別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

甲野さんの体罰についての一考を読んでの感想

「オリンピック選手に体罰」が行われる謎を解く ―を見て思ったことをつれづれ書きたいと思います。

 甲野氏が言う話は別にして、柔道は選手毎に指導者・専属コーチをつけるシステムにすれば、理不尽な指導はかなり減ると思う。集団競技でもないものに監督なんてそもそもいらない。制度の前提がおかしい。*1

 現役選手が上の人は『しっかり掴め』と『死ぬ気でいけ』としか言いませんから―という証言は決して軽視していい問題ではないだろう。繊細な感覚が必要とされるトップアスリート、五輪というトップレベルにおいてそんなのは指導でもアドバイスでもない。そういう怠慢が許される環境は異常。無駄指導者・管理職であろう。

 正直、パワハラの告発というレベルで終わってしまったのは残念という気がする。根幹はそもそも個人競技の柔道に監督はいらない。選手が方針を自分で決める、邪魔な腐朽組織は引っ込んでろ!と本質を喝破すべきではなかったか。代表選考システムを整備したら、余計な柔道組織・管理職は廃止すべきだろう。問題の本質は不要な組織の肥大化、天下りポストの無駄高官職がもたらした問題と言える。柔道界の肥大化に踏み込む人が出るのはいつの日のことか。

 道路公団民営化の問題と同じ、必要なくなったものを民営化してもしょうがない。必要がなくなったのなら「民営化」ではなく「廃止」しなくてはならない。柔道パワハラ問題も、今回の監督辞任劇で「廃止」すべきところを「民営化」でごまかされたのではないか?同じ問題が再び起こるのは言うまでもない。

 指導者が五輪選手以上の業を持てば暴力・体罰は必要ないと言うが、それは無茶ぶりとも言える。そのような人は稀だから。だが逆にそういった指導法が確立されないからこそ、現に体罰問題が起こるとも言える。要するにそもそも殆どの人間が現役引退後、指導者の道を歩むと成長は止まる、劣化する一方。だからこそ手っ取り早い暴力に走る。暴力や気合を入れること以外することがないという構造になるのだろう。そういう現状がある以上、代表選手が好きな様に練習環境を選べる選手主導型システムに変えていくべきだろう。

 そして体罰の過剰取締で女性教諭が男子生徒を御せなくなるような事態を考慮して体罰を全面的に禁止するようなことは好ましくないということを論じているが、これはちょっとまた違う話になると思う。要するに明確なルール化がないことが問題なのであるから。まあ現今のような社会だとわけのわからないクソ制度を作りかねないのだが…。

 また本質として武道とはいかに場を治めるかということを考える、実行するものなのだから、そもそも体罰が問題になるような、いちいち法や制度に頼るような状況があってはまずい。人間がその都度その都度、的確に対処できるならばこういう問題は起こらない。結局自分の頭で問題を考えられない、判断できないことに尽きる。

 柔道・剣道更には逮捕術までが、実際の現場で使える技術と乖離してきている。競技化して実用よりも競技用になってしまっている。試合こそが本番だからそちらのほうが「実用」ということなんだろうけども。桑田氏への反発・排除も要するに自分たちの専門領域に口を出すなという例の官僚病であろう。既存組織、システムを揺るがすような行為に対して過敏に反応する=自分の定例昇進に傷がつくからだろう。

 またしても会計処理で不手際が見つかったけれども、相撲同様本質的な構造改革はなされないままウヤムヤで終わるのだろう。

*1:専属コーチ制で、そのコーチは本人が選定可能なシステム。選手個人が指名出来るものでないと、また変な古い価値観を持った人がコーチになって同じことの繰り返しになることは言うまでもない