別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

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S☆1でマー君が沢村賞の賞金を全額被災地に寄付した話

S☆1という番組で、田中のマー君が親子対談で話していました。ノムさんがコメンテーターとして出ているスポーツ番組ですね。土日どっちだったかな?ちょっと忘れましたが。

 田中将大投手が沢村賞の賞金を被災地に寄付したという話をして、マー君の父が寄付というのは実名を出すべきではないと述べた。マー君は本来ならしない、だけども見捨てていないんだ!今でもみんな被災地のことを思っているんだということを強調するためにあえてそうしたんだ!という会話がこの番組で流ていたんですね。

 これは名誉心を求めない陰徳の話をパパはしていたのだろうが、これは明らかな間違いである。近代民主主義&資本主義社会では社会の上層・特権階級に当たる階層は、社会貢献・寄付が義務付けられていると言っても過言ではない。彼らはその社会において富を得ることが出来た機会を感謝して、今後もその社会を維持・繁栄させるために寄付することや貢献をすることが当然。そうしないと社会が回らないから。むしろもっと俺はこんだけ稼いで、こんだけ寄付したぜ!やったぜ!俺はやったぜ!(動物のお医者さん)と、むしろ積極的に公開していくべきことなのである。

 名誉心・名声を求めるのを戒めるという考えがわからなくもないが、上に立つ人間ほど下を見捨てないということで寄付・NPO活動をするのが当然なのだという観念が今、民主主義社会・制度を支える上で日本に最も欠けている要素だと見ていいのではないか?民主主義社会を支える重要構成物として、寄付・ボランティア活動が存在することをどんどん啓発・布教して広めていかなくてはならない。
 民主主義社会においてはむしろ、「あなたは上層に所属する人間なのに、何もしてないんですか?」という圧力があって当然。社会圧力というと好ましくないものが殆どだが、この圧力があることこそが民主主義社会においては健全なのである。社会上層にこそ同調圧力がかかるべきものなのに、中層・下層に「絆」という同調圧力をかけているようでは日本は成熟した社会とは呼べない。
 最後にノムさんが一言こういった。「お父さんは間違っている。我々はファンに何をしているか報告する義務がある」と述べたのは本質をついてる。さすが野村克也である。プロたるものはアスリートのプロであればいいのではない、社会の鏡・模範としてプロでなくてはならない。プロの人間、社会人でなくてはならないのである。今回の件を見て分かる通り、田中将大はプロの人間であると言えよう。田中将大投手は偉大なり。

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