別館、身体論・武術・スポーツのお部屋

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相撲について(2) 角界に品格はありや?

 前回書いた相撲からかなり間が空きましたが、まぁいいでしょう。今回は技術論さておいて相撲協会のあり方や品格の話を。伝統と格式(笑)の相撲界ですが、果たして相撲協会・相撲界にそもそも品格と格式があったことがあったのでしょうか?というよりそもそも品格・格式とは何ぞや?己の解釈になりますが、品格であろうが、格式であろうが、元々この語源からいって、身分制に基づくものです。骨品制などの品、一品・二品など冠位がありましたしね。格式は律令格式から来ていると思いますが、これも根源に身分制があって、その上での行動様式を決定するという発想から分岐して生まれたものでしょう。律令制は知ってる人はわかると思いますが、法律の『律』、命令の『令』で、当時の中国・唐王朝はあらゆる人間・人種を纏め上げるために皇帝がそれ以下を平等に階級付けて支配するために生まれた制度です(もちろん当時はまだ貴族が強く、皇帝のトップダウンには程遠いのですが、関係ないので省きます。一応突っ込まれそうなので、書きました)。身分制とは実は人間を平等に扱うため、最低限の人権を保障するために始まっているんですね。こういう重要な基本も教えられていないと思いますけど。

 

 品格であれ、格式であれ身分制度を前提とした発想です。今ではそれが消え失せて、単に地位・身分の高い横綱こそ、それにふさわしい行動様式を要求されるのだ!というのならいいのですが、事実はどうでしょうか?その面があることは否定はしません。しかし、そのような身分秩序を前提とすること、それを保守しようとすると何が起こるでしょうか?結論から言うと

 

 旧利権・体制がそのまま維持されるということです。伝統主義で近代以前の欧州を、「永遠の昨日」と表現したのは17世紀にいながら、18世紀の政治学を支配したといわれるJロック。伝統は重要・大事でしょうが、そこに変革がなければ「永遠の昨日」が続き、同じ問題が永遠に続き、繰り返されるという仏教の輪廻転生みたいなことになります。

 

 そのシステム内に、変革・改革をはらんでいない相撲協会には礼儀・品格・マナー・教養などより、人間や組織にとって最も大事なことが欠けているのです。組織の要諦は信賞必罰、問題に際して、何が問題か明確化し、対処策を講じ、その結果に対してどうして成功したか、また失敗したかをきっちりまとめ、報告する。あらゆる外部組織と比較し、研究する。そのためにあらゆる業界から勉強するために人を派遣する。または来て貰い、異能・異業種交流を進める。

 

 春秋園事件で、力士が親に値する親方たちに逆らうことは何事だといった理事がいました。ナベツナの逆名言「たかが選手が!」がありますが、それを髣髴させる言動です。当時は各界改革を力士が唱えること=逆らうこと自体が問題だ!という風潮すらありました。

 

 相撲界というのは当時が昭和初期という風潮の時代だったということを差し引いても、そもそも体制として改革が出来ないという構造をずっと引きずってきたのです。なんだか、日本社会を髣髴させる話ですが、それだけではありません。一応政治は変革を前提にしているのに対し、相撲はそうではないのですから。しかも当時訴えられた改革の内容は現代の相撲改革と余り替わらない。つまり相撲界は全く改革を怠ってきたということがわかります。横綱の品格がどうこう言う自体以前に、腐った組織、腐朽組織について論じなくてはならないのに、それが全く論じられないという事実、マスコミ報道に絶望を抱かざるを得ません。

 

 単に改革がされない、停滞が今後も続くだけというのならまだいいでしょう。己はもう相撲見ませんが、現在深刻な財政危機、収入減が続き、興行として危なくなっているというのにこんなことでいいのでしょうか?ひょっとしたらもう興行として成立せずに、消滅する可能性すらあるのです。そういうときに朝青龍解雇という判断・決断を下して事件の幕引きを図ったというところに?と、違和感を覚えざるを得ません

 

to be continued→相撲について(3)