別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

身体の話(2014/9)

 

究極の身体 (講談社+α文庫)

究極の身体 (講談社+α文庫)

 
究極の身体

究極の身体

 

  久しぶりに読み返して気になった所。背骨を使う際に、胸側の固まりがデッドロックとなって背骨を自由に動かせなくなる。胸肋軟骨、肋骨は胸骨との間が軟骨になっている。その柔軟性を赤ちゃんのように取り戻すことが背骨を使うポイント。ベストという身体意識はどうしてこのラインを通るのか、疑問に思うところがありましたが、この胸肋軟骨があるが故、そこが動くがゆえですか。

 四足動物のように甲腕一致させて使うときには、胸が閉じて肩関節がなくなる。両手を合わせて、胸を底辺とした二等辺三角形が、胸が閉じて「谷胸」と呼ばれる状態になって、より四足動物の前肢のような形に近づくと(=より底辺が短くなって、辺が長くなる。正三角形型から二等辺三角形型にシフトする感じですね)。胸の柔軟性=腕の柔軟性と、胸まで有効活用してより使える腕になると。

 側軸、側体は背骨・軸を含んだものと、含まないもので左右二本ずつになるが、腰は仙骨を含んだ割腰1つずつしかないと。

 ジョーダンは肋骨が釣られた五円玉のように12の輪となってフローティングしている。これほど独立していて、なおかつそこに浮身がかかっているから、おもいっきり前方に身体を投げ出せる。

 リアレバー=踵を使うから早い、フロントレバーの、ふくらはぎのパワーを使うが遅いという書き方があったが、競技や場合によっては速さよりパワー重視で、フロントレバーも使わなくてはいけないことがありうるのだろうか?

 スキーは身体を投げ出していくから、究極の身体に近づきやすい。脊椎波動運動が地面では何も起こらないが、雪上では動きに転換される。魚類の快適性が再現されると。

 

 割体・側体、割って使うこと。改めて読んでいて、身体を割りたい、左右に割ると自然とゆるむし、軸が通る。まあ後で書くのと共通してるので省きますが。

 

 

 センターは体の中より、外を意識したほうがいいかもしれない。ちょっと立禅をやっていて、ジョーダンのように脇が吊られる、浮くように、そこに空気を通すイメージでやっていた所、気づいたところがありました。また肩甲骨に羽が生えたようにそこに浮身がかかっているというので、それもイメージしてみて、もっと身体を浮かせたい、フロートさせたいと意識して立禅をやっていました。

 

 んで、その途中個人的に己の理想的なイメージとピタリと重なる立ち姿をしていると感じる姚宗勣氏(ちなみに意拳の二代目の人ですね)のように、身体を浮かせるイメージでやって、もっと姚宗勣氏が全身浮いてるように、全身の空気がもっとふわっとしているようなイメージでと意識してやった所、むしろ自分の体内を感じてああだこうだやるよりも、外側、つまり自分の周辺の空間を柔らかくする、動かすというイメージを持ってやるほうが身体が変化するかもしれないということに気が付きました。

 

 体外性意識なんていう言葉がありましたが、あと力こぶを作るときに、力こぶの少し上、身体からはみ出た空間に意識を集めるとより力強く筋収縮が出来るという高岡さんの説明があったように、意識は身体の外に置いたほうがもっといいのかもしれないと。んで、自分の頭の上や地面の下を意識すると身体の脱力が進むんですよね。グラッグラになる。なるほどセンターというのはこういう意味があるのかと感じました。というか今頃気づいたのかという話ですが(^ ^;)。

 

月刊 秘伝 2014年 10月号 [雑誌]

月刊 秘伝 2014年 10月号 [雑誌]

 

  秘伝に藤本さんの記事が、まさにそういう身体の外の感覚についての解説だったので、なんというタイミングの良さだ!とびっくりしました。内と外をIとOの意識で説明していましたが、果たしてそれで伝わるのか、読み手にわかるのかどうか?ちょっと微妙じゃないかな?とか思いましたけど。

 

 手の甲・掌に意識や重心をおきながら腕をふるのではなく、脇に置く。そうすることで自然と姿勢が作れる。胸・肚、吊られる意識も出る気がする。自然に身体が開く。中国拳法の人体の画だったり、剣の指南書が描く人体図がもっさりとした人の絵、カエルをひっくり返したみたいな画になるのは、正確な画力がなかったという他に、横に身体を開いた姿こそ身体を支える・ポイントなんだという意識があってのことかもしれない。やっぱり身体を開きたいんですよね。開けば軸が通るし。