、塩田御大が「うん、あるよ、あるに決まってるじゃん」とその存在を肯定されたわけですね。

 ビッグネームである塩田剛三氏のこの認定によって、高岡理論がグッと説得力を持ったわけです。しかも塩田氏は「そういうものは弟子に教えない。師から盗まないといけない」と伝承を否定した、まさに「極意」認定されたものだから、高岡理論を学んでみたいと武術を学ぶものが興味を惹きつけられたのだと思います。にわかだから詳しいことわかりませんが、多分高岡さんに注目が集まったのはこの一件だと思うんですよね。
 で、『意識のかたち』でも柳川さんに、こういうものがありますよね?と聞いて、塩田氏のように明確に意識はしてなくても、指摘して言われて「ああ、確かにそうですね」と気づく場合がほとんどと書いてますね。剣道の宮崎さんにもこういう話をしたらしいですが、宮崎さんはどうなのかな?わかりませんが、他に空手の大家である柳川昌弘氏がその存在を裏付けるということでかなり高い説得力を持ったのは言うまでもないでしょうね。合気道と空手道の達人と直接対談して、その身体意識の実証をしたわけですからね、そら業界関係者は大騒ぎになったんじゃないでしょうか。

 で、そういう背景があるので、ジンブレイドの理論を応用して、読み手がこれが大事だな!と連想・理解・認識しやすいということで「ミドルブレイド」という説明をしていたのではないでしょうか?最近ではまるで聞かない用語ですからね。そしてこの頃には「側軸」という概念もないのが気になりますね。軸理論に研究を合わせている最近の高岡さんの傾向を見ると、やっぱ「軸」だなということで側軸に発展解消された概念なのでしょうかね?「ミドルブレイド」というのは。

 「吊りセンター」「積みセンター」という観念だったり、上軸・下軸だったり、あまり軸が一本ビシ!と通っている画が、この本の身体意識分析では出てこないのも特徴ですね。センターが基本的で重要なものであると、書いてあるにはあるのですけどね。
 1234の4つの軸がありますが、それに当てはまらない中軸というものが発達している人が多いですね。これが後に細・中・大というセンターの三層構造になる前触れなんでしょうか?この頃のDS、身体意識図は手描き故か構造もしっかり綺麗に描かれていないですね。あと、右足・左足のRL表記が逆なのはなんなんでしょうか?

 モハメド・アリ―アリも武蔵も相手の闘気をリバースかけて吸収して利用する。相手が強ければ強いほど都合がいいと。武蔵はそれによって滑落して、より鋭い踏み込み&斬撃に転換される。アリは下丹田に吸収すると。叩かれれば叩かれるほどパワーとなって相手の気を吸収する。それこそがキンシャサの奇跡で相手に腹を打たせまくって相手が疲れた所、一瞬で相手をKOした奇跡の理由だと。なるほどねぇ。ココらへんの試合内容の筆致は読んでて面白いですね。敗れた若きフォアマンがその後上軸を備えるようなアリから学んで成長したという話もいいですね。英雄が英雄を育てるというか。

 アリにはジンブレイドのようなものがなかった。下軸や腰の優れた身体意識がアリのフットワークの秘密と。あったらもっと凄かったと。フェイスバリヤというものが中丹田のエネルギーを受けて顔を輝かせたとのこと。

 ベートーヴェン―彼にはブロッドシステムというものがある。史上随一の指揮と定評のあるフルトベングラーもブラッドシステムを理解しているが、完全にそのシステムを見切って理解して、その上で自分の世界を構築するレベルには至っていない。ギレリスとブレンデルという名ピアニストも、ベートーヴェンの血流に支えられた楽曲構造を理解しているか否かという点では、ギレリスに旗が上がる。ブレンデルの演奏は心臓の鼓動・脈拍から生理的に無理のある演奏になっている。

 大山倍達ベートーヴェンに匹敵する上丹田(頭2玉)を強化する三本の軸。上軸に前後と左右の軸。優れた頭脳があったからこそ、優れた世界的な組織を築くことが出来た。助仙・ミドルプレート。ミドルプレートは武蔵・真里谷円四郎に共通するものだと。割って使うというような感じですし、やっぱ側軸的なことでしょうか?サイドウォール・ジンブレイド、武蔵と身体意識が似ているからこそ、武蔵に共感・尊敬していた。動的ウォールなのでしょうか?耳の辺りを中心にできているのは?滑落する動きでない故?この高い位置にできているのは?大山倍達さんの戦い方とか知りませんが、ジンブレイドを使ってシャピャって高速移動するようなイメージがないですよね。

 竹原はん―彼女ほどセンターが発達しているのは、筆者と他二人くらいしか武術界にはいないと。まあ、佐川幸義さんとしてあともう一人は誰でしょうね?

