アイスソードならぬアイスランド圏のころしてでもうばいとるについて
自分たち有利に規制・ルールを変えてしまうという考え方について。アイスランドというのは国の話じゃなくて、アイススポーツをやっているところと考えてください。日本にはかつて荻原兄弟というノルディック複合だかなんだかよく知らないんですが、とにかくそういう競技で君臨していた時期がありました。兄だったか?彼はむこうで凄い人気者だったと言います。しかしルールが改正され、彼に不利なルールになってメダルが取れなくなったということがありました。さて?このルール変更は適格なんでしょうか?それとも不適格なんでしょうか?もちろんこれは適格なんです。というより論ずるに足りないことで、そもそもこういうことを問われること自体が、己にとっては日本よ (´・ω・`)ショボーンとなります。競技やルールが先にあるのではない。その競技がエンターテイメント、興業として成立するか否かが先に来るんです。寒い北国ではアイススポーツは国民的スポーツに当然なります。日本でいったら野球ですね。その野球で上位を占める球団・アスリートが常に外国人だったら、人気・関心が落ちていくのは当たり前です。そのスポーツへの国民的な目が育成され、レベルの高い人間が見られれば満足という段階に達しているのならまだしも、そうでない場合は国民的英雄やヒーローを育成しなくてはなりません。K-1でいったらマサトをスターにしたように。日本で行なわれるプロスポーツなら、日本人有利なものになるに決まってます。
③ころしてでもルールを変える→なにをするきさまらー→ねんがんのアイスランドにふさわしいルールをてにいれたぞ!―となって、ルールは常にそのスポーツが全体として栄えるようにプロモーターなり、運営者によってどんどん変えられていくに決まってます。重要なのはその変更が見あったものか、結果きちんと成功したかどうかという点です。そして日本で論じられるべきなのは、何故日本でこれほどアイススポーツの関心が低く、プロとして成り立っていないかということです。せいぜいスノボくらいでしょう。人気があると言えるのは。日本がアイススポーツ大国として成立→国民的関心になる・商業的価値・ブランドも確立する→オリンピック成功、日本に好ましいルールに…という循環になっていくべきなんです。ニコニコの調査で74400人くらいの4分の1はオリンピックに興味ないって言ってましたしね。で、5分の1が国母で騒ぎすぎ!とありました。よかったよかった(^ ^;)
日本は常に先を見渡して業界を確立しよう・育成しようというリ-ダー・プランナーがいません。また、いてもそういう人間を排除しようというシステムになってます。意図的であれ、非意図的であれ。そして先に従うべき秩序やルールや真理が存在するという思考・文化・伝統が根付いてしまってます。これがなくならない限り、日本が改革を達成し、繁栄の道を取り戻すことはないでしょう。