別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

身体論・武術・スポーツ関係を分割してこちらで独立して書いてます 野球評論は辛辣に書いてますので苦手な方はご注意下さい

書評― ツキの正体―運を引き寄せる技術/桜井 章一

ツキの正体―運を引き寄せる技術 (幻冬舎新書)/桜井 章一

¥756 Amazon.co.jpこれをやりましょう。その前に

 

静かな暴走 独立行政法人/北沢 栄

¥1,995 Amazon.co.jp読んで、これ書いていなかった。まあ、書く程のものじゃないんですけども。特殊法人とか行政法人についてちょっとググったら出てきて、図書館にあったやつ借りて読んでみた。小泉改革はかけ声だけで、全部最終着地点は既得権に切り込まない。必ず失敗に終わるというやつだったり、官の支配構造で系列によって業界が支配される。その腐敗構造について。まあ系列とかは書いてませんが、エリート官僚が天下り・はじかれるためにポストを用意してそこで歪んだエリート意識で初めて出世レースに負けて来るからものすごいやりたい放題になるそうですね。

 本当に政策立案能力のある政治家を選ぶこと、立法能力ある政治家と情報公開制の必要性を説いていました。うーん、それは間違いではないけど本質ではないですね。日本の場合法匪官僚制で立法自体が非常に複雑になっていて責任を問えないものになっていますしね。東電の賠償請求すること自体が難しい、何百ページってあったあれがいい例ですね。

 

 ググる元になった話なんですが、まさか総務省発表の日本の公務員は少ないなんていう話を信じている人はいませんよね?ツイッターでそんな事言っている人がいて、総務省発表の数字の上ではたしかにそう。しかし隠れ公務員とも言うべき特殊法人とか行政法人。それはカウントされても更にその下に関連企業があり、官の支配で市場が閉鎖されている。実際公務員問題より、そっちの規制による閉鎖性、自由・透明性のないほうが問題なんですけども。見えない数字をカウントしたら簡単に世界一になりますよ。頭湧いてるんでしょうかね?犯罪者が自分たちは犯罪おかしてますなんて言うわけ無いでしょうに(^ ^;)

12億の常識が世界を変える インド/長谷川慶太郎

¥1,575 Amazon.co.jp この前のインドの続きで、長谷川さんのがあったからチェック。まあやっぱりかいつまんでいるだけというか、あんまりよくないですね。共産党系の影響力が強くて一旦決まったことでも、労働者保護を名目にひっくり返ることが珍しくないそうです。まあ初期の中国投資に似たようなもんでしょう。

 インドの民主主義はイギリスじこみ。イギリス時代の官僚エリート採用システムが今でも引き継がれている。インドの場合は統一言語ありませんから、まずそこから。中央から派遣された彼らは地方の言語にまず習熟しなくてはならない。中央のエリート官僚がえばり腐るのではなく、地方の言葉を覚えて、地方の声を聞くことが最優先される。州によって全く違う政策・方針だからそうなる。その点中国の省・地域単位で経済成長戦略が異なるようにふさわしい単位で政策決定するそれに似ていますね。進みは遅いが根本的には正しいのでインドのほうがかなり大国になる可能性は高いですね。中国は行き詰まるのが見えますけど、インドはそれがなさそうですよね。軍事的な脅威がそもそも中国以外無いですから。対照的に中国はアメリカ・日本・インドとロシアも一応同盟国的な位置にあっても場合によってはどうなるかわからないし、死活的な衝突事由が無いですからね。未来の超大国なら中国やロシアのように領土こそ全てみたいなバカな所がないですから、インドはかなり可能性がありそうな気がします。多様なところもいいですしね。

 ちなみにその言語政策、その土地々々の集団理解を重視したのがフランスとの対決で三倍の戦力差を覆した理由ですね。フランス語で統一した結果多様な兵士をまとめられなかったってやつですね。

 インドは華僑と違って印僑に強固な紐帯ネットワークがない。今それを築こうとしているところ。日本の和僑はイツになったら形になるんでしょうね?全く世界戦略がないorz

 

 

ま、こんなところかね。

で、桜井さんの方に戻ります。

 麻雀という論理で測れない競技において常に勝つには感性と運がモノを言う。運には幾つか種類がある。作り出せないものがあっても適切な対応・プロセスによって運を作り出せる人運というものがある。ツイてないときこそふさわしい行動によって運を創りだす。それが勝負の醍醐味。だから運命というものは変えられる。

