別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

【身体論】 背中を使うこと、落下すること

 早く書かないと、何時まで経ってもかけずじまいになる。なんだろう、別に大したことでもないのだけど、なかなか何時まで経っても書けずにいた。一ヶ月以上前に書くはずだったことだから、今感じている感覚とその当時の感覚と合ってるのかあってないのかわからんし(´-ω-`)。まあ、こんな感じ→ジタバタ(੭ु ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ु⁾⁾

 この顔文字気に入ってしまった。無意味に使いまわしそう。

 背中を使うこと、落下することこの2つがテーマかな。あと静かにすることというのも地味に気になっているのだが、まあどうなることかわからん。

術と呼べるほどのものへ/学研パブリッシング

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 甲野先生の本読んでも(立ち姿の脱力感というか、居付きの無さが感じられるいい写真ですなぁ)技術の進展の話は良くわからないんだけど、やっぱり体重をいかに効率良く使うかってことなんだろうなぁ、っていう感想を抱いた。ホントは全然関係ないんだけどね。はじめの一歩なんかでも事ある毎にシフトウェートだ!って出てくるけど、体重移動の要諦は落下ですからね。いかに落下するか、その基本を今更ながら痛感して、そこに帰っていったという話。

 背中を使う話に戻るんですが、NHK古武術バスケの再放送やってて、そこで肩甲骨を使うことで、パスの質が劇的に変わる。肩甲骨をゴリゴリ動かしている映像を見て、やってみた。甲野先生の本を初めて読んだ時、肩甲骨を使う・肘を独立して動かすというのをやったなぁ~ということを思い出して、懐かしくなってながら作業でやってみる。やっていると、背中が固まっていることがわかった。肩甲骨・背中固まると息が詰まるんですね。そこを動かすと自然にはぁ~っと深い息が漏れる。デスクワークは間違い無く背中を固めて、呼吸を浅くさせるんでしょうね。

 肩甲骨を使うことでモーションのない鋭いパス回しが出来るというやつだったんだけど、腕を使う動きというのは、もうそっから先の成長ないですからね。どんなスポーツ・音楽とか諸芸術でも、小手先だけの動きになってしまえばそこから先の深みにはたどり着けないですから。

 肩甲骨を左右・前後・上下に色々動かすということで、数年前はわからなかった。胸・脇とのリンクがわかるようになっていました。脇、横、胸、それぞれ独立して動かせるんだなぁと今更ながら実感。こういう昔にやったことに戻るということは重要なんですなぁ。結局身体操作だなぁ、と改めて認識しました(だなぁ、だなぁって裸の大将かよ(笑))。

 んで、落下の話に戻って、いかに落下するかというテーマは、いかに身体を割って浮かせて、落下するかということになる。普通に行動している時点で身体は凝り固まっている。身体を細部まで動かせるようにして、ゆるめれば「何をするか」ではなく「何をしないか」がわかるようになる。自分の意志で動こうとすればするほど、身体動作の効率はおちる。運動の質を上げたければ、いかに無駄な動作を省くかということに論点が移っていく。

 ちょっとわかりにくいな。文章が自己満足になっている。訂正、普通に歩いているとそれだけで自分の筋力を無駄に使っている(=無駄なことをしている)わけですね。そこにまず気づかないといけない、大抵の人はそれに気づいていないんですね。

間違った歩き方 歩く =足を動かす&筋力で自重を支える

【正しい歩き方】   歩く =倒れる最小の筋力(すなわち骨格)で自重を支える

 はじめの一歩をよっこいせ!とやって歩いてしまったら、もうダメなんですね。ふわ~っと倒れる。おっとっとと倒れれば、結果的に足がついてくる。足→身体じゃなく、身体→足。倒れる→足で支え直す→また倒れる…の無限ループです。だから、空手では運足と言うんですね。「足」で「運ぶ」んじゃなくて、「足」を「運ぶ」から、運足です。足を運ぶ意識、足があとから運ばれてくる、身体にくっついてくるという感覚にならないと移動基本やる意味が無いんですね。空手の稽古で移動基本やるのはこのためですからね。

 普通の人はその最初の一歩にものすごい無駄、筋出力をしているか気づいていない。大げさに言うと、筋肉をガッチガチに固めて地面を蹴り飛ばすことで移動をして、着地してこれまた思いっきり踏ん張って倒れないようにしているんですね。ギギギ…状態で歯を食いしばってるようなもんだと考えてください。

 蹴って歩けば、足を固めざるを得ない。必然的に残った身体、上半身も固まっていく。これが身体運動の諸悪の根源ですね。身体運動の要諦は脱力、脱力が出来る身体、すなわちゆるんだ身体を作ることが鍛錬の目的、上達の極意ですね。

 歩くことが出来ない一流アスリートはいない。芸術家、もしかしたら学者もそうかもしれない。身体疲労が著しければ、頭脳労働に割り当てられる容量が必然的に小さくなる。まあ文人は絶対じゃないにせよ、一流アスリートは例外なく優れた歩き方をする。

 人間である限り「歩き」、優れた歩き方を追求しないと、あらゆる分野での上達は見込めないといっても過言ではありません。歩くことこそ、落下を使いこなすコツなんですから。落下という身体運用法とゆるめることこの2つを身に付けなければならないですね。

