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別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい

【身体論】 手足をつなげる、あとねじれと音とか

 前回の身体論(【身体論】 胃腸の話や腹を使って歩くという話)の続き、続けるのも良くないかなと開けたら意外に間が開いた。

 前回の書き忘れから、江夏氏いわく、腹は横に出てはダメが、前に出る分は構わない。こういう感覚はきっと腹を使って歩くのに邪魔にならないから何でしょうね。またいろんな身体動作に力に出来る腹のあり方という話にもつながってくるんでしょうね。中国拳法でもお腹デップリの人いますから。

 足を大きく開く、身体が足を底辺に頭を頂点にして台形三角形を形成するのではなく、底辺の足幅が上体より狭いほうが大袈裟に言うと逆三角形に近いほうが不安定になって歩きやすい。骨盤より足幅が狭いほうが動きやすいんですね。不安定のほうが体重を支えにくく、身体はグラグラする。その絶えず揺れ動く不安定さこそ発進力につながりますから。ガチっと固めてしまうと、またゼロから力を加えないと加速できなくなる、動けませんからね。

 んで、最近気づいたことは手足をつなげる、背中を緩めるのではなく一枚のシートとして意識するだけ。身体の繋がりを意識するだけで勝手に緩むということですね。そりゃゆるめようとしなければ、身体はゆるまないんですけど、あんまりゆるませようとしなくても、体全身の繋がりを意識したほうが身体はゆるむ。勝手に身体が緩むということに気づきました。

 ねじれ、身体をつなげたまま捻る。蛇のような感じか?連帯しながらねじる。一般的なため・うねり・ひねりは連帯が切れて局所運動になっているからダメ。連帯切れなかったら良し。というか連帯を切れずにねじることで身体のつながりがよくわかる。本当の力が生まれる。纏絲勁なんて言葉があるようにね。本来骨格・筋肉が繋がっていない部分が連動させることによって、身体のつながりがわかる。

 なんかその部位・内部を意識するよりか、外部の方がいい。腕だったら、包帯ぐるぐるドネルケバブみたいに、周囲半径15センチくらいに巻き付いているみたいな感じがあって、そういった身体外性を意識したほうが連帯・連動というものはよくわかりますね。感覚が発達していくと必然的にそういった外部意識が出てくるのかもしれません。手で綿飴作ってる感じですね。

 ねじれを意識した結果なのか、離れた部位、手と足の連動を意識しやすくなりました。手と足がつながる、身体を開く・広げるには非常に有効かもしれません。つなげて勝手にゆるんでいく、これがテーマかな?

 一週間に二回は自然に囲まれたい、自然に触れたいと思っていますがどうもなかなか時間が取れない、合わない。明日またいければいいけど。ちょっとだけその話し、また自然に触れてから書きたいから深くは書きません。自然に囲まれると、お前ここは初めてか?力抜けよと自然に教えられる。勝手に力が抜ける。変なところに力が入っている、部位を固めて使ってしまうんですね。日常で人工物に囲まれた暮らしを送っていると。近代化された社会での生活というのを元々生物としての人間は前提にしていませんからね。

 おまけに、耳を使って歩くこと。目ではなく音を頼りに歩くと身体の感覚がよく分かる。まあずっと目をつむってるわけには行きませんけど。外の音と内の音のバランスが重要ということでしょうか。まあ身体の音はしませんけど、探るという感覚を察知するのに耳は重要ですね。ちょうど組み打ち系の競技で相手の力加減を察知するのに、表面の目で相手の動きを予想するよりも、組んでいる部分・相手に触っている部分で探るほうがわかりやすいというものですかね。

 勝新座頭市目が見えなければ、物が当たるのが嫌だから目線を下に落とすということを言ってましたけど、目線は下に自然に落ちるっていう気がしますね。目を使わないと顎をちょっと上げて目で外の世界を判断しようとる必要がありませんし、耳を傾けるという姿勢は少しクビをかしげるような感じになるようにちょっと前に倒しますからね。目を使わない、耳の機能を十全に発揮させようとすると自然にああいう姿勢になると思います。

 寝る前に、手足を伸ばして熱を外に出してやる。熱を外に放出することで眠りに入るというのをみました。その体温を下げる力で眠りに入ると言いますから、眠る前に指伸ばしたり、足首回して動かすといいとか。眠りの質を上げるための小ネタですね。まあ今回はこんなトコロで。