別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

断食と眼の話 沖ヨガの本から(付秘伝の観の目)

眼がよくなる本―ヨガの秘法であなたの近視も必ず治る/沖 正弘

¥1,260 Amazon.co.jp
 前回(目の話)紹介した。沖ヨガの先生の本を読んでみた。そしてヨガとか眼の使い方の実戦。あと、断食しなさいってあって、いつかはやってみようと、んでやってみました。まあ、一日だけですけども。数日も断食やっていられるようなパワーはないんで(^ ^;)。

 断食すると腹減って、やっぱりやる気が無くなりますね。なくなりはしないけど、腹減りすぎてやってられないという感じになるというか。なれて二~三日もすると逆に桜井章一さんのように勝負熱や勝負力が湧いてくるかもしれませんけど。そういえば腹が減っている人のほうが長生きするなんていう説を最近聞いたなぁ。んで、感じたことは、腹が減っていると腹が満腹になって集中力が散漫ってことにはならないですね。あまり食べ過ぎるのはよくないというか、年取って内蔵力・胃腸の力が落ちるからでしょうね。消化能力が弱まっているから、脳に行く栄養・パワーがまわらなくなるんでしょうなぁ。

 要するに食事のとり方考えろってことでしょう。こうだくみ(※注:オダギリジョーのサインではない)が6時を過ぎたらもう食べないという生活習慣を美容のために守っているという話を聞いたことがありますが、寝る前に胃腸に負担を極力かけないためにそうしておくのは理があるんだろうなと感じました。

 メシを寝る前に食わなかったため、身体が熱を発していました。そういえば中学生くらいの時寝る前って身体が熱くなってると感じていました。これは実際熱くなっているんじゃなくて、体温を下げて眠りに入るために体外に熱を放出しているからだと思います。早めに飯を食っておくことでうまく熱を処理して、うまく眠りにつけるということなんではないかと思います。

 最近夜風呂入る前に腹が出てきたなぁという感じがあったんですが、そもそも太ってないんで、脂肪とかではない。要するに消化できていないからなんですなぁ。一日抜いたらやっぱりスッキリしていました。夜中に食べるというか、ついついいつも食べるの遅くなっちゃうんですよね。

 消化といえば腸の話、便の状態もよくない。良くなければ内蔵が機能しているわけはない。食物繊維とか気になりますねぇ。近所のスーパーで売ってる焼き芋で安南イモ?(鹿児島の安納芋でした(^ ^;))なんか細長いやつではなく丸っこいのがあって、小さいから丁度いいやと思って食べたらものすごい美味しかった。昔子供の頃に食べた美味しい焼き芋はイモ自体に甘みがあった。これだなぁと思う美味しさ。

 断食したあとのメシはうまく感じるかなぁと、まるで減量明けのボクサーのような極上の味を感じるかな?と思ったんですが、全然そんなことはありませんでした。普通でした。美味しい、美味しい!と念をかけて喜んで食べたほうが消化がいいかもしれませんね。胃腸が動くでしょうし。ストレスで痛くなるなら、逆も真なり。喜べばよく働くでしょう。

【眼の話】

 で、断食編は終了。眼の話。この本にある眼を良くするための体操は複雑すぎてわからん(`・ω・´)ショボーン。なんで一回やっただけでおしまい。その代わりヨガのポーズはやってます。眼というのは脳で物を見る=体の疲れ、歪み、心身のバランスが崩れることに眼の機能低下はあるという話なんですね。筆者も視力を落として、インドでの生活で改善した。んで指導していったらまあ治る治ると。

 なぜ受験勉強で視力が落ちるのか?それは心身のストレスが恒常的にかかった結果だと。眼科医がプログラムしている視力回復トレーニングは、目のトレーニングは良くできているが、食・体操・眼などバランス良く要因を突き止めて治さない限り本格的な治療になりえないとしていますね。

