別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

眼の使い方、半眼といふこと

なんてものをちょっと書いてみようかと思います。桜井さんが耳で見る。音を見るなんて話をしていましたし、美輪さんが眼の使い方を話していたのでね。

 美輪さんいわく、半分目を閉じて交信する感じ。目を半分閉じて頭の働きを弱めて感覚を開くというか、天からキャッチするという感じらしいです。大仏像を見ても仏様が、目を半分閉じてるでしょう?と。

 よく、目を閉じて歩いたりするんですけど、不思議な事に、目を休めるのに目をつぶるより半眼の方が、目がリラックスするという性質がある事に気づきました。まあ年がら年中眼をつぶるわけにもいかないですし、逆に半眼って言うわけにもいかないでしょう。

 確かに武術関係の高名な人を見ても、お目目パッチリバッチリメイクのような人はいないですね。大体細目というか、そばめているというか、遠山の目付けというやつでしょうか、なんとなくぼーっと見るような感じですよね。

 初見館長だったり、宇城師範だったり、大抵細くて遠くを見る感じですよね。

 リラックスするというよりか、モニタ見つめてて眼が疲れていた?とかあるかもしれません。眼が疲れるというのは、目の下にくまができるように、目の下に疲労がたまりやすいものなのかもしれません。その目の下の部分を休めるには、目を閉じるより、半眼の方がそこがリラックスするのかも?

 まあ、そんな感じがあります。半眼にすると目の下・眼球の下のあたりをちょっと動かす事ができる。それが結構己の中で大きな気づきでした。

 目で見るより、耳で見る。つまり音を聞く、音を捉える。見るというより捉えるとかそういう感覚の変化が重要なんだろうなぁという、なんとなく漠然とした感覚があります。見るより掴まえるというか、まあつかんじゃダメなんですよ、向こうから捕まえられるというか、流れの中で包む、包まれる、そういうものが欲しい。

 目というか全身で見る、触る、捉える。そういう感覚が出来ないと、結局相手の意を読む・察知するということは出来ないんだろうなぁと思う。

【肘について】

 おまけに肘の使い方。肘の使い方の重要性はどんな流派でも説かれるところだけど、体を開くの話しの中で、己の中ではキリストのポーズとでも言うか、十字架のあれみたいに、腕を開く。その中で肘のリンクを感じたわけです。

 肩こりとか、肩をもんだりしてそこをなんとかしようと考えるかもしれないですけど、実際は腕を横に開いて(実際は胸が開かれるわけですが)、肘を結んだラインが一本につながると、上体を浮かせやすい、ふわっと浮いた感覚になりやすいんですね。

 多分肩こりとか、そういう部分的療法で何とかしようとしてもたかが知れていると思うんですよね。それよりか、肘をつなげて肘を縮める・伸ばすをやったほうが全身の連動から言って軽くなるんじゃないですかね?

 も一つ余計なこととして、ピッチャーのように肘を使う。ウチの武田とか巨人の杉内が投げる前に腕を上にすーっと伸ばして下ろすような感じ。あれ凝りをほぐすのにいいと思います。

 んで、その時肘にだけ意識をおいて上げる、他はほっとく。指や手で多くの人は腕を上げようとしてしまうと思います。そうじゃなくて肘で上げるんでしょうね。野球やったことないから知りませんが、ピッチングというのも肘を使って投げる。だから肘を故障するってことになるんでしょうなぁ。

 まあ悪い使い方してるから肘を痛めるのかもしれませんが。両肘をリンクさせて投げる。ピッチングの壁というやつですね。投げない方の手をうまく使うことで全身の連動が出来るということなんでしょう。