別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

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身体の話(2014/6)

 書こうと思って時間がなくてかけなかった身体の話。先月のうちに書くはずだったものの続きです。まあ、毎回誰が読むんだ、これって話ですが(^ ^;)。

 背骨を使うために、背骨を反らす意識を持つと何故かうまく全身がつながる、連動する感覚がある。これは一体なぜなのか?反らすっていうか、背中・背骨を後ろから押すような感じに使う感覚なのですが。そうすると仙骨から全身うまーく全部意識が通る、使える感じになるのですよね。

 センター=軸=背骨が重要と考えると背中よりも身体の中間に意識が集まる。それは間違いではないのでしょうけど、己のように身体の開発度が低い者にとっては、あえて一度背中・背面に意識を移してそちらから自由度を広げていく、身体を開いていくほうがいいということなのかしら?

 背中、肩甲骨だったり、背骨だったりを自由自在に使えたり・十分に緩んでいるわけではない、ならばそちらを使うような感覚をもっと大事にした方がいいということなのかしら?

 秘伝で高岡さんが腰の重要性を話していて、仙骨・腰椎とかそこら辺を使うことを考えていて、そこら辺をを自由に使うにはやっぱり後ろに位置しているように、意識を後ろにおいたほうがいいんですよね。前回眉が凝るという話の中で、チラッと書きましたが、猫背ではなく胸に手を当てたりして、胸に意識をおいて、背中が丸まらないようにする。胸を開いて背中が猫にならないようにする。猫背の逆ってなんでしょう?鳩胸?ゴリラ胸?クジラ胸?そういう感覚を持ちたい。

 で、まあ甲野さんなんか『表の体育、裏の体育』なんかでも書いてるように、近代西洋式の身体使い、胸を張る・腰を反らすといった姿勢を「居着いた」姿勢として否定しているわけです。そう言われると、「その身体の使い方は間違いじゃないか?」と詳しい人はこれを読んで思われると思います。

 ポイントはやはり「身体を開く」ということだと思います。いわゆる「胸を張り」、「腰を反らす」と言った姿勢はそれで力を入れて固めてしまっている、そこに力を集中して動かないようにしてしまうからこそダメな姿勢なわけで、己が今書いているのは「力を抜いて開く意識」が強いのでそれとは違うのですよね。「胸を張り」、「腰を反らす」というのはそこに岩のような「グッ」という固める感覚があるかと思います。こういった間違った身体使い、意識は、小学生の朝礼みたいなもので教えこまれた、あるいは体育で正しい姿勢として教えられたものだと思います。子供は体柔らかいですから、ふにゃふにゃして自由闊達な子供の身体を抑えこむために固めることを、身体に無知な大人はそれが正しいと思ってそう教えてしまうんですよね。

 背骨を後ろから押されるような意識を持つ、押してやる。すると、身体は自然と反り気味になって、胸も開くと。高岡さんの昔の身体意識図に矢印で後ろから押すようなものがよくあった気がしますが、それなのかしら?腰から上が押されるということは壁によっかかってるようなもの。そうすることでより膝で支えなくていいので、膝がリラックスできる。軸を通すには膝の後ろに意識を通すことが重要とあったので、そこにも繋がるのかな?という感じがしています。

 後ろから人に押されると、どういう姿勢を取るか想像するとわかるように、当然人は力士が後ろに回りこまれたように、あるいはバスケット選手のスクリーンアウトのように、あるいは通勤ラッシュで後ろから押された人のように、後重心になって傾いて、押されるものに抗うのと同時に横に身体を広げて、重心を落として対抗しようとします。横に身体を開きたくなるのですよね。

 身体を横に開きたい、広く使いたいんですよね。

 胸に手を置く、意識を置くという話を書きましたが、胸はどうも?あるいはすぐに忘れちゃうということになるのならば、お腹に手を置くというのも手だと思います。骨盤が立ってしっかり座ればいいのですから、お腹に手を置いといて、骨盤で椅子を探る感じでも軸が立つには十分ですからね。