 このへんは納得。断食・ヨガ食ってのはまあ普通に生活していたら難しいと思うのですけどね。達してくる・悟りに近づいていくと、あんまり肉食いたくなくなる。野菜とかそういう質素なものになっていくっていうのはやっぱりみんな言いますね。牛とか羊とか一頭丸々食えない。果物とか魚とか野菜とかは丸々食べられるってのはヨガの発想なんですかね?おんなじことが書いてありました。まあ沖さんがハシリかもしれないですね。

 赤ん坊のような呼吸をする・動物のような自然呼吸をすること。この本では呼吸が大事ということはあっても、そこまで呼吸のトレーニングというものがなかったですね。ためてリラックスして吐いていくくらいで。深く長くリラックスして吐く。ヨガのポーズは自然に勢いつけずに気持ちよくやるものだということが書いてあるくらいですかね。体を柔らかくする、揺らしてリラックスさせる。まあ現代の高岡さんのゆるに共通するというか、基本となっているというか、おんなじですね。

 ヨガのポーズ、あの海老反りとか全然できん(笑)。あんな綺麗に楕円みたいにならんよ。弓のポーズかな?あれ。横に平べったいですね(笑)。足だけで上半身全然上がらん(笑)。胴長短足型の己には無理です。モデルの人は多分手足が長いっていうのもあるんだろうけど。んで、思ったのは体硬いなあぁ。というか背面を使わないってことなのかもしれない。久しぶりに逆立ちしたら出来なかったですから。中学生くらいの時は結構できたんですが。2日たってようやくできるようになった。それでもまだまだ時間が短い。ブリッジとか昔から苦手だったけど、やっぱ背中の硬さに関係があるのかなぁ。両腕を背中に回して組むのも苦手だし、ちょっと背中を中心にトレーニングしようかなぁ。

 んで眼を実際にどうするかというと、過緊張が問題だから、一点を見つめるようなデスクワークでも遠くを見るなど離すこと。右目だけを使う、その逆とか、とにかく同じ状態を続けないこと。同じ状態を続けることによって、居着いてしまうわけですね。

 目線、目の筋肉も、脳の使う部位も、瞬きや、ギュッパッ開閉運動とかそういうのを恒常的にやって固めないようにすれば良い。あと、眼球を前後左右に動かすとか、焦点移動・遠くを見て近くを見るピント調節運動以外に、眼を出す・引っ込めるというのがあるのは初めてでしたね。眼球を出す・引っ込めるというのは、眼が引っ込んでしまうという話に基づくものなんでしょうね。テレビがよくないと言うより、緊張が続くことが問題で、笑いなんかは緊張しないから大丈夫。しかしリラックスできないハラハラするサスペンスなんかは釘付けになってよくないと書いてありますね。

 己が感じたのは眼というのはやはり顔の器官だということ。眼が固まるというのは周辺の顔、鼻・耳・表情まで固まるんだということ。子供は頭が柔らかいですが、そこまでじゃなくても目をおもいっきり見開いてあちこち動かすと頭・頭皮が動くのがわかる。使わなければ固まるわけです。たまに耳の後ろが痛いことを感じていましたが、眼が固まって、ここまで固まっていたわけですね。

 必然首コリ・肩こり・背中コリ…と伝播していくわけで。まあ、眼だけじゃなくずっと座っている同じポーズを強いられるのは苦痛以外のナニモノでもないということですね。ただ立つという動作だけでもずっとそれをやったら疲れますから。一番ラクなポーズを三時間やったら痛くなるというアレですね。『MAJOR』かなんかで確か三時間ずっと立つというトレーニングで足がガクガクになるというやつもありましたし。多分三時間寝返り禁じて同じポーズでいろってなったら、辛いと思いますね。

 いずれにせよ眼が固まれば脳も固まりますし、現代病のうつやPCは深く関係しているでしょう。あと太陽を目を閉じて眼がじんわり温かくなるのもいいってありましたね。明るい日の光がそれだけで目にいいと。手から気が出ているから、疲れたら両目を手に当ててジワーッとする感じを味わえというのもありました。

