別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

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柔道界の腐敗、武術・武道かスポーツ化か不明瞭な路線が根源


 NHKの解説で、講道館全柔連に対して強い影響力を未だに持っている。しかも四代館長まで嘉納家の世襲だったと。へえ、武道で一子相伝という構造は珍しくはないですが、講道館がそうなっていてかつ未だにスポーツ化した柔道にも影響力を持っているとは知りませんでしたね。

 むしろ今の館長上村さんって人がどうやって初の世襲じゃない人物として選ばれたのか、経緯が気になる所。五輪競技でスポーツ化の道を選択したのだから競技と武道、お互いの路線を明確にして早く分けるべきだったね。別に組織を分割せよとは言わないけど武術や武道としてのそれ、スポーツとしてのそれと明確にわけないと問題が起こるのは当たり前ですからね。

 スポーツか武道か、両方共選択することは出来ない。その二つが矛盾するというより、現代社会だと機能がどうしても事ならざるを得ないから、二つの体系をきっちり別物にして、分離独立する必要はないけども、お互いがそれぞれのアイデンティティ・領分をきっちり定める。んでこっちはこういう路線、そちらはこういう路線と確認し合った上で有機的に連合・協調するような組織を作らないと破綻するのは目に見えていますよね。

 一本を取る柔道とか現状を無視して負け続けた無能トップを輩出したのも武道とスポーツを分けられなかったから。どちらが優れてどちらが劣っているとかそういう問題じゃない。機能が違う。まあ変われない日本の組織の典型例ですね。

良い悪い別にしてスポーツ化、エンターテイメント化は現代社会では不可避。武道・武術>スポーツなんてことはないのだから、いい加減社会構造の変化に応じて両者を明確にわけないといけませんね。まあ、相撲なんかもそういう性質はありますよね。宗教とか伝統とかそういうものを引きずってるから合理化・近代化ができにくいという。

 剣道なんか五輪化していないので、あまり矛盾は生じていないようですけど、やはり技術体系とかに無理があるみたいですからね。実際に人を斬るのと撃剣(竹刀)を使う、スポーツ化したそれではかなり違いがあるといいますし。まあそれでも剣道の場合は半スポーツ化という形で一応深刻な矛盾は生じていないようですが、五輪だったり一大スポーツとして規模が大きくなるようなことがあったらどうなるか…?

 柔道はわかりやすいというか見栄えがするし道具いらないし、武術に根ざすもので一番成功しましたよね。空手の方がもっと世界的に受けそうなものですが、空手の場合は伝統派と実践派とかでルール・組織が多様化・細分化されすぎてしまったので、最早収拾不可避ってのが大きいですかね~。

 そういや柔道の場合、実践化・ケンカ柔道でもなんでもいいんですが、実際に柔道を使ってどう戦うかということを突き詰めて競技化するってのないですね。こんだけやる人が多いなら、打撃ありでそれをどうやって捌いて投げるか!みたいな方向にいかないのはなぜでしょうか?もう、そうなったら総合やるからいいや~みたいな感じなんでしょうかね?柔道はなんといっても身体を重心を下げるすぽーつですから、それゆえに自由活殺・自由自在なモビリティとは無縁になる。不動心的な傾向が強くなるので、そういう感じになったりするんですかねぇ?