 ピカソ―彼は上から四軸にフォールというものがあり、発狂しかねない恐怖が常にあった。ふと後ろを振り向く得体をしれない不気味な感じ。ピカソは女性からエネルギーを食らって下丹田にそれを収容していた。女性・セックスこそ芸術エネルギーの根源と。

 植芝盛平―植芝には、「淀光」というトンネルのオレンジランプみたいなものがあった。それに包まれない相手(国井、木村政彦)とは戦わなかった、闘争心に支えられた戦いを拒んだが故。生の戦いを好まなかった。「淀光」に包まれない人と戦わないという選択をする人が「淀光」を持つ。ピカソと同じく、自らを崩壊させるようなものを備えながらも上中軸で自分を確保したという点でよく似ている。動的な丹田に複雑な足のディレクター、相手の行動を察知するリバースと相まって予測不可能な、非連続性・不可測性の動きをなすと。優れた足の意識があれば、塩田さんも当然そこに注目しますわな。

 モーツアルト―下軸が五本あって、アリに似ている。軸が天(宇天)にまで至っている。

 ナポレオン―空間認識能力、パラボラ10k~20k。中丹田に上周りと下周りの二種類のエネルギーが入ってきている、これは雑踏の群衆の衝突のようなもの。軍隊のわ~っていう行軍そのものでしょうかね?独裁者にはパラボラが備わるとしてますが、多分軍隊・戦場で備わったこういう意識がそのまま応用されるからなんでしょうね。軍人でない独裁者ってあまりいませんしね。いてもそんな大人物ってわけではないですし。戦国大名のように、常に戦争のことを考えている、戦場にいるのが基本という人間であれば、当然このように優れた身体意識が備わるのも不思議じゃないですよね。武士・侍って軍人だけでなく、政治家でもありますからね。
 政治家が出てきたのでついでに書きますけど、こういう政治家についての身体意識云々はどうかな?と思うことが多いですね。関羽とかもそうでしたし、諸葛亮の上丹田が凄かったといいますが、それは創作上のキャラクターの諸葛亮の方ではないでしょうかね?それらをごっちゃにせず解析できるものなのでしょうか?

 聞きたいのは、この優れた人物に優れた身体意識があった―ではなく、この政治家にはこれとこれとこれが備わっていたけども、この時代・この地域ではなによりもこういう性質からこの身体意識が必要になる。普通ならこれだけ見事なAとそれに劣るBならAが勝つ。しかしこの時代・地域・特殊条件にマッチしていたため、偶然とか天のいたずらでBが勝ったとか、そういう話ですね。身体意識絶対の話だとあまり共感できません。優れた身体意識が備わっていても、時として失敗する・敗れるという話のほうが聞きたいですね。優れた身体意識が備わっていれば成功するのは当然ですからね。
 また、AとBで二人を比べるとAが勝つはずだが、妻とか家族とか部下・参謀とかサポートをする集団ひっくるめると、チームとして見るとチームBの方がバランスが取れていた・補完関係が上手く成立した。しかしAはそうでなかったから敗れてしまった―とかそういう話ですね。上手く組織を支えたバランスを取っていた誰かが死んでしまって、集団としての身体意識のバランスが崩れ、組織バランスが上手く行かなくなったのでだめになっていってしまったとかもそうですね。

 政治・歴史的な解釈で?と思うのは、信長とチンギス・ハーン比べてグローバル時代だからチンギス・ハーンみたいな人物を参考にすべきという意見だったのが秘伝の連載であったのですけども、規模が大きいだけで優れているというのはおかしい。むしろ広いだけで、構造が似通っている大陸をある程度まで行ったらあとは慣性で一時的な支配はたやすい。広大な領土よりも、複雑な特定・局所地域を治めるほうが難しいことがある。というより端から難度のクオリティが違うというべきですね。そのクオリティの性質を説明せずにでかいからスゴイみたいなアプローチの仕方はかなり疑問ですね。

 チャーチルとかそういう偉業をなした人間の身体意識が優れているのは然程驚きがない、当たり前ですよね。それよりも全然知られていないマイナーな人物。優れた身体意識がありながらも、時代・運命のイタズラで報われなかったとか、及びその逆の人物とか。またはこれから新史料が見つかる可能性がある人物で、身体意識が通説と言われていることとどうも一致しないという人物をやって欲しいですね。今までの歴史研究ではこう言われているけど、どうも身体意識を分析するとそれは筋が通らないと。将来もし史料が発見されたら、これは訂正されて身体意識分析の結果、こういうものに修正されるだろうということを予言しておくことですね。で、まんまと新史料が出てきてそれがあたっていれば、その超越揮観の実証性に繋がりますからそういうことをやって欲しいですよね。

 ミケランジェロ―彫刻のために柔らかい繊細な仕事をするための左と、破壊するためのエネルギーを作り出す右という矛盾した装置を作り上げた。それゆえに、人生においてこの矛盾が彼を苛ませることになる。王向斎がスイッチオン・オフ出来たように、オン・オフ出来なかったんでしょうか?ミケランジェロの彫刻作業の至難さは、一瞬で相手のクビを切り落としたり、襲い掛かってくる集団を切り伏せていくものと同じくらいの難しさ。本質的に、芸術が武術の下などということはありえない。


