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【身体論】 溶粘歩動法=その場足踏みの話

 【身体論】 漢語由流体操で気付いたこと「抜く」重要性の続き。

 溶粘歩動法=その場足踏みの話です。一日一時間、TVでも見ながらその場足踏みをすると良いとのこと。30分でも5分でもいいからやると健康法としていいし、なにより運動をする者にとって必要な歩行能力を高める効果があると。

 武道家でも武道をやって体を壊して歩けなくなるようなことがかなりのケースである。それでは本末転倒。歩けないようでは武道・武術をやる意味が無い。また社会全体の課題でもある福祉の話にも繋がる、介護の世話になる老人ばかりの社会が豊かな社会であるといえるか?何よりその老人が幸せであるといえるか?そういう点からしても歩行能力の向上とは人間にとって非常に重要な問題。

 武道のみならず、スポーツでも姿勢というのは非常に重要。特に立つことはその運動能力、アスリートの能力を決定すると言っても過言ではない。立つこと、歩くことが下手糞なアスリート・武道家はいない。一流は例外なくこれが出来ている。まあ要するに人間としての原点の能力であり、磨くべき基礎なわけですね。

 さて、その場歩きをしていると面白いことに、運動の逆転が起こります。腕を自分で振る感覚がなくなり、勝手に振れるようになる、これはだれでも容易に体験できることでしょう。それにつられて胴がつられてねじれて勝手に足が出るようになるというのは昔書きましたね。

 それ以上に脚をその場で「抜く」ことに注意するとまた違った逆転現象が起こります。サッサッという感じ、あるいは歩くためにスッスッという感覚がこれまで大事でしたが、脚を「抜く」ことの重要性を理解してからはその場で脚をひょいと抜くように持ち上げる、あるいは天井から吊るされているような感覚がさらに重要なポイントになります。

 脚の力感が全くなくなるような方向に向かって足をあげること。そのようにその場で足上げをする。ただ抜くという使い方を心がけると、脚はもっと力を抜くことができるようになります。脱力が可能になる。いくら力を抜こうとしても足を使う、歩くという感覚では脱力に限界が有ることに気付きました。脚を「抜く」地面に刺さった剣をひっこ抜くように脚を抜いて使わないとダメですね。

 このように脚を使うとまさに四足動物、馬などが足を使う感覚と同じに、馬が足をかっぽかっぽと使っているようになります。馬の操作感覚などわかりようもないですが、自分の中で馬がカッカッカッと軽く走っている感じ、またはゆっくり歩いている時の馬のスーッとした感覚、のったのったした感覚、そのような馬の足の使い方とリンクするようになります。傍から見ていてそう感じるようになりますね。

 まあそれだけああいう動物の身体の使い方が見事だから、技能が向上すればそのような身体使いに似ていると感じるのが当然なんでしょう(無論、勝手に似てきたと自惚れている可能性は否定できませんが…)。

 脱力をすることは当然技能の向上とイコールです。最小限の力で立つには、体全体が吊られるようにならなくてはいけない。このことは以前から高岡さんも本で書いてあることですから、より吊られる感覚になる足の使い方をすることは重要でしょう。

 普通足を使う感覚は大抵の人が地面をドスドスと蹴らないまでも、踏む感覚になってます。その場で脚を抜くという感覚は、それとは違って地面に着地をすることより(脚で地面をしっかりと踏むことより)もその場から脚を上げること、吊り上げることに重点が置かれてますね。股関節・肚から始まって膝やつま先を吊り上げる事が大事。よって運動が逆転して上から下に動かす意識ではなく、下から上に動かす意識になります。丁度、空き缶をヒモで結んでその上に足を乗っけてヒモで足を動かす子供の遊びをしている感じでしょうか。多少違うけど、足を吊って動かすという点では同じですね。竹馬など子供の遊びには身体使いを養う上で大事な要素が多々あるということですね。

 逆転すると足を下ろすことよりも上げることが大事だということになるから、足踏みは足上げに変わります。「その場足上げ」運動になるわけですね。腕をパターンプラーンと振りながらそれをやっていると、自然とダンスのように、踊りのようになってきます。腕を上に上げっぱなしにすれば完全に阿波踊り。ああなるほど、踊りというのはこういう風に体を整える機能があるんだなと気づきました。

 へんてこな挙動をする阿波踊りは初見では「何してるだこいつ?頭おかしいのか?」と思うものですが、ああいう足の使い方は踏みしめることではなく、その場で楽に抜くことが本当の足の使い方だよということを教えているんですね。脚をその場で抜くことは自然ともう片方の足に重心がかかりますから、わずかに重心が落ちます。そして同時に上半身もつられて自然と前傾する・撓むことになります。

 軽い上下運動が自然に伴う。丁度黒人ランナーがリズミカルに走るように、また以前テレビで中南米の何処かの商店街の売り子のお姉さんが当たり前のように踊りながら接客をしていましたが、ああいうようにリズムを体全身で刻むようになる。この中南米で当たり前のように踊るというのはそれこそが人間としてあるべき姿、踊ることで心だけでなく体を整えるのが当たり前というのを示しているのでしょう。もちろん、踊ると言っても激しいものではなく、上下に軽くリズムを刻むようなものでしたけどね。ボクサーが入場する前のウォームアップみたいな感じですね。

 上下運動、つまり軽いジャンプのような運動はどんなアスリートでも必ず行う運動です。そうすることで背骨、身体が整うからみんなやるんですね。踊りにはそういう効果があり、宗教・神事として機能していたのもそれにより身体開発の側面があったからでしょう。まあ、あとトランスによって集団の意識を協調・リンクさせて集団の一体性を磨くとかそういった要素もあるのでしょうけど。

 その場足踏みはタップダンスのように、また脚と指で違いはするけどもピアニストが鍵盤を弾くように足で弾くような感じでもある。脚だけではなく背骨を通じて上体で、つまり全身で脚に力を伝えて弾くということを教えてくれます。

 上半身と下半身の協調・連動ということを考えると、より上下運動で背骨を整えなくてはならないというテーマが出てきましたね。どうも腰と背、拘束腰芯と拘束背芯あたりの部位が上下でばらばらでうまく連動していない感じがあります。背が腰に乗っていない。キレイに頭・首の体重が腰に落ちていっていないというか。その場ジャンプや、足踏みでこの上下の連動ということが再び気になってきて、その一環でまた軸タンブリングみたいな動きをやったほうがいいのかなという気になってきました。

 新しいテーマは落ちる・繋げるでしょうか。まあ昔落ち続けることが大事なんだって書いた気がしますけど。落ちればその反動で身体が浮きますからね

 なんというか立ってる時にスッという感覚がほしいんですよね。その場足踏みで体重が自然と落下する。落下して背と腰が繋がった感覚になると、立っていても歩いていても身体が落下しながらスッと繋がっている感覚、抜けている感覚があるのでそれをもっと追求したいかなという感じになっています。

 ―とまあ、そんなそんな足踏み運動はイイヨ!という話でした。

 そういえば東恩納さんの空手の本だったかしら?「落花」という話があったがそれってこういうことを言っているのかしらん?とか思いました。