 運は不平等だし、ためたり起きたら来ないとかそういう性質のものではない。サイコロを一万回振って6つの目が確率的に均等に出るとしても、一時的に1が連続してでたりする。その偏り<偏在性>ですね。偏在と遍在は常にどんなジャンルにおいても重要なテーマになりますね。それこそがツキであり、それを感じ取らなくてはならない。ツキまたは偏り・運・感性別々のものであっても、これはまた同じものであると理解したほうがいいでしょう。確率で捉えられない遍在こそ計算できない感じる領域にあるものなんですからね。卓上の牌や流れがすべて透けて見えると氏は言います。わかるというか感じるというしかないのだと。

 感性は感情とは違う。しかし気分良く生きること、爽快さこそ感性を高める。世俗的な成功ではなく、身体的な気持ちの良さである。自然に触れ、気持ちよさを感じる。何でも純粋に楽しんで気持ちよくなった時こそ感性は冴える。

 ビギナーズラックは余計な知識や情報・常識を知らないから雑念に惑わされない。直感のほうが正確である。世の中知識や技術よりひらめきのほうが大ヒット成功をもたらすことがある。

 感性を高めるには気づくこと、気づいてすぐ行動する癖をつけること。すぐ動けば思考を行動が超える。思考は常に一歩遅いからそういう癖をつける。行動すれば素の自分が出る。そうなると肩肘張らずに楽になる。気づけば間に合いやすくなる。間に合わなければつきも逃す。

 因われないこと。何か一つに集中するととらわれる。常に変化し続ける場の状況についていくには柔らかく動いて囚われてはならない。集中とは直線ではなく池に小石を投げ込んでできる波紋のようなもの。どこまでもその波紋が広がっていく感じ。集中は丸い感覚であり、180度広がっている。感覚はふわっとした柔らかいもの。

 

 優柔不断はツキを遠ざける。選択を間違っても取り返せばいい。迷うほうが問題。選択の結果より、選択の基準が重要。一回上がること、その一回の勝負に勝つことより、その先の結果を見据えた選択が大事。その時負けてもそういう決断が人を強くする。雀鬼流はツモって一秒以内に切る。だからすでに準備ができる。好ましい牌が来てれば自分の状態がわかるし、そうでなければ調子が悪いと気づけるから、違う方向へ修正できる。同じ事は二度と怒らないと考えるべき、入念に先を読む必要がある。次とか今度とか言っていたら当然間に合わなくなる。

 不調の時こそ実力がわかる。スランプというものはない。不調なのだからいつもと逆をやる。あえて捨てて勝負に参加しないことで変に失敗してドツボにはまることを避ける。流れが変わったときに行けばいい。流されているときに焦ってあがけば死ぬだけ、力を抜いて流されて自分の好ましいものをみつけて、そのときに集中して動けばいい。

 自然に触れて本来の動物に備わった感覚を取り戻せばいろんなモノが見える。と言うより感じられる。見ることに慣れすぎているので見るなくらいでちょうどいい。捨て牌見て中身が完全にわかることなんて無い。五感どれか一つに集中すれば、身体全てを使って感じるということができなくなる。

 野村ID野球に触れて曰く、データの重要性を解いても本人自身はとても感性の優れた人。だからこそ現役時代アレほどの成績を残せた。感性は伝えられないから、確実に教えられるデータを伝えていると推測していますね。

 プロは専門性を磨けば磨くほど専門バカになる!部分だけ磨いた人間は脆い。その世界の常識にとらわれ、いろんな問題が見えなくなってしまう。

 何者にも因われないバカになることが大切。バカをやって楽しむことそうして無駄に硬くなることを防ぐ。

 何かを得たら捨てる・失うのが人生の法則。得てばかりということはできない。捨てることで新しい自分が生まれ変わる余地を残しておくこと、あとは身体の声を素直にキャッチして、自由に変わっていく。

 他人と自分を比べるからおかしくなる。比べるなら昨日の自分と今日の自分を比べること。現代は狂の時代。こういうときこそ正しい手順でいること。ここぞというときだけあがればいい。勝てばいい、勝つことこそ全てなんて言うのは永続しない。必ず敗れて消えていく。

 

 人生でも何でもここぞという所がある。そこで勝つもの負けるもの、これが勝負強い勝負弱いと言われるものである。本来勝負というものは卓に着く前に決まっている。だからこそ普段の習慣に気をつける必要がある。日常の中にはいつも勝負がある。むしろ自分の中の自分との勝ち負けがあるといってもいい。

 氏は思ったことをそのまま行動にうつすというルールを掲げそれを実行していたそうです。んで気に入らない奴がいて、ぶん殴りたいと思ったらぶん殴っていたとか。さすがですなぁ…。もちろんチンピラの喧嘩ではなく、絡まれた女性を助けたりとかそういうことですけど。願ったことは大抵かなってしまうから、あまり願うことはしたくないんだそうです。悪いことを願って実現してしまった時など後味が悪くて仕方が無いと…。面白い話ですね、これ。

