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別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい

【身体論】 胃腸の話や腹を使って歩くという話

 梅軒サンに言われて、人は自然に触れておかないとおかしくなってしまうという話を書くつもりが何時まで経っても書けない(´-ω-`)。で、まあようやく身体に関することをチラッと書いてみようと思います。これは前振りで、次回こそは自然と人工物の話を!

【夏どっちが快適かいう話】

 余談ですが、夏冬どちらが快適かという話について。人は冬・寒いほうが快適、服着れば自然に自分の体温で温まる。夏は暑かったらどうしようもない。皮膚脱げないもん。とおっしゃってましたが、己は逆なんですよね。貧弱な現代っ子ですから、低体温なんですよ。夏は行けますが、冬はダメですね。

 まあ、夏でも発汗で体力奪われて食欲無くしてへばったり、なんて問題もあるんですが、飲んだり、アイス食べたり、シャワーやプールでいくらでも夏は対処できますが、冬は無理。寒いと身体が動かなくなってしまう。着こめばいいというのはたしかにそうなんですが、身にまとうものが多いと布地が邪魔して自分の動きが制約される。パツンパツン感覚で窮屈なのはダメなんですよね。服は少なければ少ないほど動きやすくて快適という派なので。

 己が痩せ型というのもあるかもしれませんけどね、あと7kgくらい体重あれば寒がりも解消されるのか…。脂肪欲しいなぁ。痩せてて健康的!なんてのは盲信で体重ないと必然的に体温保てませんから、普通に不健康なんですけどね。メタボリックよりかはマシなのかもしれませんけど。

 ガタイがいい人ほど、夏勘弁という傾向があるかもしれませんね。

【胃腸の話、極意は快にあり】

 禅の極意に「腹が減れば飯を食い、満腹なら寝る」というものがある。そんなのを見てふと思ったこと。快食快眠快便こそ、真の悟りである。子供は生命エネルギーの塊だから、そんなこと当然・当たり前にできてしまう。しかし、年を取れば取るほど、その当り前のことが出来ない固まった身体になっていく。年を取ればとるほど不快感が増大していく。そうならず、むしろ更に一歩も二歩も三歩も進んで、ただ生きていることで快適を感じる身体を持つことこそ、悟りなんだろうなぁ。

 だって今キレる大人が多いというのは性格、幼児性というよりかは、確実に身体の問題だからね。アスリート並みとまでとは行かないけど、動ける身体・快適な身体を持っていないから、心が病んでしまう。そういう悟りから程遠い人々だらけになってますからね。機会・人工物に囲まれて人の身体・心は固まる一方ですからね。

 それと関係があるかないかはさておき、最近お腹の調子が良くなくて、お腹が張って苦しい日が何日か続いた。怪我の功名というべきか、それで腹を使うという感覚がわかった

 その前にちょっと脱線して、己は胃腸が弱いかと思っていたが、どうもそうじゃないらしい。最近胃の調子が良くて、あ~おなか空いたなぁということが多い。ご飯食べても快適、食事を楽しめる。なぜか消化が最近良くなってきた。だが腸は良くないのか、お腹腸・下腹部に心地よさを感じない。ご飯をお腹に入れて、胃が喜ぶ、うまい!って言っている感覚はあるのだが、どうも腸がご飯を食べて喜んでいるという感覚にならない。腸の感じは全然わからない。腸の情勢は複雑怪奇なりと言って総辞職したくなるくらい、掴めない。

 腸を良くする、強くするにはどうしたものか…。あと、消化を良くするには胃で食べる、もういっこ胃の中に口があると思って、噛んでやる。井の中の口で噛んでもう一回美味しいという感じを味わうと消化が良くなるということに気づいた。食べて暫くはゆっくりして、もう一度胃の中で食事をすると消化、胃にはいいような気がする。牛の反芻みたいですけどね(笑)。

【腹の使い方の話】

 脱線おしまい。腹の使い方について。今まで肚、下丹田と言っても仙骨・腸骨・腰椎と言った部分、背中よりに意識が強かった。腰・腹、前後をあわせて肚というものだと思っていたが、腰=骨を除いた内臓や腹筋部分だけに意識を集中してみるとか、そこを主導として動くという発想がなかった。

 下丹田といえば、骨を除い部分に、センターと重ならないように意識が形成されなくてはいけないと読んでいたのに、あまり能動的に感じる・意識する部分ではなく、潜在的な装置というイメージが強かったのでそういう発想がなかった。知情意の意、重性の意識のところだからそういったずっしり感覚があればいいくらいにしか捉えていなかった。

 しかし腹、腰を含まないで使うというやり方があるのだと、お腹の調子が良くないなぁ~と歩きながら意識してを少しでも動かして状態よくしてやろうと奮闘している時に使い方に気づいた。腹が張って、前方に出る感じだったので、あれ?この重い感覚を前に出してやればいいんじゃないか?と思いついて腹に任せてた。すると、普通にお腹の重みで歩けるのだと気がついた。

 そして腹を使うと自然に膝が沈むことになる。センターを通すと膝裏に軸が形成されるという重要な教えを高岡さんは強調していたが、ああ、なるほどこういうことかと、納得。お腹、腹から進もう・動こうとすれば、脚が後からついてくる。まさに空手の運足の目指すところ。お腹から脚が引きづられれば、脚は最小限で自重を支えるだけで良くなる。腹の重みをフルに使うためには脚が棒のように伸びてピン!と張った状態で支えては脚がじゃまになる。

 ちょうど、能のすり足であるくあの歩法になる。初めてあの歩法をやる人は無理やり身をかがめてあるくことになるかと思う。あるいは過度に緊張して、膝に負担をかける感じになるかと思う。しかしあの能のすり足の歩法はこの腹で動くことを要求しているんだなぁ、と理解することが出来た。

 あるくには腹を緩めてやって前に出す。それで自分の体重移動を活かすのに最適な膝の感じを探す。腹の重みで自然に足が出るようにするには足の力であるくことはないから自然と膝は曲がる。はらがで足はあくまで実行機関や補助でしかないことがわかる。

 逆説的になるが、それだけ普段の歩きが歪んだメカニズムに基づいて動いている、疲れる・不合理な使い方をしているということになるのだが。まあ、いつも足を固めて足で体重支えるな!動くな!と言ってるのにもかかわらず、こんな力学にも気づいていなかったというわけでね (´・ω・`)ショボーン。今までは足の力を抜くグラグラにするだけでしたからね。そりゃ地面と腹の位置が近い、重心が低いほうが動きはスムーズ・安定するに決まってますわな。

 まだ半分も書いてませんが、とりあえず今回はこんなトコロで。次回はもっと書きたい(> <)。