月刊 秘伝 2012年 03月号 [雑誌]/著者不明

¥990 Amazon.co.jp
 今月の秘伝に観の目の話があって、丁度良かったのでチョコっと書いておきます。柳川昌弘先生も初めて十年~二十年は眼で見ていた。そこから目で捉えるのではなく、感覚・観の目で捉えるようになったという話。高岡さんが聞き手になっているんですが、普通なら障害者とも言える視力が殆ど無い柳川先生なら、そこで空手は諦めて、レスリングや柔道などの柔合系・組み合う方の競技に取り組むハズ。しかしそうしなかった。潜在意識下・無意識下で、出来るんだということに気づいていた。離れて向かい合う立ち技系の格闘技において、空間を触るような感覚、ポーズを取ってそういう感覚があるのだということを示しています。

 空間処理・把握を実際に触れることなしに人間は感知しうるということなんですね。武神館の初見館長が空間を包むということをおっしゃってますし、武道の目指すものは距離感覚を研ぎ澄ました先の、触れるという感覚なのでしょう。触っているものを動かすのだから、そりゃ外れないし、どこまでも見切れますからね。武蔵が米粒を額につけて切らせたというのもそうでなければ説明がつかないでしょう。

 高岡さんは観の目というものは見の目とは全く違う。どっちを何割というパーセンテージの問題ではないと述べています。見の目という状態を脱しないといけないわけですね。観の目の身体意識を表すと上・中・下の三丹田と、パラボラを前後に発達させること。無論、現代人でそこまで物事を見通せるような見事なパラボラを体現できる人物はいない。そして浮身、肩包体を成立させる脇・胸に、高度な情報処理を可能にする頭部前後への小さなセンターが必要とされると。

 よくアイツ電波飛ばしているよ~というセリフがあるように、電波を飛ばすのはセンター・棒状のものがないといけません。受信するのも同じですね。受信するそれがないとできないということです。まあ電波飛ばす人間は誤った送信塔を立ててしまっているというところでしょうか(^ ^;)。

 浮くことにセンターを建てること、背面に情報を捉えるそれがないとダメなわけですね。要するに身体が緩んでないと無理。結局目だけをどうこうしてどうにもならんよっていうことですね。背骨と肋骨が最低でもそれぞれ一本一本独立して自由に動かせなきゃ出来ません―と。うーん、背骨全く動きません(笑)。最近は肩とか首とか負担がかかるからたまに逆立ちとか逆にした状態でリラックスさせようと試みているのですが…。どうでしょう?

 柳川先生は最初はとにかくひっつくことだと、相手にひっついてしまえ!漆膠の身ですね。重心・腰から行かないとどうにもならん。足から先に動かしてという概念は、まあ近代格闘技の根本的な誤りになりますね。重心が動かなければどうやっても人間動かないんですから(足を動かしてどうすんだっつの)。最初は早く動く事を重視していたが、逆に遅く動くことを重視するようになったと。遅ければ遅いほどいい。物事を早くもゆっくりにも自由自在に知覚できると。判断と行動に矛盾がないのでしょうね。全ては一つですね。だからこそ切り離す、個別テーマにして、これがこうだとかいう考えをしない。

 高岡さんは見ることについて、焦点を合わせないこと。普通の人はモノが動いたら焦点を合わせようと眼球を動かす。しかしそういう見方だと視線がソッチに全部行っちゃうから、他のものは急激に見えなくなる。全部を見る・トータル的に捉える視界を心がけても、あっという間に尻窄んで視界を狭めてしまうわけですね。視線移動・焦点移動を非焦点のまま行えるようにならないといけないと言っています。

 本当の集中とはぐっと力をいれるものではなく、ふわーっとかけるもの。周りを広げていくものだということに繋がる話ですなぁ。無意識のうちに見るという単純な行為ですら力を入れてしまっているわけですね。