 個性を大切にとか言うけども、それは嘘。個性はいい方にも悪い方にもたやすく変わる。こだわることなく瞬間瞬間の思いに素直になって変わること。その結果素直に良くないと思ったことを変えていけばいい。それが本当の自分を曲げないということ。

 神というものを信じない。人が作ったものを教えてもらおうとは思わない。いい悪いというより合うか合わないか。身体に合わなかったら無理に取り入れないほうがいい。氏は初めて雀荘に連れていかれて、後ろで見ていてすぐなんだこうすりゃいいじゃないかってわかったそうです。他人がなんで悩むか理解できなかったと…。だから習ったこともない。習うというものは頭で学ぶものそういうのは遅くなる。所謂身につけるというものの重要性ですね。

 正しい努力と間違った努力。大抵俺はこんなに努力をしたんだぞ!というのは間違い。それは強要だから。他人は関係ない、自分がどうあるかというのが本当の努力。

 ずるはしないほうがいい。なぜならそれが返ってくるから。自分の中の大切な人が見ていていると考える。その人に恥のない生き方をすること。

 

 問題・トラブル・悩みを不運として人為でどうにもできないと考える人がいる。それは逃避。安易に降りるような麻雀は逃避と同じ。正しい負け方をすること。ピンチの時こそしのげば次のチャンスに繋がる。人生も麻雀もピンチの連続、それを凌ぐ・向かっていくことこそ本質。

 振り込んで手が悪くなることなどない、あるとしたら降り打ちという類のものだけ。振り込んだことを引きずった心の問題が大きい。弱気は迷いを生み、状況についていけなくなる。いつでも攻め続けること。

 

 山の中に生き埋めにされかけたり、東京湾に沈められかけたりしたことがある。やばい状況の時ほど逆に答えはある。冷静さを失わないこと。冷静であれば直感が働く。それで切り抜けられる。そういう経験をするとトラブルを恐れなくなる。どんなことでも受けて立てばいい。守ろう・逃げようとすると自滅する。そういう心持ち・気構えでいれば普段から耐性がつくようになる。

 危険なことが好きなのは、そういうものに直面するほど火事場の馬鹿力、脳のストッパーが外れて人間本来の無意識の力が発揮されるから。パッと見てその人に何かあったか当てる遊び、出身地だとか何年働いているかとか直感を試す遊びをする。いついかなる時でも頼れるのは無意識の力・直感、心と身体の力。

 大事な今に向き合えていない人が多い。過去も未来も今につきる。今の問題をRPGの課題のようにこなせなければ成長もクリアもない。

 リセットではなく修正すること。どんなことも修正すればいい。修正力こそトラブルを乗り越える力。

 熱い人というのは偏った状態であり、信用できない。心にも体温と同じく適温というものがある。教育をしようなんて考えない。やってくる子にはあっためてやりたいと思うだけ。

 

 綺麗な気持ちは難しくない。しかし綺麗な動作は難しい。今の社会・便利な物に慣れてしまっていて自然な動きができなくなっている。恵まれた家庭に育った子、勉強に慣れた子にそういう傾向が強い。

 魚や葉っぱなど自然を参考にする。自然の動きを違和感なく出来て、それに溶け込めたと感じることほどの喜びはない。動物に触れようとしても自分を捨てて動物に戻らないと逃げて行ってしまう。身体だけの動物に戻ること。生物の始まりまで遡ることを目的に原始的な動きに帰る。本能で生きる彼らに不安も野心もトラウマもコンプレックスもない、知識や技術にも損なわれていない。

 アルジェリア人ケリーの話。アフリカ全体で一万の部族があって、言葉・仕草・合図があって容易にコミュニケーションが取れないようになっていた。自分の住む世界が英語が入ってきて統一された結果社会がおかしくなった、狂っていった。これ非常に面白い話ですよね。神がひとつの言葉を持つ人間を世界に分けて言葉も通じないようにしたなんてのがバベルの塔の話にありましたが、本当は人間たちが棲み分けをするために言葉、身体言語をあえて変化させていったんでしょうね。意思疎通が重要なんてことはわかるし、初期には世界中言葉をどこでも通じるような工夫なんて容易にできたはずですから。むしろそれは共存するうえで障害になったんでそしょう

 言葉を使えば、おかしくなる。愛なんて言葉を使うと狂っていく。愛するから過保護になったり甘やかしたりという事にもなる。孫娘が生まれたときは愛なんて使わずに母親のあったかみとおっぱいというキーワードを使って、これはお前にしか与えられないものなんだよと大事さを伝えた。耳あたりのいい正義や信念も同じ。頭はだまされても身体は言葉にだまされない。身体の声を聞くこと。

