別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい

【身体論】 走ることについて

 さて、前回の【身体論】 触るということ、握ることについてからお待ちかねの続編(誰がだ(^ ^;))。その前に走ることで気づいたことを書いておきたい。


【走ることについて】

 走るとき、昔は割って・開いて・浮いて・流すということをテーマにしていた。胸を開いてちょっと重心を落とす。後ろから誰かに押し出されるような感じで。潜在意識に摺り込むために、できるだけくた~っと馬鹿みたいにだらける。んでブツブツつぶやいて摺り込むわけですね。割って~の件を。あとは居着かな~いとか、固まってる、固まらない・固まらない、ゆすってあふって~とかそういうことをつぶやきながら走ってました。

                  もはや完全に危ない人である(笑)。

 だから最近はやらないんですけどね。昔から大事だと思っていたこと、というかそうだと高岡さんが書いていたことを、少し認識したので記したい。大きな気づきになったのが手・腕の使い方。


【イカやタコのように腕を使う、クラゲのように漂う走り方】

 腕をたら~っと、くた~っとただ垂らす。まるでイカやタコになったように、ぶらぶらさせる。一番しっくり来るのはクラゲかな?あんな感じ。そして少し前に重心が振れるときは前足となって手が地面に刺さるようなイメージで、自分が四足の動物のようなイメージで使うことがいいということに気付いた。

 常日頃どうしてもパソコンなどで胸がふさがりやすい。となると肩は自然と真横にある本来の状態から前方へずれることになる。それを横に開くイメージで元に戻してやる。やはりこういう時は耳、意識を横に置くのがいいのだろう。もう一つのイメージではハムスターが立った時のように、チョコんと胸元に置く形。これは中国拳法の方でなんかこんな構えがあったと思うんだけど、胸の都合を考えるとこの手の位置が一番自然になる。

【前足と胸と脇のリンク】

 まあこれは胸の都合、胸や首や肩が良くても他がよくならないからこれで走るということはない。ただこれが自然な姿勢の一つということは意味がある。なんかピアニストがこれから鍵盤に指を置く形でもある。ピアニストの人はそういえばあまり脇を開ける感じがないな。肘や指先の方に意識がある感じがする。横に意識があるより、むしろ縦に意識がある。鍵盤は広いのに横に開いたら本来の力は出せないんでしょうな。

 脱線、んでただ垂らすと胸にあった意識が肚に落ちる。肚だけであとは腕も脚も垂れていけばいい。やることが非常にシンプルで心地良い。

 そしてげっ歯類のような手・前足の置き方は脇の使い方を教えてくれる。イメージしにくい方はハム太郎の手の位置、もしくは十二国記の楽俊の手を見ていただきたい(なんかグーグル画像だと中途半端に手が長いのが出てくるなぁ、なんでこっちの思うような丁度いいひまわりの種をかじっているような短い手の絵がでてこないんだろう(´-ω-`))。まさに物を脇に置くという言葉があるように、自分の両隣は脇というイメージがないといけない。


【脇を開くと身体が横に開かれる】

 またピアノで例えると、キーボードでもいいけど、手を置くと脇が開く。胸を開けば、自然に脇も更に開く。胸を使うという意識は現代人には殆ど無い。いろんなスポーツ教本を見ても胸が重要、胸をこのようなイメージでこう使うとまだ記されているものは殆ど無いでしょう。胸・脇が開けば、身体意識で言う心田流というやつか?身体の側面の意識が高まる、必然的に側軸という意識も高まる。

 まあこれは余計な話だが、結局ただ腕を垂らしたままで任せる。すると脚も倒れるに任せて勝手に進んでいく。そういうシンプルな結論に達した。倒れるとコロコロ転がって進んでいくので楽しいという感覚がある。ゆっくり走れば全く疲れない。


【プロのランナーについて】

 じゃあプロのランナーはどうして腕をあんな振ってるんだ!おかしいやろ!なんてことを思う。プロは手を上げてもやわらく使う術を知っているんだろう。どうも腕を上げて走ると肘のあたりに力が溜まっている。つまり無駄な力となってうまく流れていない。効率的に走力に己は換算できない。

 プロはそれでも腕の力がつまらずに走る力に転換できる技術があるんだろうなぁ~そうでなければあんな走りは無理だろう。ちなみにランナーは脚ではなく肩に来るというが、横に開いてやると肚だけでいいが股関節と肩の面が(この面を立てるというのは松聲館の最初に強調されていた技法)極めてピタッと来る。つまり上半身とのバランスが上手く取れる。脚だけで走りがちな素人と違い、プロは上半身を見事に使っているということだろう。

 まだやってないけど、この腕を垂らした走り方でどれくらい走れるのか試してみたい。

【戻るということ】

 走ることが心地よいというのは子供にあるもの。最近は「戻る」ということを重視している。子供の頃に感じていた感覚を一つ一つ取り戻せばいい。桑田さんも言ったし、黒田館長も言っていた。そういえば子供の頃は雲の流れや葉のざわめき、夕焼けや温かい日差し、風を感じていた。風が身体にあたって気持ちいいと本当によく思っていた。そういう心地よさをもっと感じて取り戻していけばいいだけなんだ。

「浮き」について―双鞭構造

 さて、もうひとつ語ることがあって、これも高岡さんが言っていた。脚は鞭のように使う。両足は腸腰筋から鞭のようになる。双鞭構造ということ。普通、歩くときや走るときにどこに力が入るかというと膝・曲げるときに力が入る。そうではなく股関節や脚が伸びたときに力が入らないといけない。まあ力はいっちゃ駄目なんだけど、わかりやすく間違っているということを伝えるためにあえてこう書く。

 立ち読みなんかしていると、どうしても重心が踵に乗らない、股関節・踵のラインで後ろ寄りの重心でまっすぐにならない。足先と膝に重心が偏ってしまっていることに気づく。ちょっと立って調整しないと自分の中の重心バランスが崩れている。観察しないと気づかないわけです。無意識レベルに刷り込まれなければ技なんて到底できない。というかイチイチこうやろうとしなきゃできないってことは普段間違ってるってことですからね。

 鞭の話に戻ると、「浮く」事が重要というのはわかっていたし、これまでもやっていた、意識していたけども、ああ浮くってのはこういうことなんだ。と、理解がちょっと高まった。身体各部がより割れて認識が高まれば操作性が増す。少しでも認識領域が多くある人間というのは感じる部位が多い・大きいからそれだけ、情報処理能力が高まる。

 人間は歩行するとき必ず片方中に脚が浮いている。例えば脚の構造を感じるのに一番いいのは階段に乗って、片方を低い段に向けてプラプラする。それだけで本来脚が腸腰筋で吊り下げられているという本来の感覚がわかる。今日歩いているときにその浮くということを改めて実感した。鞭で歩いている。後ろに掃くように脚を使う。すると、その鞭は空中にある間はプランプランで、いろんな部位が割れて認識されて、浮いているように感じる。

 ああ、そうかと。この感覚が脚だけじゃなく、全身を使って歩いて、全身のあらゆる関節・筋肉が浮くようになればいいんだ。で、この感覚をありとあらゆるところに作ることを意識すればいい。ほんの僅かな無重力状態、一瞬でもそれを創りだして、それをコントロールすることが技に繋がるんだなと。初見館長もたんぽぽの綿毛のように浮いちゃうことが大事ですね~。と言ってたもんなぁ。

「割る」と「浮く」その基本を認識したという話。知っていても感じることが出来なければ意味が無いという話でもありますね