 そうそう、その高岡さんがガンダムの「ニュータイプ」を例えに使ってましたね。ゆるんだ人間は動けるだけではなく、察知能力が違う。まさに「ニュータイプ」のようになるのだと。当時の高岡さんがガンダム見てこれだ!って思ってたってのが面白いですね。

 そういやその号で松原秀樹さんが結構面白い話を書いてたんですけど、なんだか忘れちゃいました。なんだったかなぁ?まさに軸を通すには背中を使うって話だったか?親指を酷使して固まるから、肘・肩を痛めるとかは覚えているんですけどね。いつも松原さんはオイルかなんかが出てきて、なんかいつもオイル塗ってんなって感じでそんなに読んでなかったんですが、面白いですね。本読んでみようかしら?

 で、胸を使うという話になって、胸の意識が高まると、そこで距離感を図る感覚があるんですよね。リバースは胸に出来るものと言いますが、人との距離感だったり、ものとの距離感覚は目ではなく、胸で人間は感じるもの・測るものなのかもしれません。宇城師範が胸のライトというように胸から対象に向かっていくという意識が強くなるみたいです。調子よくないとすぐそういう感覚は消えちゃいますけどね。宮本武蔵は頭の後ろから背後・背中にそれがあったということは、よっぽど距離感覚、空間認識に優れていたんだろうなぁ~となんかわかった気がしますね。

 胸の意識、しっかりした中丹田が出来ていると腕組みができなくなると、高岡さんが書いてましたが、横の圧力が凄いですもんね、そういう中丹田タイプの人って。ワールドカップでの選手紹介で腕組みシーンがありましたが、あれどうなんですかね?良くないんじゃないかな?って気がしますね、アスリート的には。ラーメン屋は必ず腕組みをしている。これはこの前亡くなった佐野さんの影響だなんていう指摘を見た記憶がありますが、どっちかというと威圧しているようなイメージがあってあんまり良くない気がします。自分の目の前に腕組みをしている人にいい印象を抱かないでしょうしね、普通は。これから美味しいラーメンを食べてもらうのなら、自分で作ったラーメンもって胸の前において、笑顔でいいんじゃないでしょうかね?あの頑固ラーメンみたいなのは、時代のモノでもはや廃れたものとしか思えないんですが、気のせいでしょうか?

 啓発ビジネス本でも、そういうのを見かけました。美人のねーちゃんがモデルのようなポーズ取ってる以外は、斜め45度で腕組み写真が表紙のそういう本を多く見ました。まあ真正面からただ笑顔を写したものよりいいってことなんでしょうけどね、さすがにああいう本で人を威圧するようなポーズで腕を組んでる人はいませんでしたが(笑)。

 胸に意識があると、胸を開くと腕組みできなくはないですけど、やっぱやりにくいですよね。胸を無理やり潰さないと出来ないですからね。

 で、胸の話はここまでで、上に書いた甲野さんの話で、かなり最初の頃の著作ですが、背骨バランスの取り方の説明で、竹箒を例に出して、手のひらの上に箒をおいて倒れそうな箒をずーっとバランスをとりつづけて支えている感覚というたとえをしていました。んで、居着いた人、普通の人というのは手のひらにある箒を、ガシッと手で掴んでしまっている状態だというたとえをしていました。その説明がなんか理解できた気がします。

 いまさらかよ!ですけどね(^ ^;)。浮くということが重要で浮くしかない!ということを甲野さんも主張されていましたけど(身体論、身体のあり方の話であって、技の出し方や使い方の話ではないですが。それをごっちゃにして批判している人がいましたね…。)、浮く=漂うということなのではないか?と気づきました。浮くことはより正確に言うと漂うことだというふうに個人的な形で説明、理解ができるようになると、竹箒のバランスの話が理解できるようになりました。なるほどなぁ~本読んでから何年時間経ってるんだろう?って話ですが(笑)。

 まあ、結構書いたんで、続きはまた次回。肩甲骨、肩包体とか胸の使い方の話もあるので、それ書くとまだまだあるので、ここまでで。