別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい。また基本長いので長文が無理な方はお気をつけ下さい

【身体論】 握ることについて

んでようやく握ることの話。高岡さんのサイトで被制御系統運動(http://www.ultimatebody.jp/rensai021.html究極の身体第21回)の話があります。これがちょうどいいんで引用。

パーツの一つ一つにセンターは存在する。身体をたくさん意識できるようにして、それぞれの部位が独立したコントロールをする。んでコントロールをするうえで重要なのは自重、物体の質量・重み・慣性力(まあ重力ですね)を最大限に利用する。意識して操作するとダメになっちゃうんですね。くた~っと垂らして、それがそのまま運動力に転換されるようにするわけです。

意識的に操作してやるのに対し、そういう意識を持たない重みを最大限に利用するから被制御系運動。操られ感ですね。フォークや箸を持つ時でさえ指から落ちるか落ちないかのぎりぎり最小限で持つ。そのようにぎりぎりの力で物も持つと、非常にわずかなmm以下、10分の1mm以下の空間の幅のなかで物がズルズルとずれていく感覚を味わうことができる。それが最適なトレーニングなんだと。

 最小限の力で持つことを意識すること。これが日常で重要なトレーニングなわけですな。

 掴む、握ることで居着いてしまう。甲野さんの本で剣の柄を触るぐらいで握る感覚をなくすための持ち方というのがあって、虎拉ぎや折れ紅葉といった手の使い方が確か5つくらい書いてあって、手ほどきという言葉があるように手の使い方が術理を向上させる上で、身体感覚を鋭くするのに度々出てくる。それ以前にもいくつもあった。

 修験道印可というのがありまして、俗に忍者が巻物とってドロンという時のあの指の形なんだけど、あの指の形を印可と言います。印可、指の両手で組むやり方をいくつもすることで身体感覚を開こうとするんですね。仏像でも手の組み方でなんとか印なんてあるように組み方というのは非常に重要なことはわかると思います。

 人間は顔と手の脳の領域が非常に大きい、脳が占めている部位をそのまま人間化すると手と顔が異常に大きくてほかは細いという奇妙な絵をどこかで見たことがあるかもしれません。それくらい手が占めるものは大きいというわけです。

 そんなこともあって、自分の中の握りというものを見なおしてみようと思い、普段の握り、あらゆる所作の手の使い方を観察してみたのです。箸を持つ、コップを握る、歯ブラシで歯を磨く、そこでウーン・・・力がはいとっるなぁ。どこだろ?ああ、親指か。

 親指に過剰に力が入っていることに気づきました。桜井さんが親指が反っているという指摘はこの誤った指の使い方に基づくものではないでしょうか?親指の力でこなそうという身体誤認があらゆる行為を円滑にするのを妨げているということを発見しました。

 甲野さんがこんなことにも気づかなかったのかとよく書いていますが、ああ、こんなこともわかっていなかったんだなぁと恥じ入りました。人間はゴリラとかと違い親指がはっきり独立して親指が他の四本と向い合って挟みますね。だからより力を込めてしまうんでしょうね。

 手でモノを掴むとき五本の指で均等に掴むということは根本的に不可能なわけですね。四本で何かを掴むということは難しい。四本もあるのに(^ ^;)。しかし親指をただ触るだけの最小の力でコントロールするときに手のひら全体をうまく使える。

 拳の握りで重要なのはこの手のひら、掌の円。真ん中の凹んだところに小さい円ができるんですね。よく卵を潰さずに握るとか表現されますけど。握りこむんじゃなくて、この円や小さい球を包むくらいの感覚で拳を握る。強く握力のような力を発生させると手だけで流れが切れてしまいますからね。で、そういう握りの時人差し指と薬指を意識し、中・薬を少し浮かす。そうするとより意識が通るんですね。

 立禅なんかやってると指がプルプルして震えて、各部位が独立して本来の自律神経のコントロールを外れて勝手に動き出します。親指の力を抜くことを意識すると立禅をやっているわけでもないのに勝手に動き出すんですね。というかより力が抜けて、指の重み、手の各骨・筋肉がダラ~っと垂れる感覚を味わえる。一番緩みやすい手という部分がこんなに固まっていたとは…。ホント今まで何やっていたのかという驚き&耳心ですね。

 もう、収まりましたが、しばらくは力を抜いているのに親指が痛くてしょうがなかったんですね。もう切り離したくなるくらいに鋭い痛みが走ってました。それぐらいに過剰に酷使していた反動で、指がいきなり力を抜かれてびっくりしたっていうところでしょうか、収まりが悪かったですからね。

 思うに握るということは文化そのものですよね。イヤ、役人のニギニギとかそういう話ではなく。武蔵の両手持ちは小指だけ引っ掛けてあとは垂らしっぱなしです。まさに被制御系運動があれなのでしょう。小指だけで手のひらの残りの部分はより自由に動きますしね。寿司の握りなんかまさにどう指を使うかという問題そのものですし。うまい寿司職人というのは被制御系運動を極めたものなのでしょうね。

 上のページじゃなかったですけど同じコーナーで、高岡さんが書の達人に肋骨を抑えて動かないようにして書いてもらったら書けなかったように、身体運動そのもの。あらゆる文化活動・行為で握るという事をもっと重視すべきではないでしょうかね。

 まあ、己にとって革命的な気づきでした。触る・触れるということの感覚が広がりましたからね。最近そんなに成長・気づきがなかったんでこれは久しぶりに取り組めそうな事が見つかったんで嬉しいですね。