 Nido氏のルービンシュタインミケランジェリを凌ぐショパンマズルカの演奏(p244)。カール・ルイスは近代オリンピックスポーツ史上最高のアスリート、並ぶのはインゲマル・ステンマルクくらい(p247)。1993の春の対談まで黒田鉄山氏のセンターは200mほどであり、カール・ルイスは800mでカール・ルイスの方が優れていた。意識体重層制御も出来ていなかった(潜在身体にセンターをかけて、顕在身体をそれに合わせていくとある。これは垂体一致のことか?)。対談以後、構造がはっきりしだして、太陽系に至る高さになった(p254)。

 Nidoさんを後天的に作られた天才と最近絶賛しているのを見ました。それほど優れた演奏が出来るのでしたら無料で映像公開してもらえないでしょうかね?演奏聞いてみたいんですけどね。素人の己には多分凄さはわからないでしょうけど、音楽家の評価を聞いてみたいですからね。
 この頃カール・ルイスがスゴイ!と書いてあるのですが、しばらくすると全く出てこなくなります。これはどうしてでしょうか?個人的にはそんなにカール・ルイスゆるんでるという感じはしなかったのですが…。ステンマルクジョーダン・ウッズ以後まるで出てきません。『人は地上最速~』*2という本を書いてましたし、ここらへんの研究で大きく変わっていったのなら、それをきっちり書いて欲しいですよね。

 黒田鉄山先生は自身のDS図をン千万で売られたから、怒って以後関係を絶ったという話を聞いたことがありますが、本当でしょうかね?そんな金出す人がいるかどうか怪しいですけど。この本だと筆者の影響で黒田鉄山が伸びた!ワシが育てた!と受け取られてもおかしくない書き方ですよね、傲慢に映りますね。どうもNidoさんのような人が早いうちに出てきたので、今後もバカバカ優れた人材を輩出できる、弟子をいくらでも育てられる!と思い込んでいたのでしょうかね?なんとな~くそんな感じがするんですけどね。今Nidoさん以外に高岡さんの下で育っている天才っているんですかね?アスリートとか芸術家で弟子はたくさんいるんでしょうけど。結局はどれだけ優れた後進を残せるかが、高岡さんの評価を決めますからね。

 Nidoさんは、呼吸法・丹田を作ってから、ピアノの椅子を真っ二つに割ったり、ピアノ線を切ってしまった。他にも驚異的なエピソードがあるとのこと。このパワーは達人がちょっと小突いて、相手をふっとばす突きの威力に相当する(p266)。

 この破壊のエネルギーを癒やしのエネルギーに変えるのが芸術(p275)。植芝の合気道のセラピー化も無往心剣術の相抜けもその癒やし化だと。超絶的な破壊技を持つものは、武術において超術的癒やし合いを求めることがあると。剣聖の動きを再現することで、天女と交わっても得られない悦楽が得られる(p278)。

 センターや丹田はフリーフルクラムでないと意味が無いが、スティフフルクラムでも作ることが出来る故に認識・理解されやすい(p295)。なるほど。

 イチローは一歳くらいの写真から、他の子どもと違っている。子供の頃に既にジンブレイドが存在する(p303)。ジンブレイドを育てるためには土踏まずマッサージ。大偉業をなすためには運・鈍・根が必要。
 で、『上丹田中丹田・下丹田』にあるイチローの高校時代の身体意識図だとほとんどなにもないんですよね、これどういうことなんでしょうか?『センター・体軸・正中線』だと、センターとジンブレイドがあるみたいな書き方になってますが…。どうしてセンターとジンブレイドあるいは裏転子とか書かれていないのか?それらだけは高校時代のイチローにも備わってないとおかしいですよね?プロ入り後急激に色んなモノが身についたことになってしまいますが…?確かにドラフト4位でそこまで注目を浴びる選手ではありませんでしたが…。うーん、整合性が取れないですよね。

 あと軸と丹田が単純に重なりあってそれぞれに影響を与えてしまうような図式は危険だという話があったのですけど、この表紙かウラの表紙に思いっきり三丹田軸で串刺しになってるんですけど、それは…?研究が進むに連れ初期の頃とズレが生じるのは当然だと思いますが、それならそれで、以前の価値観・考えと今のそれをキッチリ修正して提示しておいて欲しいですよね。以前この著書でこう書いていましたが、今はこれこれこういう視点からこう考えていますというふうにきっちり訂正して欲しいですよね。

*1:この相撲の話、昔の力士の方が圧倒的に強かったという話の出典が気になっていたんですがひょっとしたら、この話は高岡英夫氏ではなく、甲野善紀氏だったかもしれません。その頃は甲野さんのマイナーな著作も手を出してほとんど読んでいたので。

*2:過去に取り上げていますね。この本のことです。