 小学校なんかどうせろくな事やらないんだから、立つことと歩くことだけやってりゃいいんじゃない?と思いますけど、まあ教えられる人がそもそもいないという。立つという行為は身体が固まる前のこどもは自然にできるでしょうが、加齢に従い、身体が固まると途端におかしくなりますからね。

 おおっとまた変な方向に話がそれていった歩き方ね。歩く話だけ書けばいいのに、どうして高余計なことを書いてしまうのか(> <)。これまで落下していることの重要性を説きながら、まだまだ倒れられる事に気づかなかった。バカですね、本当に。倒地法とかその重要性を説いていたのにね。立つ時に身体をグラグラにして立っていられないくらいにする。ちょっと押されたら吹っ飛んでしまうくらい、すっ転んでしまうくらいの感じ。それくらい力を抜いて初めて立つことが出来る。真の立ち方の準備段階ですね。んで、それくらいグラッグラの状態を作りながら、倒れないように身体をコントロールすること、それこそが重要な鍛錬なんだと。

 それくらい普段力を入れて立つことが当たり前になりすぎていて、脱力して立つ・動くということが単にリラックス程度のレベルでいいのだと錯覚をしてしまっていた。実際立っていて足の力を抜けば、その瞬間地面に突っ伏してしまうはずではないか!?地面に突っ伏せることがない、すっ転ばない、その時点で筋出力をしているということではないか。

 なんでこんなことに気づかなかったかなぁ?だめだこりゃ(´-ω-`)。深層心理レベルで倒れる恐怖というのは初めて立った子供のとき、幼児期に刷り込まれていますからね。大人になって身長が高くなればなるほど、尚更恐怖は増すでしょうし。簡単に倒れろと言われても、中殿筋なんか倒れないようにムチャクチャ固まってますからね。

 老人に近づけば近づくほど、固体化が進む。誤った身体操作意識によって、骨・肉などを全部ひとつの塊としてガチガチに固めるようになる。全身筋肉としてガチっとして使おうとするんですね。なんというか、コンクリートですか?当然土台が硬い方がいいのだから足元はガッチガチですね。柔軟性、ゆるんだ身体の真逆になる。そういう老化が進んだ状態だと倒れることなんてとんでもない!状態になりますからね。まずはほぐさないといけない、ほぐさないとああ、こうやって倒れられるんだということが理解できないですね。身体が理解しない、納得しない、そういうふうに動いてくれませんね。

 生まれたての子鹿のように頼りない感じで立つことこそ最大のトレーニングになる。立つことがこれなら、歩くことは倒れながらグラッグラになりながら歩くこと。大体じゃあ、きちんと立ちましょうなんてやったって、脱力&ゆるませることなんかそうすんなり出来ませんからね。それができりゃ世の中達人だらけになっちゃいますから。今のところ落下を生かして歩くようにというアドバイスのほうが有益かもしれません。

 んで、そうすると当然本能のブレーキ・リミッターが作動してウマく倒れられないんですけども。前に倒れるという行為ひとつとっても難しい現状がありますね。足は本来身体を止める、支える役割であって、身体を動かすための装置ではない。体幹を使えるレベルになって足すらも身体を動かす装置として利用できるレベルになるんだと思います。初学者のうちは足でいかにスピードを出すのかという方向には行かないほうがいいという感じがしています。

 爪先がどうしても、ストッパーになってしまう。倒れようとするとぶつかるんですよねぇ。足が。踵を車・車輪のように使う。爪先のストッパーをなくしてやれば、雑巾踏んづけてツルッという感じですっ転んでいくという表現を見ましたが、まだまだ爪先を分解できていないんだろうなぁ。

 最近股が開く、股関節の深みがわかるようになってきて、横に開きたい=自然に股がガニ股気味に開く感覚がありましたが、やはり力士の四股のように足は横に開くもの。爪先のストッパーをなくすことが出きてなくとも、爪先を四股立ちで横に向けてしまえば何の問題もないですからね。踵をくっつけて、爪先が180度になるように足を開いて、前に倒れれば、否応なくすっ転ばざるをえないですからね。

 大体アウトサイドジンブレイドにしてから、前じゃなくて横に倒れる動きそのものですしね。単純に中殿筋抜いて横にすっ転んでいけばああいう動きができるわけです。まあ、当然本物はもっと精妙にレベルが高い身体操作とゆるみが必要なのでしょうけどね。横にすっ転ぶ落下エネルギーを前方向の推進エネルギーに転化すればいいわけですから。高岡さんみたいにアウトサイドジンブレイドをコントロール仕切ると、消える動きとなって相手の死角にまで入り込めるようになるんでしょうなぁ。まあ全然無理な話だけど。横にすっ転んで横に素早く移動するのは誰でもできますが、それを前方向(全方向)に利用するのは相当難しいでしょうね。

 ああ、もう書きたいことありすぎて終わんねぇ(笑)。静かにすること触れてないし、ナイファンチンの話とか書きたかったけど、また今度にしよう。

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 今度、これ書きます。その時にまとめて続きをやりましょうかね。走る時に手をぐるぐるパンチのように回して走る。ぐるぐる走りというのを身体のバラバラ感・割れを感じるのに結構面白いんじゃないか?ということを一番初めに書こうとしたんだっけか。もうずーっと前ですぐ忘れてる。しかも全然やってないしな~。