 人間が生きることは矛盾。矛盾の世界で矛盾して生きる。いいものだけを100%なんてのは無理。いいもの悪いものは五分五分。

 自然な動きができない人間はすぐに仕草に現れる。いい手が入って喜んでいるとか危ないハイをキロうとして怖がっているなとか。捨て牌なんかみなくても仕草で今これから何が起ころうとしているのか場のことがわかる。

 相手の強さは座った時、身体の使い方、牌の捌き方でもうわかってしまう。あるときは第一打を切っただけで、相手が負けましたと投了したことがあった。そういう境地・勝負の次元がある。

 強さとは表面ではなく、体の奥底にある。トップクラスには強さを出すなと教えている。麻雀はオーケストラであり、四人の音がある。マイケル・ジャクソンは踊っているときに頭の中でカウントしてリズムを刻んでいるとわかるという。同じようにリズムを刻んではいけない。自然の流れになくてはいけない。強さもリズムも奥のほうにしまっておく。そういう人は自然と一体になれる。そうしておくといざというとき自然の一部となって、大きな力が後押ししてくれる。

 プロの格闘家でも平気で倒せるし、押さえ込める。握手をするとあまりに手が柔らかいから、びっくりされる。達人は手が柔らかいとよくいいますね。不調の人はどこかがずれている。専門的な知識はなくともそのずれを直してやるとその人の調子が良くなる。触るだけでわかるということは多い。一般に女性より男性、勉強より腕白な子の方が自然な身体をしているのはいろんなモノを触ってきたから。虫とか蛇とかいろんなものに触れてきた子のほうが感覚がいい。だから人も触ることが大事。セクハラといってスキンシップを拒絶する傾向は良くない。それは元からの信頼関係ができていないからそうなる。いやらしさを感じさせない人間関係も築くことも器量のうち。

 

 何かをしたら、何かが帰ってくるという見返りだけの関係はまっとうとは言えない。なんの見返りもない無を繰り返すことに楽しさ・くつろぎ・喜びがある。利益・収穫を度外視した楽しみの中に感じ取れるものがある。

 お金を払ってまでやる座禅などの良い事病には身体の芯にまで響くことはない。継続は力なりも有の世界。無でもやれるかどうかに意義がある。無の中には必ず得るものがある。成功者より下のものから学ぶことが多い。成功者は裸にならないから。得ているものが少ないほうが裸になれる。そのほうが感受性が高い。

 今雀鬼会に来る子は休火山。昔はすぐカッカする活火山のような子が多かった。今は自分の中にエネルギーがあることすらわからない休火山のような子が多い。

 友達はいないが仲間はいる。友だちは数人が限界の関係性。仲間には際限がない。仲間なら1対1で付き合えなくても、その輪の中で付き合える。仲間という輪の中では善悪・良否を超えて存在を許容出来る。今のいじめなんていう問題はこの友達と仲間の違いと言えますね。同年代・同世代だけの人間の関係性に完結してしまえばゆとりもなくギスギスして狭い世界でいがみ合うわけです。仲間というか多世代の関係性はどこに行ってしまったのか…

 コンプレックスを仲間の中で認め合うことで不安をなくす。自信より不安をなくすことのほうがより重要。

 

 自立なんかしなくても一人ひとりとの関係を修正すること。得になる人と付き合うのではなく与えられる人と付き合うこと。

 人間は感情の生き物。時計に例えれば1時が喜び、2時が悲しみ、3時が怒りのようになっている。12の感情があって循環している。それが偏るようであればおかしくなる。時間にずれた感情表現をすれば人間という時計は壊れてしまう。素直な感情を持ち、それで在り続けられること。素晴らしい表現ですね、この時計の例えは。

 家族・家庭こそ重要な仲間の場でなくてはならない。

 人間には横の関係だけではなく、縦の関係も重要。いざというときに氏が何とかできるとわかっている。信頼関係があるから場がうまくいくようになっている。家庭でも同じ。そういう尊敬があるから家庭がうまくいく。子供たちが自然に従うようになる。

 親がこどもを育てるなんて百年早い。子供は何よりの喜び。脚が痛い時、苦しい時にこの辛さ・苦しさが子供でなく自分でよかったなと思うもの。

 言葉が分かる前から魂で会話をする。大事なものを伝える。仕草や表情で伝わるもの。子供がお父さん、すいませんといってきたら何を相談してきたのかすぐわかる。魂が通じ合っていれば、言葉なんて必要ない。魂が通じることこそ人間関係の理想。

 

まあ、なんと素晴らしいことを次々というのか。また次別のを紹介したいと思います